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疑いに執着するのは幼少期のトラウマのせいだった

彼はわたしと会いたいと思ってないんじゃないか。

疑いに執着してしまっていた。
本人は「会いたいと思ってる」「今月はもともと普段より予定をいれていた」と言っていたけど、どの言葉も頭に入ってこなかった。

会いたいと思われてない、というのを、信じてしまって、でもそれを信じたくなくて。
実存のないものを追いかけているから不安で苦しかったんだろう。

会いたい会いたいと言ったり、少しイラついた態度をだしてみたりして、相手がどこまで受け入れてくれるか試したりもしてた。

(なにに寂しいと思っているか、どうしてほしいか、具体的に伝えてはいたので、試し行動としては軽度だと思っている🫢)

試し行動をしても、欲しいものは手に入らない。
なんで試し行動するの?と自分に問うと、
ひとりになりたくないーーーーーーーー泣泣泣
と孤独感が大噴火した🌋

さらにその気持ちに踏み込んでみると、「わたしは誰からも愛されていない。大切にされない。必要ない。邪魔。消えたほうがいい。」
心の奥底で自分自身をこんなふうに思っていた。
自分が思っている以上に傷ついてズタボロだったんだ。

自分を強く否定しているのは小さな女の子のイメージなんだけど、その子が望んでいるのは「守って欲しい」という気持ち。

暴力的、抑圧的な父親と、それに逆らわない母親。わたしの真似をして怒鳴られる弟。
弟の泣き声を今でも思い出せる。
他人の責任まで背負うプレッシャーと恐怖心。
こういう圧倒的なものから守って欲しかった。

ここまで辿りついたとき、友達が「この間話してくれた悩みと似てると思ったから、自分の判断で読んでみて!」とお勧めしてくれたnoteを読んだ。

まさに幼少期のトラウマだな〜と。
みささんとわたしとで違う点は、わたしは彼氏の前でここまで抑圧してなくて割と自由でいられてるところ。

でも不安や孤独感が掻き立てられるし、そういう状態は手放したかった。
自分の幼少期のトラウマを自覚することはできたけど、ここからどうすればいいか分からなかったからとても参考になった。

自分の悩みメモを読み返して、手放したい自分、なりたい自分像を具体的に把握してみよう。

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