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ダイバーシティナイトでマイノリティになった話。

勉強会に行くと受付で虹色のロゴの缶バッジがもらえる。
数年前から、同性婚について勉強したいと地元の市民団体の集まりにちょこちょこ参加していた。同性カップルを取り巻く法律や条例、失礼にあたらない言葉遣いや考え方などの基本的なことから、当事者の生の声まで聞けたならと思ったからだ。LGBTQ+だけではなく、身体障がい者、子どもの貧困、教育の格差などテーマは様々だったが、どれも興味深く有意義な時間だった。参加する人の中には大学の教授や自治体の職員さん、地元の議員さん、企業の経営者さんなど有識者と呼ばれる人たちも多かった。平民の私としては恐縮しながらも、そこはダイバーシティ、誰でも臆することなく参加できる雰囲気だった。

同性婚について考える

この夜は、同性婚に詳しい大学教授をゲストに招いて【同性婚について考える】という私的に本命のテーマ。「お、今回は結婚の話か!」と意気揚々と出掛けた。

男女以外は結婚(法律婚)できないことによる不公平や不便なこと、最近の裁判事例、パートナーシップ条例がある都市、その効果や当事者の声などの講義をふむふむと聞いていると、1人の人が手を挙げて質問した。

「今日の先生方は同性婚に賛成の立場だと捉えてよいのでしょうか」
同性婚について考える会なのだから当然、同性婚を推進するためにはどうしたらいいか、理解を深めていこうという主旨なのだと思っていたのだが違うのか?? 

自らゲイだとカミングアウトしている主催者の教授は「同性カップルのすべてが結婚したいと思っているわけではない」と言った。愛し合っているのに結婚できなくて可哀そうと決めつけないこと。つまりは結婚制度そのものへの疑問である。

しかし問題は、選択肢がない事なのである。結婚するかしないか選べない。パートナーシップ条例でさえも無いならば、民間レベルで、社会的に公認されるべく結婚式を挙げて祝ってもらえるように、一緒に暮らす部屋を借りられるように、保険に入れるように、病院に見舞えるように、共通の家族や財産を持てるように・・・小さな一歩から踏み出す方法や取り組みを聞きに来た。結婚したくない人には関係ない話でも、結婚したい人を応援したいという話をしにきたのだ。

そもそも結婚とは何なのか。

事実婚、夫婦別姓をあえて選ぶ男女もいる今の世の中で、結婚の意味や夫婦とパートナーの違い、その答えを持ち合わせる事すら危うい。

「極秘交際スクープ!」から途端に「結婚おめでとう!」となる不思議。法律で認められて守られて、社会が応援してくれて、ふたりで堂々と手を繋いで生きていける。その公認とやらを手に入れることなのか。どこぞに所属している安心感を手に入れるのが目的か。お互いの不確かな約束を正式な契約にするのが目的なのか。

ウェディング業界では、同性カップルの結婚式をもっと普及させたいという企みに、世間の風潮だったり法律の後押しがあったらスムーズだ。「儲かるのでは?」というビジネスの話でもあるが、それだけではない。ちゃんと知識や理解を持って臨みたい。少なくともハッピーな話ではないか。

結婚がすべてと言っているわけではないし、結婚=結婚式ではない。そんなことは最初から百も承知である。

教授は憲法や戸籍制度が云々というが、それは頭のいい人が教室で考えて、本でも出してくれ。そんな議論をしていても一向に進まないのだ。

ここでは私がマイノリティだった

結婚とは何か。そんな基本的なことで頭がグルグルしているうちにその会は終わり、時間がある人はこの後二次会にどうぞという事になった。

煮詰まった議論は一旦置いて、ご飯を食べながらざっくばらんに。特に知り合いはいなかったが私は二次会にくっついていった。

カジュアルなカフェバーでピザなど食べながら、集まった人たちが当事者なのかアライなのか、はたまたどんな立場かも知らず雑談が始まった。自身で言わない限り素性は聞かないのがルールだ。私が結婚していてさらにウェディング関係者だと知っているのも主催者の教授だけだった。

オフレコの勢いで、ゲスト教授がこう言った。
「私、友だちの結婚式に一度も出たことがないの」

結婚式って衣裳を見せびらかしたりキャンドルサービスやらプロジェクションマッピングやらバカバカしい演出ばかりで全く理解できない。考えただけでも気持ち悪い。だから招待されても絶対出ない、と。

気持ち悪いって言った?
私は結婚指輪をした手をテーブルの下に隠した。ここでは私がマイノリティだ。先程の参加者からの質問の意味がようやくわかった。
「それは友達じゃない。」そう言いたかったが言えなかった。


ダイバーシティの裏側

披露宴の演出はバカバカしい。それは否めないがそんな小さな事はどうでもいいではないか。友だちが好きでやっている、幸せそうに笑っている、それを祝えない理由は何か。この人は本当は結婚したいけどできない理由を持っていて、ひがんでいるのか。最大限に良いほうに捉えてそう思ってみたが、センシティブな事に触れかねない。言葉に配慮しなければいけない。ちなみにもう一人のゲイの教授は「私は結婚式出ますけどね」と笑っていた。

例え友だちでなくて赤の他人でも、自分と違う価値観を尊重しようというのがダイバーシティの考え方ではないのか。「私はこんなダサイ結婚式しないけど友だちはする。」ただそれだけのことではないか。


結婚式がバカバカしくても、友だちの人生はバカバカしくない。
たとえ結婚制度自体が理解できないとしても、友だちの笑顔を見るのは単純に嬉しいことではないのか。

……と思うが、それも人それぞれ多様性なので、博学の教授に物申すことはない。(が教えてもらうこともない。)人は人。私は私。

私は大いに失望して、その場を出た。

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