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”わたしがわたしになる” 葛藤と決意の話

今、書くべきこと。
まだ書けないこと。
書かないこと。

その違いを明確に持っている。

なぜそう感じたのか、
そう行動したのか。

腹落ちすれば「書ける」。

糧にしたことを言葉にして
誰かに伝えたいとき、
わたしは「書く」。



今なら「書ける」。

深夜2時。
3時間かけて話を聴いてもらって、
不意にその感覚はやってきた。


言葉を企画して変わった
一番大きなこと。


”わたしがわたしになる”

その葛藤と決意の話を、
書きたいとおもった。


中間報告会でも、noteでも
触れられなかったこと。

両手に抱えきれないほどの学びと
”言葉”と”仲間”というたからものを
贈ってもらった今。

わたしも、
書く先に進みたい。

あなたに届けたい。


すこしずつ玉ねぎを剥くように
真ん中を露わにしている文章たちは
とても清々しくて、愛おしくて
勇気をもらったから。

まだ、どろっとしている話を
書いてみることにします。



6月から参画した言葉の企画2020。
次回、12月12日に最終回を迎える。

初回には靄がかかっていた
”未来の待ち合わせ”の日は、
すぐ手の届くところにある。

刻々と状況は変わっていて、
どうなるか分からない未来にも
あの頃のような不安はない。

あなたはあなたになっていく。
超言葉術 p.303

言葉の企画の主宰、阿部広太郎さんの著書
コピーライターじゃなくても知っておきたい 心をつかむ超言葉術
の一番好きな言葉だ。


”わたしはわたしになっている”
今、そう感じている。

そして、これからも
わたしになる旅をつづけてゆく。


”わたし”とは何か。
どんな”わたし”でいるのか。

これから、どう生きていくか。


新型コロナウィルスの影響で
仕事を失うと分かってから、
ずっと抱えてきた問い。

真っ向から挑むことになったのは、
「名前紹介」の課題のときだった。

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”朱珠つなぎ”
あなたの真ん中を 好きでつなぐ


京丹後に移住して、
高校生と地域の人が集う居場所づくりを
”やる”と決めた翌日。

笑顔のわたし。
日にちも入れて
署名もした決意表明


”つなぐ”という言葉を
3回も使っている。


人と人をつなぐ。

実は、あの日から
封じてきたことだった。


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4年前。
友人とイベントスペースをつくった。

みんなの”やってみたい!”を好きになって、
いっしょにやってみる場所。

『最初で最後のはじまりのとき』

その場所での最初の企画、
親友 uiの写真展のタイトル。


想いに共感して応援してくれた人、
実際に企画をしてくれた人。
企画に参加してくれた人。

わたしから声をかけた人も
たくさんいた。


窓から見える緑も、
いい場所だねえという言葉も、

何一つ、忘れていない。




本当に好きだったその場所を、
わたしは続けられなかった。

OPENから3ヶ月。
完全にキャパオーバーして
メンバーから離脱させてもらった。

二人でやってきたことだったから、
抜けるというのは
裏切りのような気持ちで。


場所を通して出会ってくれた人たち、
未来を描いていた人たちに申し訳ない。

応援してくれた人たちに
合わせる顔がない。

当時のわたしは、どん底だった。



人と人をつなぐ。


アイデアとアイデアを
かけあわせて、企画にする。

いくら好きでも、
わたしにはやりきれなかった。

人に迷惑をかけるくらいなら、
もうしないでおこう。

心に決めた。



3年後。
心底携わりたい仕事のためでも、
人と人をつなぐという壁を
越えられなかった去年の夏。

阿部広太郎さんのnoteに出会う。


びしびしと心に響いた。

”人生を、そんなもんにしちゃいけない。”

”自分を開け。
他人を受け入れろ。”

誰かに伝えていたかもしれない言葉を
素直に受けとることもできなくて。

悔しかった。


でも、
一歩を踏み出すのは怖くて。
自分をひらくって、
どうするのか分からなくなっていて。

とにかく心が動いた記憶を
書いていくことにした。

テーマは「  #自分を愛す  」。

自分を責めては立ち上がれなくなる、
そんなわたしから変わりたかった。


書いてみて、
気づいたことがある。

心が動いた瞬間、
引きだされる”記憶”
あるということ。

学生時代のものだったり、
もっと前の大切な思い出だったり、
誰かにもらった一言だったり。


もしかしたら、
変えたくないものも
あるのかもしれない。



夏が終わるころ、
初めて京丹後を訪れる。

すべての夏はつながっていた。

”大切にできなかったわたしも、落ち込んでいたわたしも、助けてもらったわたしも、彼女と京丹後に来たわたしも、「わたし」で良かった。”

こんな言葉を書いた。


2019年9月。
広報の仕事を始めて、
日々言葉を発することになる。

お店やブランドとしての
言葉は書けても、
”わたし”の言葉は書けなくて。


いつのまにか
冬が来て春になって。

目の前の仕事に必死になるうちに
「自分を愛す」ことは
置きっぱなしになっていた。


言葉の企画2020。
参画してすぐ気づいたこと。

これは、HOW TO の講座じゃない。

自分の人生を企画する人になるための
半年間なんだ。


阿部さんは課題のお知らせメールや
フィードバックで、
自分に向き合うためのヒントを
たくさん贈ってくれた。

提出した課題もフィードバックも
全員分がオープンで、
仲間から学べる仕組みが徹底されていた。


自己紹介の企画では”弱さ”を、
テレビの企画では”原体験”を書いた。

スピンアウト企画で仲間ができて。


気づけばすこしずつ、
自分をひらいていたのだとおもう。


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2020年の夏。
わたしはまた、京丹後にいた。

「今までの”わたし”を
すべて活かしてやってほしい」
そう言ってもらったのが今の仕事だった。

『高校生と地域の人々が集う居場所』

自分でも、
ぴったりだとおもった。


居場所をつくること。
チャレンジを応援すること。

まだ人生経験の浅い
わたしに出来ること。

想いを聴き、
寄り添って

人と人をつなぐこと。


やるか、やらないか。
またやってきた分岐点。

そこでめぐり逢ったのが、
名前の意味だった。


【 朱珠 -すず- 】

「朱」には、
木の真ん中の赤い部分という
字源があった。

大好きな木にゆかりある
名前だったと知った歓び。

掌中の「珠」(しょうちゅうのたま)は、
もっとも大事にしているものという意味で。

数珠つなぎのような
”縁”の輪をイメージしながら、
その人の真ん中にある想いを
つなぎたいとおもった。


そして、”すず”という音。

ひいおばあちゃんが「鈴」さんで、
わたしが生まれる前に亡くなった
彼女の名前をもらっている。

初めて鈴さんの話を詳しく聴いた。

鈴さんは養子だったこと。
自身も、養子や里子を
たくさん育て上げたこと。

時代背景を踏まえなから
浮かび上がる物語は、
どれもつよくてやさしかった。

おなじ名前で良かったとおもった。

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「名は体を表す」という。

名前の意味を知って、
沁みこませてゆくことは
あたたかく幸せなことで。


今、怖さを越えよう。
人と人をつなぐことに
もう一度チャレンジしよう。

京丹後を走る車中、
首を垂れる稲穂を見ながら
そう決めたのだった。

つないでいくという言葉、すずさんにぴったりだと思いました。漢字は違うのですが、僕にも「すず」という字があります。音が引き寄せるお守りになるということを思いださせてくれました。ありがとうございます。
ユースケさん


課題提出後にいただいたコメントを読んで
溢れた涙の意味が、今なら分かる。

”わたし”であろうと
決めてよかった。



「自分を愛す」とは。
今、言葉にするとしたら。


ルーツを愛していくこと。

こう表現する。

【roots -ルーツ-】
ルート“root”の複数形“roots”。ルーツ (roots) が持つ特別な意味を以下に記す。
・発祥(起源、由来、原点)
・先祖(祖先)
・故郷(出身地)

『高校生と地域の人々が集う居場所』を
わたしたちは、”roots”と名付けた。

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ルーツを知り、
ルーツを認めること。

それは、
誰かのルーツも愛せるということ。
仲間ができるということ。


今まで歩んできた「すべて」を
”わたし”だと感じられる瞬間。

チャレンジした先に
味わうことができる幸せを、
高校生といっしょに
毎日の中で企画してゆく。


#rootsのルーツ

今、わたしは日々あちこちで
言葉を紡いでいる。

未来から”今”を振り返ったとき、
”ルーツ”だとおもえるような瞬間を
毎日の中でつくっていきたい。

個々のルーツを愛し、
自らのルーツをつくっていくために。

『当たりまえを物語にする企画』

地道に、続けていきます。

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わたしはこの文章を、
また葛藤するだろう未来の”わたし”と
自分を捉えきれていない
”あなた”に届けたくて書いてきた。

最後に、
「見てくれている人は必ずいる」
ということを伝えたい。


“わたし”のことをわたし以上に
信じてくれた親友がいる。

4年前のイベントスペースで
「最初で最後のはじまりのとき」を
主催してくれた ui

彼女の結婚式でもらったお手紙には、
こんな言葉がある。

朱珠はいつもわたしの可能性を一番に信じてくれて、背景も周りの人もまるごと愛してくれました。根拠なんて明確にあるわけじゃないけど、希望の光のような笑顔でいつも私の挑戦や新しい世界へ進む後押しをしてくれていた気がします。やっぱり一番は尾山台の夜道を歩きながら電話で話した写真展の企画。あれ、本当に人生が変わったというか田中優衣というヒトが変わったすごい出来事でした。

(中略)

あなたは本人がまだ見つけられていない希望や可能性を無条件に信じてぐーんと広げてあげられる人です。それがあなた自身の輝きに繋がると、そう確信しています。その愛の深さが朱珠の魅力です。いつも何かしらの感情が溢れ出た時に朱珠に伝えたくなるの!わたしの気持ちに耳を傾けながら、同じ気持ちで受け止めてくれるから。本当にありがとう。この繋がりが何度私を救って、愛おしいものに変えてくれたか分かりません。


日付は、2019年5月。
一年以上前のお手紙に、
”わたし”はいました。

これが”わたし”だと、
信じられるようになったのは
ごく最近のこと。

一時は思い出すこともくるしかった
イベントスペースでの写真展の経験は、
今の仕事にとても活きていて。

もしも今、自分を捉えられなくても
休みながら踠きつづけていれば、
大丈夫だと言い切ることができます。



わたしも、
大切な人の真ん中を
見ている人でありたい。

そして、
言葉にして贈る人でありたい

そうおもっています。





「書ける書けないの判断基準があるのすごいよね」

さらっと言ってくれた一言が、
このnoteのはじまり。
「書ける」と気づけてよかった。

途中言葉に詰まっても
深夜まで聴いてくれたまなみん
本当にありがとう。


最後まで読んでくれたあなたへ。
心からありがとうございます。

あなたも、あなたでいられますように。


2020.11.22 稲本 朱珠

サポートいただき、ありがとうございます! 有料noteを読んで、学びにして、また書きたいと思っています。