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アラサーで選ばれなかった「わたし」の選択

「わたしはどうしたいのか?」

流行りの映画タイトルのようなフレーズだが

それが20代後半からのわたしの口癖だ

28歳で結婚の話が出ていた彼氏にふられ

気持ちは途方に暮れながら30歳になった

全てを何となく生きてきた私にとって

なんとなく結婚できそうだった彼

人生で初めて何となくではできないことにぶち当たった

それが「結婚」だった


アラサーで選ばれない女

地元で実家暮らし
今でこそ聞くようになった言葉だが
まあまあの太さの実家
家事は母任せ、遊び惚けていた

2歳年下の彼氏は同じ職場で出会い
彼氏は優しかったし仕事ができる人だった
人望もあり、今考えるとよくなんとなくで生きていた私が付き合えたなと思うぐらいモテていたと思う
そんな彼と真剣に結婚の話が出たのが27歳の時
このまま結婚に向かって話が進むかと思ったやさき
まさかの彼氏が転職する話にすり替わった

なんで?なにがどうなったらその話になる?
と、当時はたいへんに困惑

が、今なら元カレの考えもわかる
お互いに勤めていた会社は給料が安かった
なのでおそらく
結婚→お金がかかる→今の給料では不安→転職
の思考になったのだろう
加えて私の金銭感覚も
バグってるところがあったので(今もか?)
不安は加速
それに加え
地元は田舎で元々都会に憧れがあった元カレは
転職を期に地元を出たいとまで言うようになった

地元で結婚
まあまあ太い実家の近くに家を建て
子育てをする
そんな想像をしていたから
元カレの未来予想図の話が出た時に
パリーンと
その想像がアニメのワンシーンのように崩れさった

まさか自分が地元を出る?
まったくの想定外

悩みに悩んで提案できたのが
「東京までならついていくよ」だった

元カレの話では東京に行きたいと言っていたし
東京はよく遊びに行っていたし
住むところではないとは思っていたが何となく土地勘はある
それより西は行ったことが無く未知すぎて
「どこでもついていくよ」
とは言えなかった
だから私は歩み寄った結果、東京までは行けると言った

「住めば都」
だんだんと東京に行く決心が固まりそうになった矢先

「社長の紹介で名古屋に行くことにした」

、、、、はぁ??

私の「東京までならついていくよ」は完全無視
なんでそうなるの?

でもそんなことは言えなかった
『選んでもらう』ために私は言えなかった

私はそれでもその先に結婚があると思って
東京から名古屋
何とか飲み込もうと気持ちをシフトチェンジしようとした

が、移住を決心する前に言われたのが

「別れよう」

、、、まぁそうなるよね

と思う反面、、

なんでだよ!
結婚の話→転職の話→別れ話
『結婚の話』どこいったんだよ!!!!!!
意味がわかんねーよっっっ!!!
と心の中で憤慨したが
しおらしく
「わかった、そうするしかなよね」
と言うしかなかった

こうして私は
「アラサーで選んでもらえなかった女」
になったのである


アラサーで自己啓発にはまる

元カレと別れて
さてどうしたものかと
考える日々が続く

私の何がダメだったのか
私のどこが「選ばれない」原因だたのか

私、わたし、ワタシ、、、、

そんな時「私」を強く主語に持ってくるものと出会う

それが
ネットワークビジネスと自己啓発
だった

だいたいこの二つはセットで悩んでいる人の所に現れる
相性がいいのだろう

なんとなくで生きていた私にとっては
どちらも新しい考え方で
新鮮だった

それに友達がもともと少なく彼氏もいなくなったため
暇になった
その暇を予定が埋まってるようにみせかけるために
セミナーに足しげく通った

その時に行きついたのが
「わたしはどうしたいのか?」
だった

ネットワークビジネスの方は集まりに参加したり
イベントに参加したり楽しかったが
元々セールスすることへの熱量が低かったため
そこへの気持ちは冷めていき
自己啓発への熱量だけは高くなっていった

色々な自己啓発本を読み
セミナーで聞いたマインドを実践し
変われている自分が楽しかった

自己啓発のおかげで
なんとなくで生きる=受け身
だと気付いた時
元カレが私と結婚する気になれなかったのも理解できた

ネットワークビジネスは色々なことを教えてくれたが
一番はお金についてだった
とても大切なことだったし
「世の中お金じゃない」は間違ってないが
やっぱり「世の中はお金だ」とも実感した
この考えも私には大切なものとなった

ここで悩み事が
「お金」と「結婚」
になった

ただ「お金」は生きていたらずっと悩むだろう
そうなると目下の悩みは「結婚」になる

「わたしはどうしたいのか?」


アラサー「DNA占い」に出会う

ネットワークビジネスへの期待感が下がり
自己啓発への期待感が上がってきて
二つの線が丁度交わったあたりで

「DNA占い」に出会う

「占い」とつくだけでなんだか怪しい
そう感じる人は少なからずいるだろう

簡単に説明すると
「血液型占い」や「動物占い」といった類のもので

DNAという最新のデータを元に
その人が辿ってきた歴史的ルーツから
その人の「特性」を知り
その「特性」を大まかに4つに分けてある
占い兼、心理学
それが「DNA占い」

この「DNA占い」に出会ったことで
自己啓発が格段にすすんだ

自分の弱みや強みをしることで
自己啓発だけでは打破できなかった考え方が変わっていった

例えばわたしのDNAの特性上「空気が読めない」
と日本人としては最大の弱みがあるのだが
これは空気が読める人と全く別の歴史を歩み
脳の使い方が違うために起こっているすれ違いにすぎないことがわかり
自分を否定しなくて良くなった

逆に空気が読めないことでいいこともある
周囲の意見に自分の意志が負けるこがない
嫌なことは嫌だし、いいものはいい
自分の意志がはっきりしているのだ
そう考えるとなんとなく生きてきた私だったが
流されてきたわけではなく
それなりに自分の選択でここまできたんだと
自信になった

空気が読めない自分を知ることで
新たな自分に気付けた

自己啓発にDNA占いが加わり
自己改革に専念し続けて3年がたったとき
「変わったね」
と言ってもらえた
自分でも実感していた

そして、そのタイミングで舞い込んできたのは
お見合いの話だった


アラサーお見合いをする

お見合いと言うとたいそうな感じがするが
要は「いい人紹介するよ」である

相手もDNA占いを勉強していて
彼女募集中だったので紹介してもらった
DNAは同じタイプの人

紹介してくれた人がしきりに
「仕事はできる人だよ!」
と、仕事できるアピール

会ってみてなるほど
癖強だな
別の場所で出会ったら
この人と連絡取ろうとはならないタイプ

何回か会って話せば話すほど
粗が目立つし癖は強かった

けどDNAが同じタイプ
彼の言動を理解できる部分もあった

それに自分もこう見られてるんだろうなと思うと
客観的に自分のDNAタイプを感じれて
勉強になった

DNA関係なく仕事できるのは人として大事
結婚するならなおさらだ

価値観はこのマイナーなDNA占いを勉強してる時点で共有できている

困ったら仲人(DNA占いや彼を紹介してくれた人)がいる
問題がおきたらDNAの特性の観点からアドバイスしてくれるし
どちらかに片寄った判断もしない

不安はあったが私にとって好条件がそろった

よし!
この人と結婚を前提にお付き合いしよう
そう決めたのは32歳になる年だった


アラサー結婚する

決めたら早かった
とんとん拍子に話が進み
33歳の誕生日を迎えて
入籍をした

そして入籍と同時に神奈川に移住
夫が神奈川で仕事をしていた兼ね合いで
自分が福島から出た

元カレと結婚の話の時
あんなに地元を出ることにナーバスになっていたのに
あっさり移住

しかも東京を飛び越えて神奈川
人生何があるかわからない

もっと人生ってわからないを言えば
37歳になった今
関西の兵庫県に移住した

名古屋までも飛び越えて
西に来てしまった

ほんと
人生って何がおきるかわからない


アラサーが気付かせてくれたこと

なんとなくで生きてきて
わかったのは
その時は楽しいがそれは長続きしない
ということ

問題が起きると良い方向にはいかないし
「なんとなく」解決することはなかった

じぶんはどうしたいのか?

そんなあたりまえの考えに気付くのに
28年かかった

けど、そう考えだしてから
目の前にある「選択」に対して
「選択権」を手に入れることができた

元カレと結婚するかしないか
私には選択権がなかった
「どうしたいか」悩んでいた
元カレに選択権があった

「選択」の先には「決断」が必ず待っている

人は常に「選択」をしていかなくてはいけないが
「選択」が目の前に来た時
「どうしたいか」がないと「選択権」がない
なぜなら「どうしたいか」がないと「決断」できないからだ

「決断」できない人に「選択権」は預けられない
それが世の常だとわたしは感じている

元カレは「どうしたいか」を考えていたから
私との結婚に「選択権」があり
「する」か「しないか」のどちらかが選べた

私はもちろん結婚はしたかったが
それも世間的な「30までには結婚したいよね」
のなんとなくな風潮の延長にすぎず
それは「自分がどうしたいか」を考えた末の答えではなかった

だから私には「選択権」がなく
相手の一挙手一投足を見てるしかなかった

見てるしかなかったのに
自分にも「選択権」があるものと勘違いし
周りには
「彼と結婚してもこんなにころころ意見が変わるなら結婚しても苦労しそうじゅない?だから彼と結婚するかすごい迷う」
などとほざいて
さも「自分はちゃんと考えてます」
自分には「選択権」があります
みたいなことを言っていた

勘違いも甚だしい
若いって恥ずかしいこと
って誰かが言っていたような気がするが
まさにそれだ

ただ、この経験がなかったら
そこには気付けなかった

なんとなく生きてきて
初めての挫折が「結婚」だった

でも「どうしたいか」を考えたら
達成できたのも「結婚」だった

ついに私も「選択権」を貰えたのだ


アラサー、アラフォーになる

33歳で結婚してはや4年
あっという間に37歳
アラフォーになった

新婚をコロナとともに神奈川で過ごし
今は兵庫で新生活が始まった

28歳のとき「選択権」があったら
何を選んでいただろうか?
元カレとの結婚を選んでいただろうか?

人生は常に「選択」しなければいけない
だいたいは「やる」か「やらないか」の二択

ネットワークビジネスが目の前に現れたときも
自己啓発が目の前に現れたときも
DNA占いが目の前に現れたときも

「とりあえずやってみる」
がわたしの選択だった

結局「どうしたいか」なんて
28年まともに考えてこなかったから
わかるわけがないのだ

だったら「どうしたいのか」わかるまで
目の前にきた「選択」を
「とりあえずやってみる」しかなかった

この「とりあえずやってみる」
は人生の経験も増やしてくれたし
知識も増やしてくれた

「わたしはどうしたいのか?」

つまりこの言葉が私にいろいろなことを
経験させてくれたのだ


「わたしはどうしたいのか」

未知の経験が目の前に現れたとき
人は「やらない」選択をしがちだ

ただ「やらない」を選択してしまうと
それがどんなものなのか
自分に必要か、それとも必要ないか
自分にとって意味のあることか、意味のないものか
の判断はできないのだ

「やる」先にしか
それらの答えは見つけられない

なんて偉そうなことを書いたが
所詮、9年そこそこで経験したことの話

わたしはまだまだ
「わたしはどうしたいのか?」
と問いかけながら生きるだろう

「わたしはどうしたいのか?」
その先の「選択権」

私の人生に大きな転換をもたらしたのは
間違いない


著:すだみなみ

#あの選択をしたから

ここまで読んで頂きありがとうございました
古い記事では「DNA占い」(旧DNA歴史心理学)
について何個か記事を書いてます
(だいぶ書き方がちがいますが、、)

「DNA占い」気になった方はそちらの記事も読んでみてください
 ⇩一番最初に書いた記事です


        ⇩「DNA占い」を提供しているところ

  ⇩ライン登録していただくと簡易的にあなたのDNAタイプがわかります

#自己啓発
#DNA
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