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下町風情ある小学校の思い出


長崎県の片隅、海の見える小さな田舎町で幼少期を過ごした。

前を見れば海。後ろを向けば連なる山。

家の前をニホンザルがノッシノッシ歩いていることもあった。

どこまでも静かな、ど田舎の町だった。

一番近いコンビニでも、徒歩20分はかかる。さすがに小学生がそこまで歩いてお菓子を買いに行ったりはしない。


だいたいは、車に乗って家族とスーパーに行ったときに買ってもらうか、生協。


コンビニみたいな、商店みたいなものが一軒だけあって、そこが唯一子どもたちがお菓子を買うところだった。そこも閉店してしまったけれど。


そんな、静かで穏やかな時間の流れる、海の見える町に住んでいた。


町に一つだけあった小学校。

校庭から見上げた空は果てしなく広く感じた。


もちろん遊ぶところは公園か友達の家しかない。


公園で木登りしたり、家族ごっこをしたり、ゲームをしたり、友達の家でファッションショーをして遊んだり。まあそんな感じだったかな。

でもその小学校に通ったのは2年だけだった。



親の仕事の関係で、「海の見える町」から長崎市の中心部の街へ引っ越すことになった。



泣いて喚いて抗議したけれど、そんなものは無駄で、結局引越し・転校することになった。



「海の見える町」から引っ越すのも、もちろん悲しかったのだけど、当時の私にはそれ以上に「転校」が嫌で仕方なかった。

転校する時に皆んなに注目されて嫌だし、勿論転校先の小学校でも、「転校生」として注目されるのがとにかく憂鬱だった。

黒板に自分の名前が書いてあって、前に立って「みなさん、新しいお友達ですよ」
って紹介されるアレ。


全校集会でも皆んなの前で紹介されたりして、本当に恥ずかしかった。



3年生から通った小学校は市街地にあって、商店街、港、繁華街、中華街なども近かった。


コンビニもいくつもあるし、飲食店はそこら中に数えきれないほどあるし、夜の街だってあるし、お土産屋さんもお菓子屋さんもあるし、観光客も沢山来るところだった。

今まで暮らしていた、海と山しかないような田舎町とは何もかもが違う環境だった。


この、転校した先の小学校での思い出が結構濃かった。


この小学校の人数は少なくて、ひとクラスが10人ほど。

全校生徒も80人くらいで、全員が全員を知っているような温かい雰囲気があった。

(ちなみに今はその小学校は児童の減少により、近くの別の小学校と合併している)



人数が少ない分、その一人ひとりを先生達はとても大事にしている印象だった。

特に校長先生は子供たちを本当に愛しているのが、私も子供ながらによく分かった。



それから、驚いたのが皆んなの放課後の過ごし方だった。

都会の小学生たちの生活。

毎日が新鮮だった。

学校の近くに、なんと「駄菓子屋さん」というものがあり、みんなそこにお菓子を買いに行くのだ。

ここでアイスやお菓子を買って、公園や友達の家に行く。

コンビニでお菓子を買うこともある。


お菓子を買うお店があるというだけで、私にはかなり新鮮だった。


それから一番驚いたのが、「お好み焼きを食べに行く」という文化が小学生にあること!!


下町情緒あふれる……!!

高学年になると、学校が休みの日に友達と遊ぶときは、お昼ご飯として、普通に子供達だけでお好み焼きを食べに行く。

小学校の近くには、お好み焼き屋さんが2軒あった。

一つは学校の真横。
おばあちゃんが目の前で焼いてくれる「広島風お好み焼き」の小さなお店。


大きなL字型の鉄板を囲むように椅子が置いてあって、店主のおばあちゃんが手際よくお好み焼きを作るのをじいっと見つめる。

出来上がったお好み焼きは、箸も取皿も使わず、大きなヘラで鉄板から直接食べる。

家も近く、私はここによく行っていた。
小学生でも気軽に来れるような値段で、このお店が大好きだった。
今でも、お好み焼きはどちらかというと「広島風」派だ。

もう一軒は、商店街にあるスタンダードなお好み焼き屋さん。
お座敷になっていて、各テーブルに鉄板があって、自分たちで焼くスタイル。

同級生たちが慣れた手つきでお好み焼きを焼いていく。

最初に魚介やお肉を焼いてから生地を焼くんだよ、などと教えてもらった。

仕上げにテーブルに置いてあるソースやマヨネーズで蜘蛛の巣など様々な模様を作る。

「おぉ……!!」と思いながら私はそれを見る。

このお店に来ることは少なかったけど、こっちのお店の方が、少し大人になった気分。


こういうのに慣れている同級生たちが、大人っぽくてカッコよく見えた。


それから、商店街にあるケーキ屋さんの生キャラメルやクレープが安くて美味しいと友達が教えてくれた。
駄菓子屋さんではなく、時にはケーキ屋さんでそういうお菓子を買っていくこともあった。


おすすめのコンビニのお菓子や、このお店のアイスが美味しい、とかそういうのも友達が色々教えてくれた。

かまぼことか、天ぷらとか、お餅とかを買って食べていたような気もする。
あっ、それは違ったかな?……曖昧な記憶。

とにかく、ど田舎から転校してきた私にとっては、都会の下町ならではの小学生の文化が新鮮だった。

なんだか大人びていて、驚きに満ちていた。


小学生。今思い返せば、結構楽しかった。
ちょっと、戻りたいなぁ。


こうやってお菓子を買って、友達の家に集まって、食べながらダラダラと交代でゲームをしたり、漫画を読んだり、おしゃべりしたり。

なんてことない放課後。
ダラダラ過ごす放課後。


将来のことなんて、まだ考えなくてよかったあの頃。


今は、もっと小学生のうちからこういう勉強をやっておけば良かったとか、こういう習い事をしていれば良かった、と思うことは多いけれど。

それでも、こんな風に友達とダラダラ過ごした放課後の思い出は、今でも宝物に思う。



最初は嫌で嫌で仕方なかった転校。

でもこうして新しい人たちに出会って、新しい文化に出会って。


転校してからの街中の学校での思い出は、本当に濃い。

クラスの人数が少なかった分、一人一人のことを今でも鮮明に覚えている。


しかも小6の時は、副生徒会長をした。

本当は生徒会長になりたかったけど、くじ引きで負けた。

会議のまとめ役や、全校集会の司会をしていた。


……でも本当のことを言うと、放送委員になりたかった。
凄く凄くなりたかった。


お昼の放送をしたり、薄暗い放送室でご飯を食べたり、機材を触ったり、自分で曲を選んで流したりしたかった。
放送に対してはアツい想いを持っていた。
小さい頃もラジオごっこをして遊んでいたくらいだ。


5年生から始まる「委員会」。

たしか第一希望を放送委員、第二希望を生徒会、第三希望を図書委員で出したっけ。

それを元に、誰が何の委員会に入るかを担任の先生が振り分けていく。

それで第二希望の生徒会にされたわけだ。

「何で私は放送委員じゃなくて生徒会になったんですか」
と、あまりに悔しくて先生に訊いたら

「真面目そうだから」
と言われて、物凄く不服だったのを覚えている。

『人を見た目で判断するんじゃないッ!!!』

と思った。

放送委員になりたかったのに生徒会に入れられたショックで替え歌を作ったくらいだ。

それだけが心残りだったかなぁ。


でも仕方ない、放送委員って人気だし。

自分よりもおしゃべりで、明るくて、エンターテイナー気質な人たちが放送委員に選ばれていたのを見て、あぁ、まぁそうなるよなぁ、と思って諦めもついた。

(いまだに、いつかラジオみたいなことをやってみたいと思っている)




今度帰省したら、この時の思い出の場所を巡ろう。

小学校はもうないけれど、お好み焼きとか生キャラメルとか、思い出の味を食べに行きたいなぁ。


調べてみたら、商店街の中の自分で焼くスタイルのお好み焼き屋さんは閉店していた。

そうか……

でもなんと、おばあちゃんが目の前で焼いてくれる方のお好み焼き屋さんは、ちゃんと今もやっているらしい!


うーん、また結局ご飯の話になっている。


……とにかく今は、お好み焼きが食べたい。





学校の宿題とか、先生に怒られるとか、友達との衝突とか中学受験とか……


小学校の時は嫌なことも色々あったけれど、宝物のような思い出ってある。


書きながら、懐かしくて仕方ない。





今回はごく個人的な思い出話になってしまいました。

いつものことながら、ちょっと長くなってしまいましたが、ここまでお付き合いいただき誠にありがとうございました。


皆さんはどんな小学校の思い出がありますか?

色んな人に訊いてみたくなりました。

今の小学生はどんなことをして放課後を過ごすんだろう。

きっと全然違うんだろうなぁ。


それではまた。

おやすみなさい。


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