命日

命日がやって来ます。

「命日」って何でしょう。

考えだしてみると不思議な言葉にも思えます。

単純に「命の日」と思うと
命がどうした、或いはどうなった日だというのでしょうか。

亡くなった日、或いは新たに命を生き始めた日。
ととると

その日、故人と向き合い
対話する日。かな? 等と
勝手に単純に思ったりしていました。

法要、仏事に関連し、
行事と化した形式が優先しているだけの様にも思えたりするのです。

其れもまた、意固地な偏見であるのかも知れませんが
兎角、儲け主義の一環として、

組み込まれ、仕組まれたものではないかと
思ってしまうのは、私の懐疑的な性格の為せる処かも知れません。

悲しい、貧しい
心根になってしまったものだと、

自分でもうんざりしてしまう処ですが

何事も、裏話、
楽屋裏の暴露話等、

目にし、耳にすると
ああ、またこれもかな、
と つい疑ってしまいます。

何もかもが 儲け主義、
損得の金銭絡みの利害関係の上に成り立った

巨大な組織の中で
振り回されている
ある種の、ウィルス感染症状なのです。

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