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「揉める」に慣れておいた方がいいと思う

孔令愚さんのnote、タイトルからして心を撃ち抜かれました。

内容についても、中国に住んでいる人間として共感100%です。

中国にいると、そこらじゅうで揉めてる人を見ます。内容をよく聞いていると本当にしょうもないことであったり、どちらかが折れたら済むようなことでも、延々と話し続けているような人もいます。

また、その揉めている2人が特に何も状況も変わっておらず、問題も何一つ解決していないのに、気がつけばスッと言い争いをやめているような状況もあります。これにもまた、面食らいます。

自分がその「揉め」に巻き込まれることもしょっちゅうです。たとえば何らかのサービスを受けて納得いかないことがあった時や、仕事上でミスがあった相手などに、その説明や修正を求めたとしても、向こうがしおらしく話を聞いてくれることなんてのはまずありません。

どう考えても相手側のミスなのに、謝罪の言葉一つすらなく「いやこれはこれがこうで私はおかしくない」という話が真っ先に出てきます。こちらが何を言ってものらりくらり、顔色ひとつ変えずに詭弁をつらつらと話されて、こっちがイライラして少しでも食ってかかると「不要発脾气」(怒んなよ)と不文明人bu wen ming renみたいな扱いをされて、最後はウウウ、オアアー!!のAAみたいな形相になったりするのです。

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中国に住んでウン年、もうすっかり慣れた……と言いたいところですが、それでもやっぱり違和感とか、居心地の悪さを感じてしまうことはあります。

孔さんのnoteにもありますが、日本では基本的に波風を立てずに物事を粛々と進めることが是とされますし、そこらじゅうで人々が声を荒げているのを見ることもそうそうありません。やはり僕も、日本で育ってきたせいか、揉めることへの免疫がまだまだ弱いのでしょう。

でも、これも孔さんが書いていることですが、本来なら人って「そんなもん」なんですよね。

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