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春、きみの背中を押す。

とくべつな季節。

植物は季節を先取りするため、ぽちりと新芽をつけはじめる。
寒い日とあたたかい日が入り乱れて、徐々に吹く風がふわりと優しくなっていく。
以前に年末年始の特別感についてnoteに書いたが、そうやって進んでいく3月も、また日本人にとってとくべつな季節だと思う。


私自身は1月→12月カレンダーを意識しながら1年を過ごしているのだが、教育・企業・行政にかかわる多くの人にとっては4月→3月カレンダーのほうが馴染み深いことと思う。
卒業、入学準備、人事異動にお引越し…文化のリチュアルではなく実務的な手続きを要するという点で、年度末は年末年始より忙しいかもしれない。

そして、そういった変化の起こす波(ソワソワ感とでも言うべきもの)は、自分や家族に直接的に関係の無いことであっても、何らかの影響を及ぼし合う。

根なし草、ハイパー根なし草になる。

個人的なことでも小さく分岐点を迎え、4月からは少し生活の流れが変わりそうである。
そうすると決めたのは半年ほど前のことであり、不安定な生活がさらに不安定になるのは予測できることだったのだが、そうせずにはいられなかった。

理性や制御は大切だ、ほんとうに。
しかし「そうせずにはいられない。」という感覚が、つねに私の人生の半分以上を占めている。
危なそうであったり、共感が得られなかったり、周囲の人が反対したり、可能性を狭めたりするようにみえることであっても「そうせずにはいられない」に抗える人などいるだろうか。

もちろん、失敗することも傷つくこともある。
「反省はよいが、後悔はするな」というのが一般論だが、個人的には後悔することばかりで、反省していることはあまりない。


共鳴。

此度はそういった私の選択に「感化された」「背中を押された」というお声をいくつかいただき、驚かされた。

・定年退職後に思い切って、4月から東京で仕事をすることにした方。
・お子さんを応援するため、ライフスタイルを変えようとする方。
・長年やってみたかった資格取得のため勉強を始めた方。
・家族の旅立ちに伴い、新しく趣味や仕事にチャレンジする方。

当たり前のことだが、毎週ヨガクラスでお会いしている方でも、現在の状況やどんな野心や悩みをもつのか、すべてを知ることは難しい。
経済的なこと、身体的なこと、年齢的なこと、時間・場所の制約…種々のものを抱えながら生活していることに、ふと気づかされる。

「背中を押す」などとはとんでもなく、どんなに拡大解釈しても「私の起こした小さな揺らぎに、その方がもつ萌芽の一部が共鳴した」といったところではないだろうか。


風になる。

振り返れば3月、いつも私は見送られる側だった。
進学、就職、転職…駅のホームで「またすぐに。」を合言葉に友人達に見送られ、発車した電車のなかでひとり、声を殺して泣いていた。
目的地に着くころには泣きやみ、大切なトコロがスーッとするような、うすら寂しいままの微妙な心持ちで、新生活を始める。

よく「見送る側は寂しいものだ」という言葉を聞くし、大いに共感するが、インストラクターになり「見送る側」も悪くない、と思う。
ともに過ごしてきた時間の御礼に、精一杯のエールを送りたい。

春、君が風となり新しい季節の祝福を受けますように、と。


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