見出し画像

乳児期という記憶の大穴

件の赤子とふれあうようになってから、自分の乳児期の様子を母に聞くことが増えた。大抵の人は3歳以前の記憶が薄いと思う。わたしも例外ではない。覚えていることといったら、昔住んでいたマンションの煤けた廊下と、公園沿いでベビーカーから見た景色くらいだ。おそらくそれも、4歳になるかならないかくらいのときの記憶だろう。
何度も日記に出しているようにわたしには姉がいるが、姉とわたしは対照的な子どもだったそうだ。姉がよく喋りよく動くのに対し、わたしは寡黙で動き回ることもそこまでなかった。今でこそ身内ではおふざけ担当になったわたしだが、初対面相手にはあまり喋らない方だし、1人が好きだ。姉は相変わらずよく喋りよく動くし、誰かと一緒にいる方が好きらしい。三つ子の魂百までとはよくいったものだ。その他にも、いつ歩けるようになったのか、いつ喋りだしたのか、何が好きだったのか……どれも20ウン年生きてて初めて知ることばかりだ。この世のことをできるだけ知ってから死にたいと思っていたが、他人しか記憶し得ない自分のことは盲点だった。
幼少期の自分を知り得るのは育ててくれた両親くらいだから、もう少し幼い頃の自分に関して疑問を持ちたい。そう思いつつ、件の赤子のあどけない瞳を見つめた。赤子の赤子時代のことを本人に話す日は、まだまだ先だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?