亡き祖父を尊敬するエピソード
私は、母方の祖父を尊敬している。
祖父は元教員で、もう30年近く前に亡くなった。母親は次女であったので、結婚して実家から出ている。したがって、私も祖父とは同居しておらず、年に数回、会うだけであったが、その数回が楽しみであった。
思い出深い祖父とのエピソードはたくさんあるが、その中でも、凄いな、ありがたいなと思えるようなものを紹介する。私だけの勝手な思いかもしれないが、最後まで読んでいただけると嬉しい。
1 死に際に読む本
祖父の最後は、病院に長らく入院した老人病院で亡くなった。見舞いに行った私に「まるで、鳥かごの鳥だよ」と寂しげに訴えたことを忘れない。活動的な祖父にとっては長期間の入院は、さぞかし辛かったのだろう。
その祖父が亡くなる直前、おそらく3日前くらいだったかな。お願いされたことがある。
常に知的好奇心が旺盛で、探求してきた祖父は、もう先は長くないと判っていても知的好奇心は持ち続けていた。
私は、自宅へ戻って書棚から『徒然草』を持ち出し、祖父に届けた。その数日後、訃報が届いた。
あの『徒然草』は読まれたのだろうか。
私は祖父の葬儀の時、この『徒然草』を棺に入れた。冥土への旅の癒しになればと祈りながら。
2 言語統制ない世のありがたさ
国語の教員であった祖父は、文字とか言語へのリスペクトが高かったのだろう。新聞紙であろうが、書籍であろうが、床に置いてあるこれらを安易に跨ぐことを嫌った。厳しい口調ではないが、やんわりと「どうかな」みたいな感じで言われた。
戦時中の言語統制を経験した祖父は、自由な発言が保障される世に生きる私に、文字や言語の大切さ、発言できるありがたさを伝えたかったのではないか。
私はその気持ちを汲んでこれまで生きてきた。子供たちもなんとなくもしつこく伝えた。インターネット全盛の今になっても、紙の書籍や、文字を操り文章をつむぎ出す作者への敬意は持ち続けている。
3 記録魔
教員を定年退職した翌日から、祖父は散歩した歩数の記録を始めた。当時は、iPhoneみたいな歩数検知機能があるアイテムはないから、実にアナログな万歩計で歩数をカウントをしていた。
また、エクセルみたいなソフトウエアもないので、チラシの裏紙をRHODIA No5サイズに切って、それを1か月分として、毎日、記録をしていた。
それを毎月集計し、年間歩数を集計し、一歩70センチを掛けて距離を算出。何年たった頃であろうか、20年くらい?
ついに、その総距離数が4万キロメートルを超えた。祖父は、紙の束を示しながら、嬉しそうに言った。
なんという記録魔であろうか。地道な積み重ねは、祖父の真骨頂であるが、私はその血を母親を通して受け継ぎ、記録魔となり、塵り積に精を出している。本当にありがたいことだと感謝している。
4 祖父からの手紙
普段会えないので、手紙でのやり取りもした。大学生になった私は、ある時、祖父から葉書をもらった。国語の教員で児童文学の研究もしていた厳格な祖父のユニークで自由な姿勢を垣間見た。
葉書の表面には、
と書かれていた。落書きではなくて、楽書だよ。
そうだよな、こうあるべきという決めつけじゃなくて、自由な発想、可能性、なんでもいいんだ・・・。
そんなことを大学生の時に80歳を超えた祖父に教えられた。
5 総括
まだまだ、紹介したいエピソードはありますが、長文になってしまうので一旦ここで終わりにします。また、近い内にご紹介しますね。
良かったな、また読みたいなと思われた方は、「スキ」又は「フォロー」をお願いします。励みになります。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?