“言葉での自傷”と“セルフ埋め合わせ”について


 こんにちは。蒸し暑くなってきましたね。かと思えば、まだまだ肌寒い日もあったり。体調を狂わされている人も多いことと思います。


 ところで、


 『私なんか』が口癖になっていませんか? 口に出さずとも、心の中で『私なんか…』とそればかり考えてはいませんか?


 私なんか、どうせ何やってもダメだし。私なんか、社会のゴミだし。私なんか、みんなの嫌われ者だし……

 だから、死にたい。だから、消えたい。生きててごめんなさい……


 そんな風に考えてしまってはいませんか?

 だとしたらそれは、“言葉での自傷”です。言葉のナイフ、なんて言ったらポエミーすぎる気もしますが、要は言葉のナイフで自分の心を切っているのです。リストカットの刃物を言葉、手首を心に置き換えた状態です。


 言葉で自傷してしまうあなた、
 あなた自身を言葉で踏みにじってしまうあなたは、
 なぜそんな、自分を痛めつけるような真似をするようになってしまったのでしょうか。

 わたしは、自分を踏みにじってしまう人は、これまでに他者から踏みにじられた経験を重ねてきたのだろうと推測します。
 だって、わたしもそうだったからです。


 そう。『私なんか』という厄介な大木があなたの心の中に育ちはじめたきっかけ=種は、

 『お前なんか』

なのです。

 お前なんか、いなくていいのに。お前なんか、どうにでもなれ。お前なんか、生まれてこなきゃよかったのに……


 そうやって、お母さんに、お父さんに、先生に、いじめっ子に…

 『お前なんか』

と言われたのと同じナイフを自分の手に持って、自分の心を切っているのです。

 自分でもコントロールできないくらい育ったネガティブな大木=『私なんか』に人格を、思考を、行動を、乗っ取られている状態が、言葉で自傷している最中のあなたなのです。


 だから、まず、自分だけのせいでネガティブな思考回路ができあがったわけではないことを認識してほしいです。

 自分だけのせいじゃないと思うだけでも、心の持ちようが違うはずです。あかるく拓けて来るものが何か少しはあるはずです。


 …でも、あなたのことを『お前なんか』と罵った人が、あなたに償ったり、埋め合わせしてくれる可能性は、正直、低いです。
 『お前なんか』と人に平気で言うような人は、高確率で罪悪感・発言への責任感が欠如しているからです。
(一度、話し合ってみることには意味はあると思いますが…) 

 だから、自分で“セルフ埋め合わせ”をしていくほうが、正直、手っ取り早いんです。


 “セルフ埋め合わせ”とは、自分で自分を大事にしてあげることです。自分の傷を自分で癒やすことです。


 もちろん、独りぼっちで頑張る必要はありません。カウンセラー、精神科医、就労支援作業所、グループホームetc...頼れるものは頼れる限り、頼りつくしましょう。


 でも、そんなことを言われてもあなたは納得がいかないかもしれません。


 だって、あなたの心に埋め合わせなきゃいけないような穴が開いてしまったのは、あなたのせいではなく、あなたを虐げた人のせいだからです。

 納得がいかなくて当然です。


 なんで私が自分で自分を埋め合わせしなきゃいけないの? 
 お母さんが、お父さんが、先生が、いじめっ子が、
 責任とって埋め合わせしてよ!!

 そう怒りを覚えて当然です。


 でも、その納得いかなさを一旦、隅に置いて、自分を大事にする=セルフ埋め合わせをしていくことで、これまでずっと閉じていたドアが開くはずです。

 ドアの向こうは、光に満ちている…というと嘘くさいですが、
 少なくとも、今、見ている世界よりは明るいはずです。


 (追記:でも、自分を大事にするなんて、そもそも、どうやったら大事にできるのか、やり方がわからない人が多いと思います。わたしもそうでした。
 説明書が欲しいくらいですよね。いつかわたしの手で説明書を書けるくらいまで、研究を深めていきたいです。
 また、わたしがどうやって自分を大事にできるようになったかの話も書きたいです。)


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