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出会いなどない 別れのみの季節

そういえばすっかり春ですね。この歳になると、自分の身の回りの変化で季節を感じることも少なくなってきました。ニュースで入学式、入社式などの話題を見かけては「そうか〜出会いと別れの季節だなあ」なんて、まるで他人事です。自分で率先して予定を組んだりしない限り、気温くらいしか環境的な変化は生まれない。毎年自動的に実施されるクラス替えや進学で新しい顔ぶれと遭遇することもない。そうして、大きな変化のない時間のループへと呑み込まれていくのだ。

僕は環境の変化のなかでも、とりわけ別れが苦手だ。失恋などもってのほかだが、友人、知り合いレベルとの別れも精神的にこたえる。

現実世界でも「1度きりの出会い」は溢れていますが、ネットはその比ではない。一期一会のオンパレードである。オンラインゲームでのマッチングなどをはじめ、知らない人と一時的に繋がる機会がとにかく多く、その特質がネットの光と影を生み出した。僕はこのネットでの出会いと別れを無数に繰り返し、すっかり保守的な小人となってしまった。

ネットでは、特に別れが残酷だ。リアルでは、学校にしろ職場にしろ「近いうちにその人と会う可能性」があるため、そうそう自分の都合で縁を切ることはできない。ネットと違い、生身の存在を知っているというのも絶縁する心理的なハードルを上げているような気がする。逆に、ネットの知り合いなど所詮はアイコン又はアバターである。画面の向こうに確かに実在する人間だけれど、脳は100%信じきっていない。故に、ちょっと気に食わないこと、都合の悪いことがあればスパッと関係を断ち切ることができる。ある意味、面倒な人間関係のしがらみが生まれない理想的な仕組みなのかもしれない。

1年半ほど前にX(当時はTwitter)で知り合った人がいるのですが、その人は半年ほどで姿を消してしまいました。趣味で繋がった人でけっこう意気投合していただけに、突然の失踪に戸惑いを隠せなかった。こういうことが平気であり得るのがインターネッツ。現実で知り合いが失踪するなど頻繁にあってもらっちゃ困る。僕は1度しか経験がない。それはさておき、つい先日、そのXの知り合いが1年ぶりに投稿をしておりました。ホッと安心すると同時に、またいつか自分の前から消えてしまうんじゃないか、という不安も生まれる。

もう、こういうことでメンタルを掻き乱されるのが嫌なんだろうな。だから、別れの根本的な原因である「出会い」を避けるようになる。架空の存在であれば、相手側から一方的に別れを告げられたり突き放されたりすることはないから、結局心の拠り所は二次元WORLDとなる。仕方ないね、オタクの心は繊細なんだ。もう別れは懲り懲りなんだ。

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