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白くてほかほか

僕がサンタを信じなくなったのは小学1年生のクリスマスだった。夜中にドキドキしながら何度も目を覚まし、何回目かにに包みの存在を確認して、朝を楽しみに眠りについた。毎年、夜中に枕元のプレゼントを確認する瞬間が、1番の楽しみだった。

次の日の朝、さも今プレゼントに気付いたかのように驚いてみせたのは、親がサンタなんじゃないかと疑っていたからではない。夜中にプレゼントを気にして何度も起きていたことがバレたら、母さんに怒られると思ったからだ。友達の中には「サンタは居ないんだよ。」という奴もいたが、両親からはちゃんとプレゼントを貰っていたし、サンタを扮い枕元にプレゼントを置くなんて、普段クールなうちの親からは考えられなかった。

僕の迫真の演技に気づいていない様子を横目で確認しながら、はやる気持ちを抑えて丁寧に包み紙を剥がした。かなり重量感があり、期待が膨らんだ。持った感じでは全く中身の想像がつかなかったが、紙を開いた瞬間にそれが何かすぐにわかった。そしてそのプレゼントは、サンタはいないことを証明していた。少なくとも我が家には来ていないということを。

紙に包まれていたのは国語辞典と漢字辞典だった。これを選んだのは母さんだろうなと思った。母さんは僕が小学校に入学してから、やたら勉強勉強言うようになっていた。当時、隠していた父さんの借金が発覚し、当てつけのように「父さんみたいにならないように沢山勉強しなさい」と言われていた。その言葉にウンザリしていた僕に、サンタが辞書を贈るわけがない。
「良かったわね。サンタさんもあなたにいっぱい勉強して頭が良くなってほしいって思ったのよ。」
追い打ちをかけるように母さんが声をかけてきた。かろうじて「そうだね。」と返事をすると、何とも言えない残念さや悔しさが襲ってきてトイレにこもって声を殺して泣いた。プレゼントが辞書だったことが嫌なんじゃない。僕のサンタへの夢を壊されたことが悲しかった。

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「その年から本当はサンタを信じていなかったんすけど、いつか素敵なプレゼントを貰えるんじゃないかっていう希望も捨てきれなくて、一応4年生位までは信じてるフリをしてたんすよ。でも結局、父親の借金のせいで貧しかったから、“サンタのプレゼント”もどんどんテキトーになっていって。最後の方はお菓子が入ったブーツ?みたいなんになってて。何か、もうやめさせてあげようって思って、自分から『サンタはいない』って言うようになったんすよね。」
「それは中々切ない話しだなぁ。子を持つ者としては身につまされるよ。」
「いやいや、店長のところは大丈夫でしょ。稼いでるし、娘さんのこと超溺愛してるじゃないすか。」
「家のローン払ったら、残るのなんてほんの僅かよ。しかもこの仕事のせいでクリスマスは毎年、他人様に捧げてるしね。あ、それで思い出した。クリスマスメニューの印刷しなきゃ。」

あとは任せた、と言って、店長は事務所に消えて行った。明日から12月になるから、閉店後に今日のクローズメンバーでクリスマスツリーを組み立てていた。さっきまでいた2人は終電が早いので先に帰ってしまい、2人よりも30分程余裕がある僕と店長で飾り付けをしていた。子供の頃の苦い思いは腹の底にこびり付いていて、この時期になると決まって顔を出す。大人になってからも楽しい思い出で上書きすることができないまま、もうすぐ僕は33歳になる。

「やべ。店長!僕も時間やばいんで、そろそろ帰りますね!」
「おお、ありがと。お疲れさん。」

店長は事務所から顔を出すと、僕に向かってクリスマスブーツに入ったお菓子を投げてきた。

「なんすか、これ。」
「いや、さっきの話聞いて渡すか迷ったけど、相良くんあと10分で誕生日でしょ。日頃の感謝とクリスマスにシフト入ってくれるお礼。」
「はは、あざす。全然嬉しいっす。じゃ、あと6分で終電なんで。」
「おう、気を付けて。」

外に出ると冷たい風が頬をさらう。急いで駅へ向かうと、遅れていた1本前の電車がちょうど到着したところだった。サンタブーツが少し恥ずかしかったが、僕ぐらいの歳になると、子供への土産を持った父親に見えるんじゃないかと思い、毅然とした態度で乗り込んだ。

人知れず、いつも何かを演じてしまう。相手が望んでいるであろう人物像や、自分の憧れや都合の良い設定を。これは僕が役者だからだという、職業病的なアレではないと思う。

僕はフリーで舞台役者をしている。事務所には所属していないので、下北沢界隈の小劇場のオーディションなんかを自分で探して受ける日々だ。良くて年に4、5回、今年は2回しか出られなかった。もちろんそれだけでは食っていけないので、学生時代から飲食店のアルバイトを転々としている。今の南青山のイタリアンレストランは時給が良く、6歳年上の店長とウマが合って勤めてもう3年になる。飲食業はクリスマスから年末にかけてが繁忙期なので、店長と同じく、クリスマスは他人様に捧げることがあたり前になっていた。でもバイトをしなければ生きていけないのだから仕方がない。実は知り合いの劇団に所属しないかと誘われているのだが、自由にやりたい気持ちもあり、なかなか決心がつかずにいる。結婚していなければ、彼女もいない。きっと今年も疲れ果てて眠るだけのクリスマスだ。

電車の中で誕生日を迎えることなんて何でもない。ただ、今日はいつも寄る近所のコンビニで少し良いビールを買うことにしていた。毎日の晩酌が演劇以外で唯一の楽しみだ。こんな時間だからいつも夕食はカップ麺になりがちだが、美味そうなのがあれば弁当も買っちゃおうかな、なんて少しニヤけながらコンビニに入った。

店内にはクリスマスソングが流れている。レジでは20代なかば位のギャル風の店員が眠そうに接客をしている。思わずゲッと思ったが、プレミアムビールのロング缶を2本とカツカレー弁当を取ると、サンタブーツを若干背中に隠しながらレジに向かった。

「お弁当は温めますか?」
「いえ、大丈夫です。」
「身分証をお願いします。」
「あ…はい。」

この女性店員は週3回ほどここで働いている。毎日酒を買って帰るので何度も見せているが、彼女は毎回身分証の提示を要求してくる。意外と真面目なんだな、と思って面倒ながらも毎度提示するのだが、生年月日を見られるのは今日ばかりは気まずい。
“こいつ、誕生日だからちょっと良い酒と良い夕飯買ってるよ”と思われたら恥ずかしいなと思ったが、今日は良いビールを飲むために1日頑張ったのだからと、なんでもない顔をして免許証を提示した。

「ご協力ありがとうございます。袋にお入れしますか?」
「あ、はい。」
「1212円です。」

彼女はいつも通りのテンションと文言でレジを進めていく。自分の自意識過剰ぶりが更に恥ずかしくなり、支払いを終えるとそそくさと店を出た。

帰宅してひと息つくと、間もなく1時になろうとしていた。カツカレーをレンジに入れてから缶ビールを開ける。一口飲むと、ビールの通り道が冷えて染みる。地元の友達はこんなことしないんだろうな、なんて思いながらスマホのカメラで自撮りをして、SNSに写真を投稿して呟いた。

『33歳になりました!これからも舞台頑張るのでよろしくおねがいします!ビールうめー』

こんな時間 なのに数分でいくつかコメントがついた。役者仲間や、何度か舞台をみてくれている演劇好きのおじさんが祝ってくれている。たったこれだけで僕の小さな承認欲求は満たされる。暫く舞台に立てない日が続くと、それはあっという間に消滅してしまうのだが。死にたくなる夜を酒と一緒に飲み込んで、何とか33歳まで生きてこられた。演劇だけが僕の生きがいだ。他人に自慢出来るほどではなくても幸せで、この小さな幸せを守るのに僕は精一杯であった。

SNSとは違う通知音が鳴り、スマホを覗くと、母さんからメールが届いていた。
『お誕生日おめでとう。正月は帰ってきますか?』
実家は東京なので、いつでも帰ろうと思えば帰れる。しかし帰るとずっと母さんの愚痴や小言に付き合わなければならず、気が進まない。あんなに勉強熱心に育てた挙げ句、売れない役者になってしまった息子にいくら文句を言っても足りないのだろう。父さんはそんな僕らを遠巻きに見ているだけだ。

母さんは僕が心配でたまらないのか、今だにお年玉をくれる。一応何度か断ったものの、正直有り難くて受け取ってしまう。日々バイトに明け暮れていても、稽古や本番中は休まなければならない。小劇場のギャラなんてあってないようなものなので、舞台に出れば出るほど貧乏になる。母さんの小言とお年玉を天秤にかけている自分を誤魔化すように熱々のカツカレーをかっこみ、ビールで無理やり流しこむ。結局返事は書けなかった。

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12月24、25日と予想以上の忙しさだった。カップルや家族だらけの客席に恨めしい気持ちもないではないが、幸せそうな食事風景を見るのは嫌いではなかった。接客も楽しいし、ワインを勉強するのも楽しい。多分飲食業は自分に向いていると思う。今のところ役者を辞める気はない けれど、もし辞めても飲食業は続けるだろう。

次の日からの通常営業に向けて、閉店後に急いでクリスマスツリーを片付けると、終電ギリギリになってしまった。店長に挨拶をしてダッシュで満員電車に乗り込む。明日は来年の舞台のオーディションがある。最近勢いのある劇団で、これに出れたら結構アツい。明日に備え、今日はハイボールとコンビニのチキンで軽く晩酌をしたら早く寝よう。

電車を降りてコンビニに向かうと、例のギャル店員がクリスマスの飾りを剥がしている所だった。レジ前には売れ残った大量のケーキが安売りされている。店内に客は誰もいない。缶のハイボールをレジに持っていくと、作業を止めてギャルが来た。いらっしゃいませ、と呟く声は相変わらず小さい。

「あ、あとオリジナルチキンも1つ下さい。」
「オリジナルチキンお1つですね。身分証お願いします。」
「あ、はい。」
「ご協力ありがとうございます。」
「袋、一緒で良いので1枚ください。」
「あと袋1枚で…462円です。」
「はい。」

クリスマスの夜にこんな時間まで働いて大変だな…と思いながら財布の小銭を探す。快適な暮らしは誰かの労働によって成り立っている。僕も労働者でもあり、その恩恵を受けているひとりだ。

なかなか小銭を掴めずにいると、ギャルに「あの…」と声を掛けられた。僕がモタモタしてるからかと思い、すいませんと謝るが、焦れば焦るほど小銭は逃げていく。

「いえ、あの…肉まん好きですか?」
「え?あ…はい。」
「もうすぐ廃棄の時間になっちゃうんで…良かったら入れときますね。今日、全然売れなくて。」
「え、そんな事して良いんですか?」
「駄目だと思いますけど…どうせ捨てちゃうんで。」
「でも…」
「私、今日で辞めるんで、別に良いんですよ。まあ、お兄さんが気になるなら、後でお金払っておきます。」

突然のよくわからない申し出に戸惑った。彼女はなぜこんなことを言い出したのだろう。

「え、てか、辞めちゃうんですか。」
「はい。お兄さん、よく来てましたよね。」
「はい…。あの、お世話になりました。…て、僕が言うのもなんか変ですね。」

なんと言っていいかわからずしどろもどろになっていると、彼女はクスッと笑った。良く見ると 結構あどけない顔をしている。

「お兄さん、役者さんじゃないですか?」
「え?」
「実は上京してからあまり友達がいなくて。よくフラフラしてた下北沢で、たまに演劇を観てるんです。お兄さん、本名で活動されてますよね。」

まさか、毎日寄るコンビニの店員に、自分が役者だと認識されていると思わなかった。毎日の夕食や酒をここで買っているので私生活丸見えで、とても恥ずかしい気持ちになった。

「あ…はい、そうなんです。」
「あ、私ストーカーとかじゃないですよ!ここで働いてるのはたまたまで。ただ、身分証でお名前知ってて、こないだの10月の舞台にも出てたんで、多分そうだろうな…と思って…」
「もしかして下北沢の?」
「はい、街中劇場の。」

確かにその舞台に出ていた。結構いい役を貰っていたので、覚えてくれたのかも知れない。

「あ、あれ観てくれたんですね。ありがとうございます。」
「はい。たまたまですけど。」

小銭が見つかり、ちょうどでレシートをもらう。もう少し話したい気もするが、店内に客も増えてきた。

「私、イラストレーター目指して上京してきたんですけど、田舎に帰るんです。今は東京にいなくても絵は描けるし、憧れだけでこっちに来たけど、思ったより東京には何もなかったので。でも、お兄さんのお仕事は違いますよね。東京にいる意味のある仕事だと思います。」

そう言うと、袋に入れた商品を差し出した。僕の仕事は東京にいる意味がある…そうだろうか。だから僕はここに居るのだろうか。

「イラストは、これからも描くんですか?」
「はい。地元で細々やろうと思います。」
「軽々しく言って良いかわからないんですけど…応援してます。」

上手く言えないが、嘘ではなかった。

「ありがとうございます。東京で寂しかったけど、演劇を観るのが唯一の楽しみでした。お兄さんもがんばってください。」
「ありがとうございます。」
「日付変わっちゃったけど、メリークリスマスってことで。」

小声で言うと、肉まんの入った袋を指さした。改めてお礼を言おうとしたが、彼女はもう次のお客さんの接客をしていた。その後にいつの間にか数人並んでいる。小さく会釈をして、コンビニを出た。

肉まんを取り出すと、袋に可愛らしいツリーのイラストと“みやたふくこ”とひらがなでサインが書いてあった。肉まんを頬張ると口の中が温かさに包まれ、冷たい空気に白い湯気が漂う。冷えた身体に栄養が行き渡るようだ。歩きながら夢中で食べていると、何故か涙が溢れてきた。

これは何の涙だ?役者だと知っててくれて嬉しかった?いつも会ってた人がいなくなることがさみしい?何かを諦めたような目が悲しかった?いや、どれも違う。でもなんだか肉まんが温かくて、優しくて、涙が止まらなくなってしまった。

晩酌をしながら肉まんの袋に書いてある名前を検索してみた。小さな雑誌の挿絵や、画像を投稿するとグッズにして販売してくれるサイトが出てきた。その通販サイトへ飛んでみると、殆どの商品に“SOLD OUT”と書かれていた。田舎に帰るなんて言うから全く売れてなかったりするものかと思っていたがそうでもないらしい。

でも…そっか。とすぐに思い直した。自分に置き換えるとよくわかる気がする。きっと、大変な労力を使って準備をしても大した収入にはならないのだろう。今はSNSで“バズ”れば一気に有名になることもあるが、それも簡単な事じゃない。それにこういった通販サイトなら、確かに東京でなくてもできそうだ。せめて彼女の決断が、前向きなものだといい。『肉まんのお礼に』と自分に言い訳をして、まだ販売していたアクリルキーホルダーの購入ボタンを押した。なんだか不思議な気持ちに包まれたまま、気付くと眠りについていた。

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あまり眠れず6時には目が覚めてしまった。オーディションは午後からだが、丁寧に支度をすると、カラオケで少し声を出してから行くことにした。

玄関を開けると、強い日差しと冷たい空気が入ってくる。いい天気だ。ズボンのポケットに肉まんの袋を入れたことを確認してから鍵をかける。今日のお守りとして入れたそれは、もうただの紙なのに、心なしか温かい気がする。

彼女はなんで声をかけてくれだんだろう。なんで肉まんをくれたんだろう。昨晩酒を飲みながら考えていたが、透き通った空を見ていたら閃いた気がする。東京で友達を作れなかった彼女は、何か東京にいた証を残したかったのではないだろうか。僕に贈った肉まんは、本当は東京への置き土産だったのだろう。勘違いして連絡先とか聞かなくてよかったと思うと笑えてきた。

我ながら単純だが、僕も人に何かしたくなってきた。いつだって僕は、僕のための僕で、誰かのために生きたことなんてなかったのだ。まずはできることからやってみるか、と、スマホを取り出して電話をかける。

「あ、もしもし?僕、大和だけど。正月さ、やっぱ帰るよ。あとお年玉だけど…今年からいらないから。いや、ほんとに。良いお酒でも買って帰るから、その分寿司でも取ろうよ。何言ってんだよ。もちろん母さんの料理だって全部食うよ。とにかく、よろしくね。外だから切るよ。はい。」

文句を言いながらお年玉を渡してくるくせに、いらないと言ったら言ったで小言が返ってくる。帰省の返事を先延ばしにしておきながら、やっぱりうるさいな、なんて思ってしまうけれど、なんだか可笑しくて、酒と一緒に小さな贈り物も探しに行くかという気持ちになっていた。

コンビニの前を通るときに中を覗いてみたが、当然彼女はもういない。彼女が剥がしたクリスマスの飾りは、もう正月の飾りに張り替えられていた。もう免許証を見せて酒を買うことはないのか、と思うとやはり少しさみしいが、きっと僕が役者を続けていたら、彼女がイラストレーターを続けていたら、またどこかで会える気がする。その時胸を張って笑えるように、自分に出来ることを頑張ろう。オーディションが終わったら、劇団への所属も真剣に考えてみようかな。写真も新しく撮り直して、自分のホームページも作ってみよう。

前を歩く親子が、サンタから貰ったプレゼントの話をしながら幸せそうに笑い合っている。信号がちょうど青になり、日差しが反射してキラキラと光る横断歩道へ一歩踏み出す。心なしか足が軽い。何となく今日は、うまくいく気がする。

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