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「読みやすい」文章を書くための、すぐに実践できる5つのポイント

仕事でも知人同士のやり取りでも、町内会のちょっとした取り決めでも、
誰かに何かを正しく伝えなくてはいけない瞬間が日々あると思います。

1対1のやり取りであれば、丁寧に細かく説明できると思いますが、
大勢に何かを伝える時には、基本的に文章で伝えることになると思います。

一生懸命書いて、「これで伝わるだろう」と思っていたら、
全然伝わっていなくて、結局何度も口で説明し直すなんてこともよくありますよね。

その原因として、
「文章の読みにくさによる誤読」
「読みにくさが原因で、そもそも読まなくなってしまうこと」
があります。

僕が普段教えている生徒たちは非常に多様な学力レベルですが、
多くの生徒が共通して理解できない、あるいは誤読してしまう文章の傾向というのが存在します。

そのような「読みにくい文章」を読めるように指導していくのが僕の仕事なのですが、
文章の書き手としては「読みにくい文章」はできるだけ避ける必要があると思っています。
彼らの傾向は、多くの人たちにも当てはまる傾向でもあるので、「読みやすい文章」を書きたい人には参考になると思います。
以下、避けた方が良い5つのポイントと、その理由を書いていきます。

①主語と述語のセットは1つの文に1つまで

文が長くなればなるほど、伝わる可能性は低くなります。
短い長いの基準は文字数で判断するよりも、主語と述語の数で考えると良いと思います。
「え、そんなこともできないの?」と思う人もいるでしょう。
主語と述語の関係を正確に把握することは、難し過ぎることでもないですが、練習しないとできないことでもあります。
みじん切りが出来る人は沢山いるとはいますが、練習無しではできませんよね?

「練習すれば誰にでもできるかどうか」と「実際に全員ができるかどうか」は一致しません。
難易度が低いからといって、出来る人が多数派というわけではないんですよね。

【ダメな例文】
「僕は彼が犯人だと思っていたが、彼女の考えはそうではなく、犯人は他にいると考えているようだった。」
という文章は1つの文に主語と述語のセットが5つあるので、多過ぎます。

【改善後の例文】
「『彼が犯人だ』、と僕は思っていた。しかし、彼女の考えは違った。『犯人は他にいる』と、彼女は考えているようだった。」
のように主語述語のセットを1つにすると読みやすくなります。

②主語は「絶対に」省略してはいけない

何度も何度も同じ主語を書くと、書き手としては「野暮ったいな」と感じると思いますが、「絶対に」省略してはいけません。
文章を読みながら、瞬時に省略された主語を正確に把握することは、「かなりの高等技術」です。
野球経験者であれば、ボールを落とすことなくキャッチボールを30回行うことは簡単だと感じるでしょう。
しかし、経験者以外の人は30回のキャッチボールの途中、何度か取りそこねたり、変な方に投げてしまったりします。

省略された主語を1回でも読み違えるだけで、内容理解は変わってしまいます。
また、「主語が何かを考える」時間が生じると、読み進めるのが苦痛になり、途中で読むのをやめてしまいます。

【ダメな例文】
「ある作家は大きな文学賞を取るまでは、日々の暮らしのために時に盗みをすることもあったと、読んだことがある。」

読める人にとっては
「ある作家が、成功するまでに生活に困窮していたことについて、筆者が読んだ」
という内容を読み取れると思いますが、
そこまで読み取ることは、やはり「かなりの高等技術」です。
実際、【ダメな例文】の「読んだことがある」の主語を「作家」だと認識してしまう間違いは良くあります。

【改善後の例文】
「ある有名な作家は、大きな文学賞を取って有名になる以前に、生活のために盗みをすることもあった、という話を私は読んだことがある。」

改善後のように主語を明確に言い直した方が良いです。

③否定語は可能な限り減らす

否定語は思考の過程が1つ増えるので、否定語が多い文章は読み手の思考メモリを食いつぶしてしまいます。

【ダメな例文】
「彼以外の未成年の学生のうち、決して少なくはない人数が、異性との交際経験がないという事実は、私にとって特に信じがたいことではなかった。」

みたいな文章はもう、ヤバイですね。
地雷原でサッカーするくらいの危険度です。

「以外」「未成年」「少なくはない」「異性」「信じがたい」
は全て無駄な否定語なので減らしましょう。

【改善後の例文】
「『13〜19歳の多くは恋愛をしたことがない』という事実は私にとって当たり前のことだった。」
改善後のように否定語を可能な限り減らした方が良いです。

④副詞と形容詞は使わない

使ってはいけない理由は2つあります。

1つ目の理由は、動詞や名詞に比べて、語彙として難しいことです。
使えば使うほど、意味を捉え間違える可能性が高くなってしまいます。

もう1つの理由は「副詞と形容詞が何を修飾しているのか」を理解することは、やっぱり「かなりの高等技術」だからです。
語彙としては正しく認識できても、何のためにあるのかがわからなくなってしまうと、「読みにくい文章」として認識されてしまいます。

⑤指示語も使わない

指示語も否定語と同様に、思考の過程を増やしてしまいますし、正しく認識することは意外と難しいです。
とにかく読み手の手間を増やしても良いことはないですね。

【ダメな例文】
彼は笑顔で挨拶をしてくれたが、その表情は印象的だったし、そのセリフも私の心を打った。

【改善後の例文】
彼は笑顔で挨拶をしてくれたが、彼の笑顔は印象的だったし、彼の挨拶の言葉も私の心を打った。
一緒に見えますが、このちょっとした違いでグッと読みやすくなります。

これらの5点を意識するだけでも、「読みやすさ」は圧倒的に変わります。
半信半疑の方は、まずは即実践して、効果を感じてみてください!

実践的なことは以上になりますが、(今後追記するかも)
複数の読み手を想定した時に、書き手が意識として持つべきこととしては、

読み手に考える余地を残してはいけないこと
ほとんどの人はそもそも文章なんか読みたくないこと
文章を読むことが好きというだけで、少数派であること
文章を書く人間にとっての当たり前の基準は超少数派の基準でしかないこと

あたりでしょうか。


以下は余談です!

坪田塾で働き始めてから、僕は文字・文章について認識を完全に改めました。

ほとんどの人にとって文字は目に映るだけの記号でしかないのです。
読んでもせいぜい単語までです。
それがむしろ多くの人にとっての基準です。
良い悪いではなく、そういうものなのです。
文章としてメッセージを届けたいのであれば、計り知れない技術と工夫が必要なんだと知りました。

皆さんに届けられている文章は超一流の技術が込められているから、文章として届いてるだけであって、
上っ面だけ真似をしても、記号の羅列にしかならないんですよね。

より多くの人に届く技術が意図的に込められている作品としては、
「ビリギャル」はやはり凄いです。
あらゆるレベルの生徒の読解力を研究してきたからこその工夫がいたるところでされています。
「読みやすさ」と「メッセージ性」をこれ以上ないくらいに高いレベルで両立しているからこそ、ベストセラーになったんだと思います。
書き手の目線として読んでも、とても勉強になると思います。


「夢をかなえるゾウ」でおなじみの水野敬也さんの作品も「読みやすさ」と「メッセージ性」の両立レベルが異常ですよね。
ブログの文章力も凄いです。


最近絵の練習をしているのは、文章だけでは伝える力に限界があるのを感じたからでもあります。

どっちの方が良いということではなく、選択肢として選べる、組み合わせられるというところを目指していきたいと思ってます。

長くなってしまいましたが、そんな感じですー!

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