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風雷の門と氷炎の扉〜あとがき〜

本編を最後までお読みいただき誠にありがとうございます。尚、ネタバレ等がありますので本編を全てお読みいただいてからこの先をお読みいただく事をおすすめ致します。

人は生まれ、死んでいく。

生まれて色々な経験をして精進し、充実した人生を送った者にも、堕落した生活をし、人に迷惑をかけて人生を送った者にも平等に訪れる「死」。

我々人類は「死」というものに対して恐怖して、未知で未解明な別れに対して恐怖して、恐怖して、ひたすら恐怖してきた。

私達は一体何故生きているのか。

私達は何故死んでいくのか。

私の妻は私との子を産んだ。

親友、新田優の妻も子を産んだ。

ここに存在する我が息子はなぜこの世に存在するのか。

親友、新田優の娘はなぜこの世に存在するのか。

そんな思いからこの物語は始まりました。

幾千にも及ぶ精子の中からたった一つの卵子に辿り着く奇跡、そんな奇跡を経て私達はこの世に存在する、妊娠〜出産のプロセスはその様によく表現される。

壮絶なレースは我々が知らない所から既にスタートしているのだろう。

ならばその世界はどの様なものなのだろうか。

ならばその思考はどの様なものなのだろうか。

私は親友、新田優にその意見を求めた。

死線をくぐり抜け、今まで生きてきた奴はこう言った。

「俺は思うんです。今俺らこうやって生きてるじゃないですか。でも、もしかしたら今この世界って俺らが生まれてくる前の世界、つまり、精子、卵子の世界なんじゃないかって…だから俺らが死んだらもしかして次のお父さんお母さんの元に行くんじゃないかな。そう考えたら…なんか色々辻褄が合うような気がしません?俺ら男は必死に女探すじゃないですか。女も男を求めるじゃないすか。まさに精子と卵子じゃないですか?俺らが精子卵子そのものみたいな?タハハ…違いやすかね…。でもそう考えたら死ぬのもワクワクしません?しませんか…タハハ…」

私はハッとした。
なるほど…

年下だけどこいつは本当に私に気づきをくれる。

ありがとう、新田優よ。

また新しい物語を作れそうだ。

そうしてこの「風雷の門と氷炎の扉」は出来上がった。

赤子は何故誕生の際、泣くのか。

頭の良い方が色々と正論を述べているが私はもう少しロマンチックに考えたい。

この世に誕生した事を嘆いて?
この世に無理矢理引きずり出された事を悲しんで?絶望して?

そう言っている著名な方もいる様だ。
この説を耳にした時は私の悲観主義な心が踊りだしたのを覚えている。
しかし、これも少し違う。
違う気がする。

「俺らがこの世から去る時、気にするのはなんだ?」

「俺らがこの世から去りたくない理由は何だ?」

「今の自分の存在が消え、また新たな生を受け取る時何が悲しいのだ?」

答えは意外と簡単だった。

自分という存在が無くなり、自分という存在が忘れられ、自分が紡いできた歴史を自分が忘れてしまうからだ。
死を経て新たな生を受け取る時に何もかも記憶を奪われるのが怖いのだ。
故に、赤子は泣く。

乳幼児の頃の記憶は抹消される。
乳幼児の頃の記憶≒前世界の記憶
そう考えるとロマンチックではないだろうか。

私達が死ぬ、その時走馬灯ととして乳幼児の記憶を垣間見える。
その時、初めて自分のルーツを知る事が出来る。
実にロマンチックではないか。

赤子が誕生時に泣くのは呼吸だの何だの科学的根拠があるかもしれない。

「忘却の恐怖」がゆえ、赤子は泣く。

とするとどうだろう。
ロマンチックではないだろうか。
今存在する皆さんの身近な人達は前世界でも繋がりがあった、そう考えると実にロマンチックではないだろうか。

貴方の隣にいるパートナーは前世界でも一緒に居たのかもしれない。

貴方の敵は前世界でも壮絶な戦いを繰り広げていたのかもしれない。

そう考えると、もっと人を好きになれるような気がしないだろうか。

いや、もしかしたらもっと人を嫌いになってしまうかもしれない。

自分の生きる意味を考え、その虚無感を味わい尽くし、自ら死を選ぼうとしている方へ。

生きる意味など考えなくて良い。
生きる意味など無くても良い。
ただ、ただありがとうと言えばいいと思う。
あなたをこの世界に送り出してくれた人はきっと両親だけではないはず。
だから、貴方に関わる全ての人へ、お礼を言い続ければ良いと思う。
どうしても生きている事に意味を見出したいのであれば、

【感謝を伝える為にここにいる】

そう意味付けをして生きていけばいい。
だから皆が皆に言おう。

ありがとう。


※あとがきまで読んでくださりありがとうございました。
次回作をお楽しみに。



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