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#2 〇〇したい気持ちは種のようなもの

何かしたい、と想うことを
やり始められないということは
ないだろうか。

「〇〇したい」
その気持ちに嘘はないのだけれど、
すぐに始めないままに
どんどん時間が過ぎて、
やっていない自分を正当化するために
「本当は、そんなにしたいと
思っていなかったのかもしれない」
と、自分を納得させるために
言い訳をすることになる。

「ちいさなことでも、まずやり始めることが大切。少しずつでも進んでいる感覚を持てるようになって、やり続けることができるよ」

こんなアドバイスをもらっても、
動いてこなかった私。

なぜだろう?
根底にあったのは、
「怖い」という気持ちだった。

上手くいかなかったら、どうしよう。
きっと上手くいかない。
私なんかに出来るわけがない。

書いてみると、気がつく。
「そらそうだ」
どれも、その通り。なのだけれど。

「上手くいく」って何だ?

誰かに評価されること?
自分が納得すること?
どんな結果が「上手く」?
そもそも、
「〇〇したい」に
上手下手があるの?

書いてみると、気がつく。
「考えても答えのないことだ」
どれも、やった先の結果にすぎない。

だから、「始める」と決めて、動く。


〇〇したい、は種のようなもの。
そこに確かにあって、それは変わらない。

芽が出るためには、
まず水をやり、温度を保ち、
酸素を提供する必要がある。

私は、それらをやらずに
ただじっと種を眺めながら
この種は、良い種だろうか、
悪い種だろうか、と考えて
「きっと悪い種だ」と
決めつけていた
ようなものだ。

種の良し悪しなんて、
種のままだと分からない。
そもそも、
○○したい、ということは
種を評価したいわけではなく
植物を育てていくことなのだと思う。

世話をしていく中で、工夫が生まれてくる。

なかなか芽が出ないな。
水が多いのかな、少ないのかな。
温度を調整してみようか。

元気がないな。
日当たりの良いところに
動かしてみよう。陰に入れてみよう。

ただ、種を眺めていたって、
そこには行けないし、楽しくないから。

「始める」と決めて、動こう。


photo by unsplash
目の前の水面を見て、向こう側には行けないと思っていたけれど、よく見たらそれは湖で、回り道をすれば向こう側に行けるんだなと気づいたイメージで。

サポートいただき、ありがとうございます! 有料noteを読んで、学びにして、また書きたいと思っています。