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恋愛短編小説 「虹の記憶」


その日は、夕焼けの空に大きな虹がかかっていた。

島根の実家の屋根裏部屋で高校時代の卒業アルバムや教科書、主に映画クラブの衣装やセットを整理している時、小さな丸窓から虹は見えた。その虹の輝きが、何か古い記憶の箱を開けたかのように、僕の心に静かに照らしていた。それはまるで、通りすぎた過去を引き戻すように、あの日の彼女との思い出が目の前に現れてくるようだった。

彼女との出会いは、高校時代にさかのぼる。高校の二階の理科実験室に続く階段の踊り場で、黒髪ロングで前髪ぱっつんの彼女はいつも一人で、自主映画の登場人物のセリフに演技をまじえて練習していた。僕は彼女の登場人物になりきる姿に心惹かれ、何度もその場を「実験の準備」だと言って通りかかるようになった。そして、勇気を出して声をかけたあの日から、僕たちは少しずつ話すようになった。

彼女の名前はヒナミだった。ヒナミはフランス映画が好きで、よくフランス語の翻訳書を手にしていた。彼女との会話はいつも、フランスの文化やフランス映画が中心だった。僕たちはお互いの好きな映画や主人公について語り合い、時には一緒に映画を観たり、演技の練習を手伝ったりしていた。彼女の笑顔、彼女の考え、彼女の全てが、僕にとって新鮮で、かけがえのないものだった。

そこで、僕たちは映画クラブをつくって仲間を集め、映画を撮ることにした。監督、脚本、主演、カメラはすべてヒナミがやることに決めた。三人の仲間がクラブに入会して、五人全員出演の『緑の光線』を真似た、三〇分の恋愛映画をつくった。半年で映画は完成し、一ヶ月後の文化祭で上映した。ハッキリ言って、映画の評価は散々のものだった。それものはず、高校生がつくったクオリティの映画で、高校生が観るのだから、フランス映画を真似したら散々な結果になるのも無理もない。

評価に落ち込んだ仲間三人はクラブを抜けた。
残ったのは僕とヒナミだけ。

ヒナミはもう一度映画を作ろうと言った。僕は喜んで賛成した。三人が抜けてくれてよかったと心の中で飛び跳ねた。ヒナミと二人ですごせるからだ。卒業までの間に三本の映画をつくった。どれもフランス映画風の映画だった。映画が完成するたびに学校で公開して、映画を嫌いになる評価を受けた。それでも僕たちはめげず(僕はめげていた)に映画をつくった。

そして、卒業を境に、僕たちの道は分かれた。ヒナミはフランスで映画を学ぶ夢を持って留学し、僕は東京の大学を選んだ。最後に会ったのは、卒業式の夕方、夕焼け空に輝く虹の下だった。僕たちはお互いの未来に幸あれと願いながら、涙をこらえて別れを告げた。それから何年も月日が流れ、僕たちは連絡を取ることもなく、それぞれの道を歩んできた。

今、僕は再び、輝く虹と、ヒナミとの思い出に浸っている。虹の輝きが彼女の面影を照らし出し、心の奥深くにしまっておいた彼女の演技や笑顔が、鮮やかに蘇ってくる。

僕は、ふと、ダンボールから色紙を取り出した。それはヒナミが僕に贈ってくれた、ヒナミのサイン入り色紙だ。サイン第一号として彼女がくれたもの、裏には日付が書かれ、キスマークがついている。

夕日が沈み、僕は手にした色紙を胸に抱え、屋根裏部屋から居間に戻った。もしも時間を戻すことができたら、もう一度だけ、ヒナミと映画をつくれたなら……。でも、それは叶わぬ願い。


甘く切ない記憶は、僕の記憶の箱に大事にしまっておこう。これからも、密かに思い出せるように。




時間を割いてくれてありがとうございました。

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