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無酸素性作業閾値について

持久系アスリートのトレーニングにおけるトレーニング強度を考える上で無酸素性作業閾値(Anaerobic Threshold = AT)に関する理解を深めることは非常に重要です。そこで、今回は無酸素性作業閾値について以下に解説致します。

エネルギー供給機構について
無酸素性作業閾値を理解する上では、運動時に必要とされるエネルギーが私たちの身体の中でどのように供給されているのかを理解しなければなりません。

まず、私たちが運動を行うためには骨格筋が収縮する必要があります。

そして、骨格筋が収縮するためにはATP(アデノシン3リン酸)という物質が必要となり、このATPはあらかじめ骨格筋内に貯蔵されていますが、その量はごく少量であるため、骨格筋内にあるATPだけでは1秒程度しか収縮することが出来ないとされています。従って、運動を継続するためにはATPを利用しながら再合成をする(ATP使いながら作る)必要性があります。そして、人間にはATPを再合成するためのシステムが大きく分けて2つあります。

それは、「無酸素的エネルギー供給機構」と呼ばれるものと「有酸素的エネルギー供給機構」と呼ばれるものです。さらに「無酸素的エネルギー供給機構」には2つの系が存在します。

無酸素的エネルギー供給機構には、まずATP-CP系と呼ばれる系があり、骨格筋内に貯蔵されているクレアチンリン酸を利用してATPを再合成する系です。しかしながら、クレアチンリン酸も骨格筋内に貯蔵されている量はごく僅かであるために、この系だけで長い時間運動することが出来ません。従って、短時間で高いパワーを発揮するような運動(スプリント走など)において主として働く系であるとされています。

そして、無酸素的エネルギー供給機構には解糖(無気的解糖)系と呼ばれる系もあります。この系は、糖質(筋グリコーゲン→グルコース)を酸素を使用しないで分解しATPを生成しますが、その過程で乳酸も産生されます。

これまで、乳酸は疲労物質であると認識されていましたが、最近では乳酸は疲労物質ではなくエネルギー源の一つであることが示唆されています。但し、乳酸が多く産生されているということは筋グリコーゲンがそれだけ多く分解されているのでエネルギー源の枯渇による筋疲労が生じ易かったり、乳酸は文字通り酸であることから乳酸が多く産生されると筋細胞内が酸性に傾き骨格筋が発揮出来る張力が低下する可能性があることから、解糖(無気的解糖)系だけでは長い時間運動を継続出来ないと考えられています。

補足:最近の研究では乳酸が産生されることによって筋細胞内が酸性に傾くことはない可能性があること、筋細胞内が酸性に傾いても筋が発揮出来る張力は低下しない可能性があることも示唆されており、乳酸はあくまで糖が分解される過程で産生されるエネルギー源の一つであり筋疲労に関係ないと断言して良いのかもしれません(但し、そう断言するには更なる研究は必要であると考えられます。)。

無酸素的エネルギー供給機構というと体内に酸素がない状態を意味しているような気がしますが、「無酸素」といっても「酸素がない状態」という意味ではなく「酸素を使わないで」という意味なのです。

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一方、「有酸素的エネルギー供給機構」は、主に糖質(筋グリコーゲン→グルコース)及び脂質を、酸素を使用しながら分解しATPを生成します。いわゆる有酸素運動と呼ばれるような運動時には有酸素的エネルギー供給機構が主として働いています。

有酸素的エネルギー供給機構によるエネルギー供給は無酸素的エネルギー供給機構によるエネルギー供給に比べ時間がかかります。従って、運動強度が高く短時間で多くのエネルギーを必要とする時には、酸素を使わないでもエネルギー供給が可能な無酸素的エネルギー供給機構が優位に働くことになります。

無酸素性作業閾値(AT)とは
運動強度(例えばランニングスピード)が徐々に増加していくような運動中に、運動強度が低い時(すなわち遅いランニングスピード時)には主に有酸素的エネルギー供給機構が働いています。

その後、運動強度が高く(ランニングスピードが速く)なるにつれて、有酸素的エネルギー供給機構によるエネルギー供給(すなわち有酸素的エネルギー供給機構で生成されるATP)だけでは不十分となり、無酸素的エネルギー供給機構(主として解糖系)がより多く働くようになってきます。この無酸素的エネルギー供給機構がより多く働き始める時点をワッサーマンらはAT(Anaerobic Threshold)すなわち「無酸素性作業閾値」と名付けました。

そして、無酸素性作業閾値を測定・把握し、それをトレーニング強度として活用することで効率的、効果的な持久系トレーニングが可能になると考えられるようになりました。

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最近のATに関する考え方
その後、多くの研究が行われた結果、ワッサーマンらの定義したATはさまざまな点で問題点があることが指摘され、現在では、換気性作業閾値(VT)乳酸性作業閾値(LT)という、測定方法に基づいたより具体的な呼び方が用いられるようになっています。

VTもLTも無酸素性作業閾値(AT)のことを指しているのですが、VTは運動中に呼気(酸素と二酸化炭素)を測定し、その呼気の様子から無酸素性作業閾値、すなわち無酸素的エネルギー供給機構が働き始めるポイントを決定したものです。

ところで、なぜ呼気の様子から無酸素性作業閾値が分かるのでしょうか?

徐々に運動強度が増加し、無酸素的エネルギー供給機構(主として解糖系)が働き始めると、乳酸がより多く産生されることになります。すると、体内ではこの乳酸を代謝する働きが始まります。人間には、この乳酸を代謝する働きが幾つか備わっていますが、その一つが働き始めると二酸化炭素が産生されます。

すなわち、無酸素的エネルギー供給機構(主として解糖系)が働き始めると、乳酸がより多く産生され始め、運動中の呼気に含まれる二酸化炭素が増える訳です。この呼気の様子を観察し無酸素性作業閾値を決定するのです。そして、このような方法によって決定された無酸素性作業閾値をVTと呼んでいます。

一方、LTは運動中に、血液中に含まれる乳酸を観察することによって、無酸素性作業閾値を決定したものです。先程の説明にもある通り、無酸素的エネルギー供給機構(主として解糖系)が働き始めるとより多くの乳酸が産生されることになります。すると、血液中の乳酸濃度がある時点(運動強度)から急激に増えることになります。

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こうした運動中の血液中の乳酸濃度(の動き)を観察し無酸素性作業閾値を決定する訳です。このような方法によって決定された無酸素性作業閾値をLTと呼んでいます。

血中乳酸蓄積開始点(OBLA)について
しかし、実際の持久系スポーツ中にはLTよりも高い運動強度で運動を継続する場合も有り得ることからLT以上の強度でトレーニングを実施した方が良いという考えが生まれてきました。

そこでLTの代わりに血中乳酸濃度が4mMに達した時点を血中乳酸蓄積開始点(OBLA=Onset Blodd Lactate Accumuration)としてLT同様に運動強度を示す指標として用いられるようになりました。

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さて、これらVT、LTおよびOBLAは持久系能力と密接な関係にある事が報告されています。

つまり、VT、LTおよびOBLA時の運動強度(例えばランニングスピード)が高い(速い)競技者ほど競技成績も良いということです。いいかえれば、それだけ高い(速い)運動強度(例:ランニングスピード)まで主として有酸素的エネルギー供給機構によるエネルギー供給が行われるために余裕のある運動継続が可能になるということです。

従って、持久系能力を向上させる上で無酸素性作業閾値(VT,LT,OBLA)を測定・把握し、それを向上させることは非常に重要になります。

●参考:LTとOBLAの関係および、その個人差について

下の表は、トライアスロン選手2名についてLTの測定を目的に漸増負荷運動テスト(トレッドミルを用いて1ステージ3分30秒の漸増負荷走運動)を実施した際の最高酸素摂取量、LT、OBLAの測定値および漸増負荷運動テストとは別の日に実施したパフォーマンステスト(4000mタイムトライアル)の結果を一覧にしたものです。

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ちなみに、この漸増負荷運動テストは最大酸素摂取量の測定ではなくLTの測定を目的に実施したものであることから、乳酸の産生ならびに血中乳酸動態を考慮することを理由に1ステージを3分30秒に設定すると共に採血および乳酸測定のために各ステージ終了時に一時的に運動を中断(1分間の中断)した間欠的漸増負荷運動(テスト方法は下図参照)であるため、得られた酸素摂取量の最高値を”最高酸素摂取量”として取り扱っています。

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A選手、B選手ともに最高酸素摂取量(65.2ml/kg/min vs 65.1mi/kg/min)およびLT(232.2m/min vs 229.6m/min)の測定値に大きな差はみられませんが(むしろ、LTについてはB選手の方が低い値)、OBLA(268.6m/min vs 292.9m/min)の値と4000mタイムトライアルの結果(13:46.62 vs 12:49.87)には両選手の差(B選手の方が良い結果)がみられ、統計的解釈は出来ませんがOBLAと4000mタイムトライアルのパフォーマンスに関係性があることが推察されます。

この結果から、OBLAは5000m走競技等の20分以内に終了する持久系スポーツにより強く関係している可能性があり、LTとOBLAの関係には個人差(恐らく、LT以上の運動強度での乳酸利用能力の差)がみられることから、A選手が今後、例えば5000m走競技パフォーマンスを向上させるためには、OBLAの向上を目指すべくLTからOBLAの範囲の運動強度でのペース走やレペティション、ロングインターバル、等のトレーニングが不可欠になってくると考えられます。(また、近年のトライアスロン、特にオリンピックディスタンス競技は高速化が進み競技中の運動強度がより高くなっていることから、OBLAの高さが成功の鍵だといえるかもしれません。)

このようにLTとOBLAを測定することで、より具体的なトレーニング方針の決定、トレーニングプログラムの作成が可能となります。

心拍閾値(HRT)とコンコーニテスト
VT、LTおよびOBLAは非常に優れた指標である一方で、その測定には採血や専門的な測定技術が必要であり、あまりトレーニングの現場で広く応用されるまでには至っていませんでした(しかし最近では、簡易的な乳酸測定器が販売されており比較的簡単にLTやOBLAが測定できるようになってきています)。

そこで、イタリアのコンコーニらの研究グループは「ランニング速度を徐々に高めて行くとある時点までの心拍数は直線的に増加するが、その時点を超えるとランニング速度の高まりにも関わらず徐々にその心拍数の増加率が低下する(変曲点がみられる)」ことを認めLT等の指標と密接な関係にあることを報告しました。そして、その変曲点をHeart Rate Threshold(HRT)と名付けました。

このHRTは、トレーニング現場で簡単に測定することが可能である点が大きなメリットとしてクローズアップされ、このようなHRTを測定する運動テストがコンコーニテストと称され、かつては自転車競技のトレーニング現場において広く普及していました。

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HRTの問題点
しかしながら、HRTにはいくつかの問題点があることが指摘されています。

まず、出現性の問題があるとされています。つまり、HRTの出現が不安定であることが報告されているのです(例えば個人、競技種目、測定方法etcによって出現しない場合があるとされています。)。

次に信頼性の問題があるとされています。例えば、LT等の他の指標と出現時点(運動強度)が一致しないこともあり、また、HRT自体の生理学的意義が不明瞭であることが指摘されています。つまり、VTやLTは先ほど説明した通り、無酸素的エネルギー供給機構(主として解糖系)の働きを間接的、直接的に観察した上で決定していますが、HRTは生理学的にみれば無酸素的エネルギー供給機構(主として解糖系)の働きを観察して決定されたものであるとはいい切れないということです。

いい換えれば、無酸素的エネルギー供給機構(主として解糖系)の働きと心拍数との関係には不明瞭な点が多く存在しているのです。

このように考えると、心拍数だけでは無酸素性作業閾値(AT)を決定(推定)することは難しいということになります。

しかしながら、VTやLTを測定するためには、煩雑な準備や採血が必要になります。一方で、HRTはハートレイトモニターがあれば測定可能であり採血を必要としません。

従って、特にトレーニング現場でHRTを活用していくことは非常に有効であると考えられます。但し、これまでに説明した通りHRTにはまだまだ不明な点が多く存在しているのも事実であり、こうした背景を充分に理解・考慮した上でHRTを活用する必要性があるといえます。

HRTを活用する上での注意点として、一例を挙げるとHRTはLTやVTなどに比べ高い運動強度で出現する傾向があることが報告されています。従って、HRTによって決定された強度は実際のATより高い強度であることが多く、トレーニング強度としてHRTを用いる場合はオーバートレーニングの配慮などの注意が必要です。

●参考:心拍変動によるLTの推定

実は、近年、心拍計の測定精度や解析能力が向上し心拍変動からLTを推定することが可能になりつつあります。

心拍変動とは簡単にいえば心臓の拍動間隔(心拍間隔)の変動ということになりますが、心拍間隔は一定ではなく揺らぎがあることがしられ、自律神経活動によって心拍間隔の変動が生じることもしられています。

そして、自律神経活動との関わりが強い物質であるカテコールアミン(アドレナリン、ノルアドレナリン)の血中動態は血中乳酸動態と同様に運動強度の増大に対して閾値がみられることが明らかにされていることから、運動中の心拍間隔の変動(心拍変動)からLTの推定が可能になるという訳です。

しかしながら、LT強度での定常運動中の心拍数と血中乳酸濃度は必ずしも対応しているとは限らない可能性もあり(下図参照:Cardiac drift)その取り扱いには注意が必要であると考えられます。

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*Cardiac driftに関しては以下の記事も参照下さい。


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