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【記録】認知の歪み

12月に入って一気に寒くなった。
それに合わせて体調を崩し、10日経った今でも調子が戻らない。
貧血や疲れなど身体面もあるが、精神面が大きく関係しているような気がする。

ここ数日、未来に希望が持てない、と絶望してしまうのだ。
友人に「認知の歪みが出ているのもあるんじゃないか」と告げられ、認知の歪みについて検索をかけてみた。

認知の歪みとは

認知の歪みとは、誇張的で非合理的な思考パターンのこと。
これには主に10種類あるのだそうだ。

①全が無か思想 物事を白か黒か理論化して考える
②一般化のしすぎ 一度起こったことがこの先もずっと繰り返すと思い込む
③心のフィルター ネガティブな色眼鏡をかけたまま世界のすべてを見る
④マイナス思考 悪いことには「やっぱり自分はだめだ」、いいことには「これはまぐれだ」と考える
⑤結論の飛躍 事実からは導き出されないはずの悲観的な結論に飛躍して考える(心の読みすぎ、先読みの誤り)
⑥拡大解釈・過小評価 欠点・失敗を過剰に大きくとらえる&長所・成功を極端に小さくとらえる
⑦感情的決めつけ 自分の感情を優先させて、物事から目をそらしたり決断を先延ばしにする
⑧すべき思考 自分や相手の行動に対して「~すべき」「やらなければならない」と考える
⑨レッテル貼り 人の評価を、その人の特定の制す津や行為で決めつける
⑩個人化 悪い出来事が起きたとき、理由もなく自分のせいにする

私は⑥拡大解釈・過小評価以外の歪みすべてを強く持っているようだ。
もちろんそれぞれに強弱はあるが、それでも人生ハードモードだ。

歪みの緩和予想と現状

今までは「自責」に対応してきて、それが少し緩和されたから次の歪みが強く出てきたのだと思う。
だから、手持ちの歪みを何周も巡って、だんだん緩和されていくんじゃないだろうか?

「自責」に対応するのもものすごく辛かったのに、これをこれから何回もやらなければならないなんて。
人生ムリとツラ。泣

今の私は未来への悲観的な思想が強いので、
①全が無か思想 物事を白か黒か理論化して考える
③心のフィルター ネガティブな色眼鏡をかけたまま世界のすべてを見る
辺りが現実に反応して苦しいのだと思う。

2022年9月頃から未来への絶望は感じていて、そこにうまくいかなかったり対人関係で傷つく出来事が三件起こっていた。
たったの三件だが、私にとっては相当なストレスで、その疲れややるせなさが今回の体調不良を招いた。
(三件の内容;恋人の手ひどい裏切り、父の心ない一言、挑戦したことがうまくいかなかった)

2022年9月より以前は、⑩個人化 悪い出来事が起きたとき、理由もなく自分のせいにする、に二年ほどかけて対処していたのだと思う。
自責の念があまりにも強く苦しんでいたのだが、運よくコーチングに出会え、緩和していった。
しかし個人化は今もなお強く持っている歪みであって、自責が強いことは日々の中で感じることが多い。

異質感

小学生に入ってから、自分が周りのみんなと違うことを感じていると察せるようになった。
幼稚園、小学校と集団生活をする中で、おかしい人間だと思われたら、虐められたりハブられたりするのだと知る。
自分は少し周りと違う、という疎外感を、幼くも「それはまずい」と判断したんだろう。
集団に溶け込むことに必死になった。

私は周りの子と同じようでいなければ、面白い子と思われなければ一人になってしまう、と不安で恐れた。
でも私は親から「普通」ではなく「特別、一流」を求められていると受け取った。
「休みの日にダラダラ寝るなんて三流の人間のすることだ」と怒鳴られたこともあった。

私にはおかしなところがあって、周りに溶け込みたいのに、親からは周りと違うことを求められる。
溶け込めないと一人になる不安。他の人と違うことをしないと親から認めてもらえないのではという不安。
孤独へまっしぐらであった。

おかしい子と思われないようにするために、周りの人間を観察して自分に取り入れることにした。
表面だけ擬態しても、行動や発言に筋が通っていなければバレてしまうので、行動の奥にある考え方や心理を一歩踏み込んで理解するのが肝要であった。
この筋を通す、というポイントを感じ取った人間がわたしを「芯のある人だ」と評価していたのだと思う。

小学校ではこのやり方でハブられることはなかったが、中学校に上がると軽い虐めにあった。
擬態するだけだと相手に悟られて舐められたり、裏切られたりすることが分かった。
なので舐められず、弱みを握られないような人間である必要が出た。
そこで私がとった行動は、メンターを見つけ、そのメンターに近い精神状態を目指すこと。
中学生~高校生にかけて声優の安元洋貴さんと木村良平さんのハイブリットのような人間になりたいと思っていたのはそういうことだったのだ。

しかし高校を卒業し就職すると、今までのやり方は全く通用せず、個人化の歪みが強く出すぎて、社会生活を維持できなくなった。
今は歪みが出にくい環境で働いている。

社会生活を維持できなくなるまでは、他人の心の奥を覗けると嬉しかった。
なるほど!✨と思える考えに出会うことは、擬態するのに必要な要素がまた一つ手に入ることを意味するからだ。
これで自分の皮が一枚増し、よりバレにくくなるし、自分が完成に近づく。
だからコーチングもやっていて楽しかったのだけれど、コーチングをやる中で自分の皮がもう使い物にならず、本来の私が望んでいないと受け入れることとなった。
その結果、他人の思想は私にとって重要性を失っていった。

自分の演出と歪みの強化

中学生では吹奏楽部でセクションリーダー、委員会で委員長を務めオリジナル企画をどんどん実行、生徒会活動にも参加。
高校生では有志でおこなわれる学校のプロジェクトに二年参加し、一年は代表を務めた。

それもこれも、特別な自分を演出するためであった。
当時の私は、心の奥にある本当の思惑にちっとも気づいておらず、とにかく一生懸命に取り組んでいた。
高校三年生になり進路の岐路に立たされた。
何もやりたいことも目標もなくて絶望した。
今まで頑張ってきたことが沢山あるのに、それを生かす道も考えられず、何を選べばいいのかも何も分からず、だただた不安と孤独に困惑した。

それもそのはず。
私が頑張っていたのは、「特別な自分」を演出するためであって、それ以上の意味はなかったからだ。
しかし当時の私は、自分のやってきたことを活かせない自分の無能さを呪った。地獄の底で人生を後悔している気分だった。

その後悔があってからは、常に「次にどう活かせるか?」と問うようになった。
活かせなければ私は無能である、とレッテルが張られたので必死になる。
その習慣は大いに役に立ったが、反省点を直せない自分や完璧にこなせない自分への過度な責めにも強く影響した。

しんどいと判断する基準が低い

まず私は、自分は身体が丈夫な方だと認識していた。
しかし生理後は貧血が続き、ストレス耐性が低く、お腹は壊しやすく、ご飯は一日に一人前を三食食べれない。
どちらかというと弱い方であると昨日知った。

体調不良と自己判断する基準も低い。
私にとって、体調が最悪な日=体調が悪い。
最悪じゃなくて、平然を装える間は「普段通り」の範疇だと思っていた。
だからそうとう自分に厳しかったのだと思う。

自覚したならやめてあげないと、と思い、今日は本来なら休日出勤のつもりだったが休みをいただいた。

おわりに

歪みをたくさん持っていて苦しいし、死ぬしかないんじゃないか、なんて思う。
早く死を決意したくて生き急いでいるようにも感じる。
けれど今はまだ生きたい。
だから少しずつ自分の客観視をしていって、自分の仕組みを理解していこう。




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