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泉谷しげるearly daysの巻その5。

・泉谷しげる「わが奔走」(ロッキング・オン)

 フォーライフのクリスマス・アルバムの前に泉谷しげるさんが海外進出を目論んでいた話を先にしますね。
まずはフォーライフの4人に衛星中継のオファーがあったのが、泉谷さんだけがやる気で他の方々は断ったので、結果ボツになってしまったのでした。
が、泉谷さんの「俺一人でアメリカでもどこでも行ってやらぁ!」という啖呵が現実になってしまったわけです。
せっかくならビートルズがアメリカでデビューした所(トルバドール)でやりたい!となって、アルバムをエージェントに送った結果「OK」の返事が届いたのでした。

 バンドを連れていく選択肢もありましたが、一人で乗り込んだ結果大成功となり、後にライヴ・アルバム『イーストからの熱い風』という形で発売されています。
近年、CDで発売された『ローリング・ココナッツ・レビュー』に出演したのも、海外でのライヴが念頭にあって、そのコネクションを作るための出演だったと語っています。
が、動員面で厳しい結果となり、当時の泉谷さんの事務所は数千万円の借金を抱えてしまうのでした。
ちなみにこの時はアルバム『光石の巨人』で演奏を担当したストリート・ファイティング・メン(ドラムスはラストショーからの島村英二さん)と出演しています。
『光石の巨人』の収録曲「電光石火に銀の靴」は映画「狂い咲きサンダーロード」に使用されたことを付け加え、ここで一区切りとします。

・石原信一『吉田拓郎挽歌を撃て』(八曜社)

 フォーライフ・クリスマス・アルバムについて、泉谷さん、拓郎さんに陽水さんの本を引っ張り出して確認してみましたが、泉谷さんと陽水さんは全く触れていないんですね。
拓郎さんの本によるとかなりネガティブな内容ですし。。

 フォーライフ設立一周年ということで発売予定だった『クリスマス・アルバム』は有名曲のカヴアーやオリジナルを収録する形になり、あの4人なら大ヒット間違いなしと判断した会社側は初回プレスとしてポスターをプレゼントするなど、初回プレスを30万枚と決めました。
が、結果として売上は10万枚にも届かなかったのです。。
このアルバムで生じた赤字で、会社自体が揺らいでしまったので、拓郎さんはその穴埋めのために急遽アルバム『ぷらいべえと』を制作することになりました。
大急ぎで作ったためミュージシャンの調達も上手くいかなかったり、収録曲にはカヴァーまたはセルフ・カヴァーを録音し、ジャケットはキャンディーズの伊藤蘭さんを見て拓郎さん自身がクレヨンで描いたものでした。
皮肉なことにフォーライフ移籍後、拓郎さんの発売したアルバムでは一番の売上となったのです。

・連野城太郎「GOTTA!忌野清志郎」(角川文庫)

 その頃、RCサクセションは破廉ケンチさんがフェイドアウトしていき、リードギターを忌野清志郎さん自ら弾いて、リンコワッショーさんはウッドベースからエレキベースに持ち替えて、サポートのドラムスでライヴをやっていた時期でした。
時は1977年の春先、RCのファンだったカルメン・マキ&OZのギタリスト、春日博文さんから日比谷野音でのライヴのフロント・アクトの依頼がありました。
そこではOZとは全く交流をせず、RCのメンバーはOZのライヴの途中で帰ってしまったのです。
カルメン・マキ&OZがヒット賞を受賞した帰り道、渋谷のライヴ・ハウス屋根裏でRCがライヴをやっているところに偶然通りかかった春日さんでした。
春日さんは『「スローバラード」のギターを弾かせろ』と主張して、もう一曲「エネルギーOHエネルギー」でも弾いたのですが、すごいプレイを披露したと清志郎さんは語っています。
翌日、清志郎さんは春日さんにバンドへの参加を要請し、春日さんはドラムスを交代させることを条件に快諾します。
そこで登場するのが正式メンバーとなった新井田耕造さんでした。

 この時期、古井戸は1975年CBSソニーから出したアルバム『酔醒』以降、アルバムはもちろんシングルの発売もない時期で、ライヴもそれほどやっていなかったわけです。
その後、仲井戸麗市さんがRCに誘われたのもその辺の事情があったからなのです。

 泉谷さんに話を戻しますと、フォーライフでスタジオを作ったり、レコードの値段を輸入盤並みにするという設立当初の狙いが達成できなかったことや様々なストレスで、フォーライフを離れる決断をします。
泉谷さんにフォーライフにとどまるように説得したのは拓郎さんだけだったとか。。

 1977年5月には拓郎さんがフォーライフの社長に就任し、フォーライフの経営状態を建て直すことが最大の目的になりました。
そのため拓郎さんはコンサート活動を中断しています。
そんな中に泉谷さんがフォーライフから離れたり、井上陽水さんがとある問題に巻き込まれたのでした。

泉谷さんと拓郎さんのお互いに対する思い入れの深さはそれぞれの本で書かれている通りです。
実はお二人がこれまで通りに話ができるようになるまで相当長い時間が必要だったのでした。

 フォーライフを離れた泉谷さんの作品をプロデュースしたのは加藤和彦さんだったというところで、今日のところは終わりにしましょうか。
明日明後日で泉谷さん周辺話はなんとか終わりそうです。まだ書いてみないとわかりませんが。。

 それではまたー。


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