【2つめのPOV】シリーズ 第6回「しがみつく」Part.11 (No.0239)



パターンA〈ユスタシュの鏡〉


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Part.11


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私は大通りへ出てそのまま駅の方向へと進む。
同じように駅へ向かう人たちがチラホラと見えるが、改札入り口へと吸い込まれる人たちを他所に、私はそこを通過して裏側のバス停を目指すため線路を跨いだ歩道橋を渡る。

この郊外の寂れた駅は改札の反対側へ出ると更に寂しさが増す。
かつてささやかながら成り立っていた商店の名残が、線路に並行して建てられたくすんだ建物にこびり付いている。その建物群に、手入れのまるで行き届いていない街路樹や庭木の強い主張が上から覆い被さり、ヒビ割れたアスファルトや側溝の境目から生えだした草花が下から建物へ貼り付いてくる。

放られた建物たちのその姿は、まるで迷彩塗装を施した装甲車が佇んでいるようだった。


私は日に焼けてすっかり色が抜け落ち、弾性を失ったプラスチック製の長椅子に腰を掛けた。座席部分のところどころが欠けていて満足に座れたものではないが、ここは他に腰掛ける場所が無い。
目の前にはサビだらけのブリキ製の板が取り付けられたバス停留所を示す棒がそびえ立っているが、これはもう現在では役に立っていない。

新しいバス停の目印はあるにはある。だがそこには椅子が無いので私はいつもこの古いバス停で待つことにしている。
どうせ他にここで乗る人もいない。バスは必ずこの旧バス停を通過するし、運転手もこの紛らわしいバス停を熟知しているので乗り過ごしもない。


廃墟のようなこの空間に朝から一人で座っている事は案外気持ちよかった。余計な騒音も無いからのんびりと出来る。


私は隣に置いたリュックサックから水筒を出した。蓋に熱いお茶を注いで口を付けた。お茶はまだ淹れたてそのものの熱さと香りを保っていて、ヘタな喫茶店などよりずっと安らげる。これならいっそ朝ゴハンはここで食べてもいいくらいだ。


後ろの線路から各停が発車していくと静けさが一層強まったが、そこでひとつの物音に私の耳は引き寄せられた。その音は、どうもさっきからずっと鳴っていたようだった。


よくよく耳を澄ましてみると、そこには小さいながらもセミの鳴き声が響いていた。


確かに連日やや暑い日が続いていたとはいえ、流石にまだこの声を聞くのには季節はずれだ。

その鳴き声は正しい方のバス停側から聞こえてくる。その街路樹あたりにでも止まっているのだろうか。
私はささやかに響く鳴き声に、驚きと同時に寂しさも覚えた。


真夏の日、彼らが一斉にわめき出すその声は、あまりにけたたましく、騒音と呼んで差し支えないほどだが、灼けつく日差しが照り付ける季節にはとても良くお似合いで、私達に時節を知らせる音色である。
しかし、それはあくまで私達の受け取り方である。セミ自身にはその意識はきっと無い。
彼らは別段ボランティア精神をたぎらせてやっているわけでも何でも無く、それはどこまでも生命の活動として全身全霊でやっていることなのだ。
真剣そのものだからこそ、あの小さな身体であれだけの音を出せるのだ。
私達は呑気に季節のイベントとして消費しているが、彼らからしたら決して遊びではない。

私はこのか細いセミの音にその真剣さを見つけたとき、今私の耳に入る鳴き声がどう聞いてもたった一匹のセミから発せられていることに切なさを覚えたのだ。


セミはオスだけが鳴く。
そしてその理由はパートナーを見つけるためだ。
その音色でパートナーを引き寄せるのだ。

これが夏真っ盛りとなれば、特に自然の多いこのあたりは、その意識を芽生えさせた連中が下品なくらいにわめき散らす。周りにいる数百のライバルを蹴落として、自分が素晴らしいパートナーを得てやる、という熱意がボリュームの目盛りを更に引き上げていく。
私達部外者からすれば、熱気と騒音で目眩を免れない事態がそこかしこで行われる。けたたましさに苛立ちを覚えながらもその強烈なパワーにはこちらも毎年影響を受けてしまうものだ。


しかし今私に届いてくる、かのセミの鳴き声にはそれが無い。

廃屋同然の東屋で夜明かしするやもめたちに聞かせる、琵琶法師の演奏のようなもの哀しさが漂ってくる。

この鳴き声の主からは、パートナーに対する欲求のような肉体的な熱気が感じられない。


この声には、涙がある。


自分が発したメッセージに誰も応えてくれない、という哀しみがある。


必死に鳴き喚いているその気持ちは伝わってくる。
だがそれを真に受け止めてくれるものはいない。不幸なことに、この季節に地上へと出てきたことが彼の運命を決めてしまった。

長年の孤独な地面での生活から遂に開放されたのに、あれだけ強い日差しを夢抱いていたのに、いざ出てきても一番の本懐が一切叶わない。
それどころかその苦しみさえ、誰にも理解されないのだ。


彼の鳴き声には、せめてこの哀しみを理解してほしい、という想いが溢れている。


あのセミの鳴き声は駅のホームで電車を待つ人にも聞こえるだろうか?
 
いや聞こえたとしても、あのセミの哀しみまでは届かないだろう。
耳に入ってくる季節外れのセミの声は、どこまでいっても所詮は雑音に過ぎないのだ。
これから本日の業務へと向かう多くの人たちにとっては、ただ単にウルサイだけにしか聞こえない。
パートナーを求める声と、想いを受け止めてほしい、という切実な声の違いには誰も気づかない。


しかし、それぞれはまるで違うものであっても、他人には同じとしか理解出来ないことは、何もセミの鳴き声だけの話ではない。


私はそのことに気づいたとき、さっきのジョギング男を思い出した。
また、私がこれまで闘ってきた数々の敵兵と、向かいに住む例の老夫婦が心に浮かんできた。
ホームの人たちにとってのセミは、私にはこれらの連中だった。
でも、こうして考えると、あの敵兵や工作員たちもあそこにいるセミみたいなものかも知れない。


カルト宗教の2世3世には選択の余地はない。
その家庭に生まれたら最後、自動的に幼い頃からカルトの価値観に首まで浸かる羽目になる。
それが正しいだとか、それが素晴らしいだとかはどうでもよく、ただそこに生まれただけで押し付けられてしまう。そして人生の中でカルトへの接触を重ねていく分だけ、他の様々なチャンスはどんどんと失われていく。

年を経て自分のいる世界がいかに周りから煙たがれて嫌われているのかを知ってしまったあとでも、もういまさら引き返せず、そのまま死ぬまでその中で生きていくしか無い。


まるで土中のセミのような人生だ。
彼らが地表に上がって日差しを受ける日はいつ来るのか。


それは永遠に来ない。
彼らは、自分が狂った闇の世界にいて、そこから抜け出さなければ行けないと気づく前に、家庭や仕事を背負わされてしまう。
それでもう身動きは出来ない。

せっかくの休日も集会へと駆り出される。
少ない収入は自分たちの家庭以上にカルト組織に吸い上げられていく。
もちろん組織からの指令も昼夜を問わず出され、これも無視することは出来ない。
現代は、カルト宗教の存在やその行動も全てネットで調べれば簡単に分かる時代だから、信者が職場や町中やネット上でしている汚らしい行為の真意は、皆に筒抜けになっている。
そうでなくても、行為そのものが一般常識から外れた非礼で異常なものなのだから、どこへ行ってもどんな人からも疎まれ、後ろ指を指される生活である。そしてどんな場所にも仲間がいるが、それは互いを支え慰め合う関係ではなく、互いを監視し合う関係なので気が休まることはない。かえって苦しいほどなのだが、周りから嫌われている以上は身内で固まるほかはなく、常に監視者をまとわせながら生きていくしか無い。中にはヤケになって狂った心根を曝け出している人も居る。人前や店内や職場で信じられないほどデッカイ声で話し、下品に笑い声を響かせる人も居る。
周りからどう思われようと、もう気にならない人たちだ。
吐き気を催すバランスの衣服を纏う人もいる。


こういう人たちは、心の葛藤に耐えられなくなった人たちで、気が触れてしまって自分で考えることが出来ないのだ。
そんな仲間を見ながら、「自分もいずれこうなるのだろうか」と恐怖を覚えたり、「いっそこうなってしまったほうが楽かも知れない」と、誘惑に駆られたりして、毎日自分の存在が揺らいでいくのだ。


あの孤独なセミが、間違ったときに地上へ出てきたセミが、パートナーと出会える確率がゼロに近いように、カルト宗教に絡め取られた人生が幸福を得ることはない。


私は、これまでの彼らがしてきた攻撃を思い出していた。


彼らのあの不気味な行動。
あの気味の悪い声色。
不自然な身体の使い方の数々。

効率が悪く、大胆と言うより愚かと言ったほうが適切な彼らの攻撃には、「恥」という言葉が見当たらないものばかりだった。


その行動のどれもが、本当に「結果」を求めているのだろうかと首をひねらざるを得ない事ばかりであった。

その行動が組織のためであり、その組織の利益がゆくゆくは自分のもとにも降ってくるのだ、などと本当に理解しているのならば、もう少しうまくやるだろうと勘ぐってしまうくらいに、彼らの言動はいちいち雑でブザマで意地汚く、いたずらにトラブルを増やしているようにしか見えなかった。


「そんなことしたら後々面倒になるぞ」と、思わず心配になってしまうこともあった。
他人に対して失礼極まりない言動が目に余り、無関係なのに思わず咎めてしまったこともある。
しかし当の本人は私の指摘をまるで理解出来ず、「何故赤の他人にそんな指摘を受けないとならないのだろうか?」と疑問符を浮かべた顔を晒していた。

私は常々、彼らに「組織」や「全体」という感覚が僅かでもあったなら、あんな風にはならないはずだと考えていた。



だから今はこう思う。


あの行動は、ひょっとしたら絶望した彼らの悲痛な叫びだったのではないだろうかと。


彼らは自分が世間へ放つ攻撃行動をキッカケに、そのがんじがらめの人生から脱却したかったのではないか。


指示に従い行った一般の他者への攻撃で、彼らが得たいと望んでいた結果というのは、実は自分自身を縛り付けるしがらみの破壊だったという気がしてきた。


24時間365日、常にカルト宗教に苦しめられている彼らこそ、本当にそれを望んでいたように思えてくる。


回りくどくて身勝手で傍迷惑な自傷行為、いや自殺行為だ。


彼らの救われない人生にも確かに同情の余地はあるが、しかしその自分の苦しみを無関係な人々に向けてきた歴史的事実には、同情など沸かずただ怒りしかない。
それも弱い人や、優しい人を積極的に殺しにかかったのだから、到底許せるはずはない。


しかしもし、彼らに教えてあげたとしたら、もし彼らに、本当のことを教えてあげたとしたら、彼らは変わってくれるだろうか?


その教わったことが、自身の人生を変えることだと知ったら、彼らは喜んでそれを受け入れて実践するのだろうか?


あそこで悲鳴をあげているセミに、他所の茂みへ行けばまだチャンスはあるぞ、と教えてあげたら飛んでいくのだろうか?



いや、無い。

そんなことは、無い。



それこそ敵を甘く見すぎだ。
彼らの絶望的な救いのなさを甘く見てはいけない。
彼らは人の優しさや善意を最も上手く踏み台に利用する才能を持っている。



素直に耳を貸す?
心を開く?
感謝をする?



ありえない。


彼らの心や思考回路には、カルト宗教から埋め込まれた偏光プリズムが仕込まれている。
それはまっすぐな人の気持ちをどこまでも都合よく捻じ曲げる力を持っているから、彼らには決して届かない。


もし、それを受け取りたいと本当に彼らが望んでいるのなら、まずは彼ら自身の手でその心に埋まったプリズムを叩き割らなければならない。

それは絶対に自分でしなければならないことだ。


いやもっと言えば、それは他人には出来ないことなのだ。

自分で頑張ってするしかない。
彼ら自身の、心の奥の、幼稚で汚らしいその奥の奥に埋め込まれた歪んだプリズム。
それは自分自身の手で探り出し、取り出して叩き割るのだ。


それまで赤の他人に、それも日頃嫌がらせや攻撃を加えている人にやらせるなぞ、傲慢にもほどがあるのだ。


しかし、どうも彼らは本気でそれを望んでいる気がする。
一体、どれほど甘ったれなのか。
恥ずかしくないのだろうか? 呆れるにも程がある話だ。



でも、きっとそうだ。
それくらい彼らの内側は疲れ果てているのだ。
何処かの不良映画みたいなものだと思う。
走っているのではなく、止まれないのだ。



あのセミに私の言葉は通じない。
私があのセミに出来ることは何か?


おそらくは、せいぜいがあのセミを探し出して、止まっている木を揺さぶってやり、他所へ飛び立つように促してやることくらいだろう。


私のその動作は、彼には恐怖にしか感じないだろう。
彼は私に感謝などしない。
やっとのことでしがみついているその場所を叩き出されるのだから、私に感謝どころか恨みさえ抱くに違いない。


でもそれも無理もない話だ。
彼には私の気持ちや考えはまるで理解など出来やしないのだから。

もし仮に、私の気持ちや考えが理解出来るのだとしたらどうか?
 
言うまでもない。それならばさっさと実践している。
私にそのか細い悲鳴を聞かせること無く、とっとともっと良い居場所を求めて移動しているはずだ。
しかしそれが出来ていないのだから、到底理解はされないということだ。


つまるところこの行為は、相手から悪戯に恨みを買うだけの行為と言える。
言ってしまえば攻撃とみなされるのだ。

私が彼を慮ったからこそ出た行為なのに、ただの敵意と判断されてしまうだけだろう。


だがその行動が、後になって自分が助かるキッカケであったと気づいたときに、一体彼はどう思うだろうか?


あのとき、彼が敵意と判断した私の行動が、実は助けるために起こしたものだという真意を悟ってくれるのか?
それとも自分の実力と受け取って、その頑なな性格に拍車をかけてしまうのだろうか?
それとも単に幸運に思うのだろうか?
感謝をするのだろうか?
目を覚ますのだろうか?


誰でも、それが絶対に必要であったとしても、その必要性を理解出来ていなければ探すことも受け取ることもしない。

裸足の人間には、ランニングシューズとバスケットシューズの違いは分からない。使い方も分からないし理解する気持ちも持てはしない。
だが、日頃から靴を履いて生活している人はそうではない。
靴を持つ者は靴が破れた時には修理や買い替えの選択肢があるが、裸足の人には選択肢すら無いのだ。

その裸足の人が靴を買うことと、持っている人が靴を買い換えることは行為の重みも意味もまるで違う。
裸足の人が靴を買うというのは、自分の人生が大きく変化する事を受け入れたことになる。それは大変なことだ。
自分の人生の中に新しいカテゴリーが誕生する瞬間は、歳を重ねるほどに苦しく恐怖になる。
若ければその刺激は逆に誘惑となって自ら受け入れに進み出る。


しかしてあのセミは若いと言えるのだろうか? 
セミにとって若いというのは幼虫の頃なのだろうか?
それともまだ出てきたばかりだとすれば、若者と考えていいのだろうか?


うん、いやまあどちらでも結局は同じだ。


必要かそうでないかについては、年齢も性別も関係ないのだから。
彼にはそれが必要なのだったら、それだけの話だ。
ややこしく考えることは無いだろう。


私はお茶をずずと飲んだ。程よく冷めていておいしい。


彼らの悲鳴が助けを求める声だったとしても、差し出された手にすがりつくことはなく、その手の持ち主から奪い取ろうと襲いかかってくるだけだ。


彼らには欠けているものがある。
救われたその後の自分の姿だ。


裸足の人が靴を履いた人生を思い描けないのと同じだろう。
仮に一度でも靴を履いた経験があったなら、それを思い出すことが出来る。そしてその経験が素晴らしいものであるなら、それを求めることをするだろうと思う。


でもカルトたちは、全人生の中で一度だってその経験は無い。
ただの一度だって人の優しさや人の愛や、この世界の本当の素晴らしさや真実に出会えたことはない。
それが目の前にあっても見えず、それを見つけたときには踏み潰し破壊する習慣が刷り込まれている。


彼らにとって、いや、誰にとってもきっとそうだと思う。
思い描くことが出来ない世界を求めて、それを実現することは極めて困難なのではないだろうか?



「でも・・・」


私はお茶をぐいと飲み干した。



でも、そんなことはないだろう。
なぜなら今、思い描けるほどの力が無くたって、ずっとずっと必死に求めていけば、きっと描けるようになるはずだから。


何だってそうではないか。
始めは誰だって必ず失敗するし上手くは行かないものだ。
でも毎日毎日必死に繰り返して失敗を沢山経験して行くことで成長し、やがては可能になる。
そういうものじゃないか。


だったらきっと大丈夫だ。

今、カルトたちが実効支配し上級国民軍が統括していた世界が崩れた。
そして、これからは我々がこの世の中を統治していくのだ。
これは、かつてとまるで違う新しい世界になる。


でもその時に、これまでと違う世界をしっかりと思い描き、共有していかなければ、またしても『悪』が浸透してしまうに違いない。



いったいどんな世界を作ればいい?
どんな人々の生活が良いのだろう?
目指すべきものは何であるべきだろうか?
どこを反省すればいいだろうか?
何を捨て、何を得るべきだろう?


こう考えると複雑で難解で、途方もなく実現不可能な絵空事のように思えてしまうが、実際はそんなことはない。


もっと簡単なはずだ。


だって、『悪』の反対が『善』なんだから。


これまでの反対にすすめばいいんじゃないか?


世界が、金と恐怖と独占と支配と暴力と死で覆われていたのなら、きっとその反対を目指していくことに鍵があるのだ。



うん。
きっとそうだ。


ブロロロロ



目当てのバスが新しい方の停留所にやってきた。
私は水筒を片付け、カバンを背負ってバス停へ向かった。



歩きながらふと、さっきのセミの声が聞こえなくなっている事に気づいた。

アイドリングをかけているバスのエンジン音にかき消されているのかと思ったが、近づいてもなおセミの声はしなかった。

私は一度バスを素通りし、バス停の後ろに茂る木々に近寄ってみた。
停留所にささやかな屋根が出来る程度に枝を伸ばした木を下から覗き込んでみてもセミの姿は無く、注意してみても声はしなかった。


きっと、私の後押しが無くても自分で気づいて飛び去ったのだろう。


そう思い、戻ってバスに乗ろうと振り返ったときに、私はその足元にひっくり返ったセミが転がっているのが見えた。


仰向けになってジタバタと藻掻くセミの姿があった。


私は一瞬、足を止め目を奪われた。



ああ、駄目だったか。



私は彼を救えなかった。

いや、どっちにしても弱っていたのだ。もう歳だったのだ。
もし私があの時にここから追いやったとしたら、きっとそのショックがきっかけになって死んでしまったかも知れない。
どちらにしてももう、手遅れだったのだ。


彼は結局、誰にも自分の気持ちを受け取ってもらえなかった。
彼はついに孤独のままだった。



私はポケットから小銭を探りながらバスのステップに足を掛けた。
そして乗り込むときに、もう一度後ろを振り返った。


やはり、その地面に転がった小さな秋の枯れ葉のようなものが、風もないのにバタバタと喘いでいた。


どうやったところで彼を助けることは私には出来なかったのだから、そのチャンスは無かったのだから、その気持ちに引きづられる事は間違いだろう。


私は小銭を機械に入れながらそう思った。



投入する際、目の前に座っている老いた運転手の顔をチラリと見ると、彼はバックミラーを注視しながらソワソワと腰を動かしていた。


私は彼がミラー越しに見ているものを車内に乗り込みながら確認した。



そこには、後部座席で小さな子を連れたお腹を大きくした女性と、その二人に高圧的に絡む、 "顔に雑巾を付けた中年残兵" との "戦闘" があった。


それは言うまでもなく、明らかな "非戦闘員" への虐殺行為であった。


少ない乗客は皆して、この残兵の残忍な暴力に対し、流れ弾に当たらないように身を伏せてしまっていた。



確かに適切な対処ではあるがそれは同時に、あのか弱き3人の命を、この汚らしい『悪』に生贄として捧げる行為に等しいのだ。



ふざけるな


そんなことは許さない




私は目を彼らに向けたまま、手で素早くズボン右ポケット付近のベルトループに取り付けた、ボディカメラのリモコンスイッチを弄った。

そしてすぐに「REC」の"トリガー" を弾いた。



やれやれ



私は彼を救えなかった。

だが、彼女たちなら助けられる。



私はそのチャンスに感謝をしながら、戦場へと足を進めた。



【2つめのPOV】シリーズ 

第6回「しがみつく」Part.11 


パターンA〈ユスタシュの鏡〉


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おわり


Part.12につづく

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