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外食産業を一つの大きな共同体として認識してみるならば・・・

宇宙一外食産業が好きな須田です。
 
昨夜は、かれこれ25年来の友人とベンチマークをしていました。
 
彼が独立する時には、お店のプロデュースと設計・工事までお手伝いさせていただき、撤退するときも不動産交渉と居抜きで販売することのサポートもさせていただきました。
 
そして今、新たなプロジェクトがスタートするので、その案件の重要なポストを担うメンバーとしてクライアントにご紹介し、メンバーに加わってもらいました。
 
非常に信頼しているメンバーです。
 
 
さて、昨夜のベンチマークは、このプロジェクトの一環として非常に気になっている立飲み業態をリサーチしてきました。
 
メインの通りに面したオープンな雰囲気の1階の物件で、中に入ると正面すぐのところにオープンキッチンとカウンター席があります。
既に8組ほどのお客様がいらっしゃって、人気店であることがすぐに理解できました。
 
一通り気になるものをオーダーし、となりのカップルさんとも会話をかわしながら、彼らが飲んでいた興味深いお酒なんかもオーダーしていました。
 
立飲みで2時間半ほどいて、腰がやられました。
 
途中で腰がつらくなり、お隣のカップルさん替えられたので、使っていたカウンター椅子をもらい受けて長居をしていましたが、帰りの電車でやっぱりつらかったです。
 

昨日のリサーチは、我々2人ともに外食マンなので、リサーチが脱線することもなく最後までシビアにデータをとることが出来ました。


 
クライアントに同行する時とプロ同士のリサーチでは、やはりその密度が違ってきます。
 
 
一通りデータを収集しながら、最近の外食を取り巻く環境についての議論が始まり、2人して熱く語っておりました。
 
カウンター越しに店長さんもその話を興味深く聞いており、盛んに深くうなずいたり、声を上げて笑ったりもしていて、積極的に話に参加はしていませんでしたが、でも十分に参加をしている様子でした。
 
その席上で、私の考えを彼に伝えたところ、非常に感激をして賛同してくれました。
 
今日はそんなお話をしたいと思います。
 
 
どのようなことかと申しますと、ここのところコロナが沈静化してからの外食の状況を見ていて、非常に懸念していることがあります。
 
 

それは全体的にホスピタリティの質が低下しているように感じられます。


 
勿論、私があるきっかけでホスピタリティに関しての疑念がわき、その影響で脳がそのようなシーンばかり引き寄せている事実はあるにせよ、それ以上に全体的にホスピタリティの質が低下しているように感じます。
 
 

先だっても仲間のコンサルタントにそのようなことを伝えたところ、彼も同様に強く感じていて、「須田さんそれはもうしょうがないよ、だってコロナでどこの店もスタッフを切ってしまい、コロナが空けて急いで人を補充しているんだから、スタッフ1人ひとりのサービスレベルの低下はやむを得ないよ、これから良くなっていくんじゃない。でも全体的には酷いよね」と。


 
 
確かに彼の言うことも一理ありますが、これから良くなるにせよ、この現状をどうするのかの視点も必要です。
 
実際によくするためには、スタッフに対してしっかりとトレーニングをしてあげる必要があると思いますが、この人手不足が深刻な状況下で教育までは手が回らないと思います。
 
現場の中で、実地で学んでいってもらうしかないのも事実です。
 
ただ言えることは、時間がかかることと、“正しいサービスとは”ということを学べない危険性は高いと言えます。
 

教育は全てに優先する事案でもあります。


 
 
人手不足の解消と教育は一対のテーマですね。
 
 

次に、リサーチをしながら話していたことは、飲食業のこれからの在り方のようなことでした。


 
昨夜同行していた友人も、かれこれ30年近く外食業に従事しています。
 
私はと言うと、もう45年の長きにわたって外食業にかかわっております。
 
16歳で結構式場のドアボーイのアルバイトから始まり、気づけばもう45年です。
十二分に長いですね。
 
そんなに長い期間かかわっていても、未だに飽きないでいることが、自分に対しての驚きでもあります。
 
元来飽きっぽい性格の私が、外食だけは45年経ってもまだまだ学びたいですし、いくつになっても興味深く感じています。
 
 

何よりも“外食欲”が強いです。


 
 

勝手な造語ですが、外食に対する探究心とか興味とか、サポートの面からも、消費者としての認識も、経営者としての概念も含めて、外食に対する欲がまだまだつきません。


  欲が枯れるということがありません。

 

もうこれは間違いなく「天職」の領域であり、一生を通じて全うしていくことなんだろうと嬉しく感じています。


 
 
61歳になっても追い求めるものがあり、追求したいテーマがあり、それをできる環境になることが私は自分を振り返ると最高に幸せだなぁと思います。
 
 
矢沢永吉が、ある時ふと思ったと言っています。
 
 
「あっ、俺には音楽がある。神様が俺に音楽をくれたんだ」
 
 
このように感じた時があったそうです。
インタビュー記事で読みました。
 
これを読んだときに電流が走り、自分自身も同じだと感じました。
 
「あっ 俺には外食がある、神様が外食をなんとかせい」と言っているんだろうと感じました。
 
 
「やることがある人間は1年が早いよ」とも矢沢永吉入っていますが、これにもひどく同感します。
 
ホント、気付けばもう今年も暮れですからね、あっという間です。
 

そんな長い時間外食産業と共に人生を歩んできた私が最近思うことは、外食産業ひとつで大きなファミリーだよねってことです。


 
 
オジサン何言ってんのって感じかもしれませんが、ちょっと解説していきます。
 
先だっていつものUSENさんのセミナーでのことですが、質疑応答の際に「どうしてこんな誰もがマネできるノウハウを教えているんですか、これだとライバルもみんな儲かってしまうじゃないですか」と、非常にユニークな質問がチャットにアップされました。
 
面白い事を考える方だなぁと感じながら回答したのですが、「ハイ、それは外食産業の成長を心の底から願っているからです。」と答えました。
 
時間の関係上、これ以上の解答は出来ませんでしたが、その時に私の頭の中の絵は、次のようなことを描いておりました。

私のセミナーを聞いて、まず誰かのお店が良くなっていただきたい、今回参加してくださったどなたでもいいので、1件でも多く業績が向上していただければと思っていました。
そして良くなったのならば、そのやり方を隣のお店に教えてあげてください。するとあなたの知識の質が高まります。
 
こうやってみんなが良くなることを伝えあっていけば、その地域の飲食店がきっと盛り上がりますよね。
 
すると、その街にやってくることが楽しくなる、そんな人達が集まり出しますよね。
人が集まりだすと、もっと人がやってくるようになりますよね。
 
するとその町の飲食店は大きな一つの共同体として、お客さまを全体性をもっておもてなしができるようになるであろうと。


私の頭の中には瞬時にそんな絵が描かれていました。

ですから、大きな共同体と考えれば、ライバル店とか、少ない客数を奪い合うとか、業績や集客力の優劣を競い合うとか、そのようなステージから脱却して外食産業を捉えることができるんじゃないかと。
 
マーケットが縮小しているとかというのは幻となり、利用頻度の高まりからマーケットは活性化するのじゃ感じました。

 

すると、もっと大きな知見で、もっと高い視座から広い視野で物事を捉えられるんじゃないかなと思います。


あなたもそう思いませんか。 

外食産業を一つの大きな共同体としてみると、お客さま全てをこの大きな共同体でおもてなしをしているという新しい考え方も成立する気がしませんか。


それぞれのお店が、それぞれのお客さまをおもてなし、今日ウチは満席でこれ以上のおもてなしは出来ないけれど、隣があるおかげでお客さまは楽しい体験をすることが出来たんだなぁと。
 
すると、どこかでライバルと感じていたお隣さんが、まるでチームメイトのように感じることが出来ませんでしょうか。


 
 
そのようなことを昨夜友人と話していましたが、この話に彼はすごく共感してくれてました。
 
「須田さん、その考え方ってすごくいいですね!」 
「外食産業が1つの共同体として、みんなで全店で協力して助けあってお客さまをもてなすって考え方、新しい外食の在り方に感じます。」
 
 
と、感想を語ってくれました。
 
 
おかげでついつい飲みすぎて、立ち飲み屋さんで14,000円以上も使ってしまいました。
 
客単価を上げるセミナーを定期的に開催しておりますので、客単価7,000円オーバーは自身のセミナーの内容を実証しているようで、気持ちが良かったですが、少し飲みすぎました。
 
 
飲みすぎるぐらい、熱く語っていた2人でした。
 
 
で、改めて感じたことは、外食の本質はやはり、コミュニケーション業だなぁと感じた夜でした。
 
 

外食産業が1つの大きな共同体。
 
この概念を浸透させていこうと、深く認識できた夜でした。



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