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モグラ夫婦の脱出計画書~男性更年期障害とうつ病を発症した夫 ~ 働きながらの治療/ 効果を感じた!楽になるための実践方法/ 治るための行動/ うつ症状が薄れていく実体験記~

根性論やメンタルを鍛える!そんなものでうつ症状はなくならなかった!
実体験から治るために実践した対処方法を綴っています。

▷夫が日々身体、精神的に困っていた症状
✓寝汗 ✓朝が起きられない ✓仕事に行くのが怖い ✓電話、LINEが怖い
✓効率よく仕事が出来なくなった  ✓仕事のミスが増える ✓集中力の低下
✓寝付きが悪くなる ✓朝4時頃に目が覚めてしまう ✓体がだるい重い
✓気分が落ち込む  ✓意欲がなくなる ✓消えてしまいたくなる
✓ネガティブ思考 悲観的に考える ✓急に泣き出す ✓落ち着きがなくなる
✓胸がザワザワする ✓心が苦しい ✓頭にモヤがかかってる
✓体に発疹が出る かゆい ✓強い不安感 ✓出勤前に体が震える
✓突然ビクッとなる ✓足に力が入らなくなる びっこを引いて歩く


男性更年期障害
うつ病
仕事
ストレス
お金
治療をする前に夫とした約束
病院選び
治療の選び方
緊張を解く方法
うつ病の精神的に苦しい症状を感じなくなる日までの道のり

光の届かない くらいくらい暗闇の中を随分と長く歩んでいたように思います。
これは私たち夫婦が毎日もがきながら、モグラのように陽の光の届かない暗闇の中で必死に足掻いてみつけた、治るための行動や実践方法を書き記したものです。
苦しいうつ症状ばかりが続いて、まるで先が見えないトンネルを光を探しながら手探りで歩いているような日々から、やっと出口を見つけ出し、
少し明るい場所にひょっこり顔を出した夫婦のお話です。
「モグラ夫婦のまっくらトンネル脱出計画書」なのです!
少し長いお付き合いになりますが、良ければ最後までお付き合い下さいませ。


 毎日が苦しくて、もがいて、どうしたらいいのかわからなくて、
世界が全て灰色に見えていた時、
どうやって抜け出してきたか
実践した事
効果があったと感じられたこと
対処法、対応方法
勉強になった、参考になった動画
見守ってきた側の嫁の本音と対応方法
治るためにした行動

カテゴリー別に回復のコツや治療のヒントを出来るだけ分かりやすく、エピソードを混ぜ込みながら解説しています。

苦しい日々の解決策を探してたくさんの時間と労力を使ったにも関わらず、私は欲しい情報を見つけ出すことが出来ませんでした。
そんな苦い経験からこの体験記は生まれました。
解決策と呼べるほどのものではありませんが、あの時 夫や私が欲しかった情報を
お伝えしたいと思っています。
回復への道のりや実際に試して効果があった事、病院や治療法のこと、対処法を
我が家流でご紹介しています。

今、男性更年期障害やうつ症状で困っている方の回復の一助になって欲しい。
そのご家族やパートナーの方のちょっとした考え方のコツや対応方法の参考にして欲しい。
皆様のその日を乗り切れるお力のひとつになれば幸いです。



自己紹介と夫がストレスを貯めていく経過

夫 48歳  
妻(私)50歳  
夫は自営業から2度の転職をし、その間にストレスをために溜めて、3度目の転職をしようとしますが、うつ症状や身体的症状を発症。
転職を止め、会社に残ることを選んだ夫に男性更年期障害とうつ病が襲いかかります。
夫は会社を辞めることなく、働きながら治療をする事を選びます。

《ストレスを溜めていく経緯と夫婦の葛藤エピソード》
3年前、懇意にしていた別事業の経営者の方に新事業へのお誘いがあり、心機一転挑戦する為に自営を廃業する事にしました。

しかし、考えていた事業にお金がかかりすぎる事がわかり、
その方の会社の社員という形でとりあえず生きていけるお給料は頂けることになるのですが、その経営者の方の発案で違う新事業を手伝う事になりました。
未知の新事業への開設準備に夫は1日20時間働く日もありました。
この頃、初めて夫の弱音を聞きました。
自営をしている時もしんどい時期はいっぱいあっただろうに、夫は弱音を吐いたことがなかったのです。

やろう!と思っていた事業もポシャってしまって、得意ではない肉体作業で体を酷使し、知らない事だらけでも聞づらい雰囲気に萎縮し、
夫は強いストレスを溜め込んでいきました。
私は毎日、朝方フラフラになって帰ってくる夫が心配過ぎて、
起きて待っていては「大丈夫?」と聞く事しか出来ませんでした。
あの頃、無茶ぶりばかりをする社長さんを恨んだり嫌ってみたりしましたが、
大きな間違いをしていました。自分達の甘さを棚上げし、人のせいにしていただけなのですが、この時はそんな事も分からないまま過ごすのです。
社長さんも新しい事業を成功させたくて必死だったはずだし、夫に廃業させた責任を感じておられて、元の仕事に戻れる算段を立ててくれていたり、夫の為に色々考えて下さっていたのに、私たちは周囲からそんな社長さんの思いを聞いても有難く感じる事はなく、こんな事がいつまで続くのだろうと日々どこにも持って行きようのない思いを持て余しているだけでした。
激務と大きくなってしまったストレスで余裕がなくなっていたんだと思います。

その頃から夫は布団が濡れるぐらいの寝汗を毎日かくようになりました。
おねしょも1度ありました。
強いストレスのせいだ。夫は限界だ。
私の「これからどうしたい?辛くない?」そんな問いかけに夫は泣きながら
「辛い」と言いました。
次も何も決めずに「もう辞めよう。」私がやっと夫に言えた一言でした。
ずっと言いたかったのに言えなかったのはやはり「お金」です。
それでも辞めようと決めたのは「合わない仕事」「どうしても続けられないもの」があると思ったからです。
辞める選択は間違ってはいなかったと思っていますが、自分達の考えが甘すぎた結果だったとも思います。
誘って下さった社長さんは、夫とだから仕事がしたいと言ってくれた人でした。
ただ、私達の向かう姿勢が人任せすぎたのです。
一緒に事業をやろう!を簡単に考え過ぎていた。
自分達の仕事を廃業してでもやりたいんだ!そんな熱い気持ちを持っていなかった。
自分たちで調べ尽くすこともしなかったし、出来るのものだと思ってしまっていた。
お粗末すぎる、甘すぎました。
きっと、調べ尽くしてもその調べた通りには行かないこともあると思いますし、失敗する事もあると思います。
もしくは、やり尽くしたと思っていた努力もまだ足りていなかった事もあるかもしれません。
それでもちゃんと自分たちで納得いくまで動いていたらダメだったとしても次に活かせる引き出しに出来たはずだと、今更ながらですが思っています。

自営業からの転職からの無職になりました。
夫は心も体も弱っている状態でしたが、自分を鼓舞しながら次を急いで決めないと!と慌てて家族ぐるみでお付き合いしている経営者の方に相談したのです。
あの時もっと休んでいても良かったのに、今ならそう思いますが無職になるのは想像以上に不安が募ります。
収入が無くなる事が恐くて藁にもすがる思いで現状をお話ししました。
夫だったら来て欲しい!と言って下さって1週間後には入社させてくれたのです。
この1週間の間に近くですが、旅行にも行き、リフレッシュ出来た!
なんてホッとしていたのを覚えています。

▷2回目の転職で味わう人間関係の大変さ
夫はやった事も無い職種でのゼロからのスタートをはじめました。
初めの1年目は大変そうでも順調に仕事を覚え、あんなに苦しんだ前職の事も忘れて前向きに野心を燃やしながら仕事に励んでいました。
気になっていた寝汗や弱気な発言もなく順調に進んでいるかのようでした。
しかし、2年目に入って大きなトラブルが会社の中でありました。
それによって夫の立場が大きく変わっていったのです。
任される仕事量が膨大に増え、日々帰りが遅くなりました。
夫はトラブルの根本処理を任される立場に昇格したのです。
初めこそ俺の時代キターっ!ぐらいのヤル気を見せていたのですが、
その中の人間関係がどす黒く酷い有様で、 会社とは思えない言動をする人達。 
それでも回していかなければならない現状。
現場と会社の間に入る夫。あからさまに自分に悪意を向けられる日々。
夫の人生で初めて自分に向けられるキョーレツな悪意と職場環境の改善への責任と進行にどんどん心がすり減っていってしまったのです。
毎日空気の重い社内。帰ろうとすると相談という名の苦情を言われ、
どうにか仕事を回さないといけない。俺がやらないといけない。解決しないといけない。夫がこの頃によく言っていた言葉でした。
お弁当を食べずに持って帰って来る日が多くなっていきました。

この頃だと思います。とても弱気になったり、頼りにならない言動が増えたりして夫婦の間に亀裂が生まれていました。
あんなにやる気だったのに、夫はどうしてしまっまたのだろう?そんな疑問を持っていればまた違ったと思いますが、私は「弱い夫、情けない夫」そんなレッテルを貼って、メンタルを鍛えろ!とばかりに本を読んでみて!もっと強くなって!と夫を家でも追い詰めていたのです。
夫はホッとできる場所もなく、1人でどんどんと疲弊していきました。
会社に行くのが怖い、そう呟いた時もありました。


そんな状態が半年ぐらい続いた頃です。
「今の仕事を辞めさせて欲しい」と夫が言いだしたのです。
もうあらゆる事をちゃんと考えられない状態の夫だったのに、私はそんな夫に気づかずに働いているのは夫だからと夫の意見を尊重しました。
もうしんどいと言ってる人に辞めるなというのは酷だと思ったのです。
辞めるなら次を決めてからにしよう!と言って辞めることを受け入れました。
次の仕事を決めてから辞める…それ自体は間違ってはいません。
とても大事な事です。
ただ、それはきちんと次を考えることが出来るだけの体力を残している状態で退職を考え、次を探す。
体力を残す…夫には全く残っていなかったのに私達は「もう会社を辞める」と決めてしまいました。間違っていたと思っています。
夫は会社に辞表を出しました。


「追い詰められて思考がストップしている状態で大きな決断をしてはいけない。まずは、状況を整理できるだけの時間と心に余裕を持つために辞めるのではなくて休職をしよう!」
「まだ会社の誰にも相談していないのに、まずは相談してみようよ!」
「もう限界で考える体力すら残っていない状態なら休職をしよう!」
本来なら冷静に外から見ているはずの私がこのように言えれば良かったんですが、その当時私にはその知恵も余裕も持ち合わせてはいませんでした。
辞める方が手っ取り早くストレスの原因から離れられると思ってしまいました。
手っ取り早い方の大きな決断を選びましたが、こんな状態で決めた結論は
上手くは行きません。


弱って下を向いている夫が頼ったのは専門的な職種をされている経営者の方でした。
その方にも長年可愛がってもらっていたのです。
そこの社長さんは未経験な職種である事も知った上で夫に「今のお給料と同じ額をあげるよ」と、二つ返事で雇ってくれる事を約束してくれたのです。
今までの自営をしてきた時の夫をみてくれていたからこそだと喜んでいたのですが、その社長さんが見たあの頃の夫は弱りきって前を向いていないように見えたのだと思います。
路頭に迷うことなんかないよ!大丈夫!と言ってくれた人に私達は
ただただぶら下がってすがりついてしまったのです。
しばらくして何度か連絡を取るうちに同じ額は出せないと言われてしまいました。仕方ないと思います。
今まで一緒に働いてきた従業員の人たちに社長の知り合いだからという理由だけで、何も出来ない40過ぎたおじさんが自分たちより多くお給料をもらうなんて、
ありえねーーーー!って思いますよね。当然です。
人を1人雇うのがどれほど大変なことなのか私たちも知っていたはずなのに、
ここも甘かったんです。
「ここから逃げたい」という思いが強すぎて、自分たちの事しか見えなくなっていました。
雇う側の社長さんからしたら、うちでも大変な事があったらまた君は逃げようと思うのかい?相談したり、仕事の仕方を工夫したり出来るかい?
うちは繁忙期にはみんなが寝泊まりして仕事をこなしたりもするよ。
君はその弱りきった状態でそんな仕事ができるのかい?
今の君では一緒に働けない。そんな風に言われた気がします。

逃げる事が悪い訳ではありません。
逃げたいと思う程にしんどいのならまずはそこから一旦離れれば良かったのです。避難する、その後で向かう先を決めれば良かったと今ならそう思います。


行くあてがなくなり、どうしたものか?
求人サイトを見てもお給料が足りない所しか見当たらない。
転職なんてはたしたできるのか…
不安、焦り、悶々とした日々はどんどんと過ぎていきました。


事態が急変したのは社内で問題行動をしていた人達が一斉に辞めてからです。
夫のストレス原因の人達は辞めたけれど根本的なトラブル処理は続きます。
ストレスの原因は人間関係だけだと思っていましたがそうではありませでした。
部署の変更、1人で任される重圧、膨大な仕事量、頼ることが出来ない人手不足…


辞めることを止める。
会社を辞める事を止めようと決めて、社長と話しをしました。
このままこの会社で仕事を続けさせてほしい。その旨を社長に伝えました。
辞めることを撤回した夫を社長は快く受け入れてくれました。


苦しいながらも選んだのは辞めない選択。


ここからが本当の戦いでした。
夫が男性更年期障害を発症し、うつ病も併発しました。
たくさん迷って、頭を打ち、気づいた大切な決め事がありました。
私たちが人生を軌道修正して見つけ出した指針と生きやすい歩き方の実践方法です。

男性更年期障害とうつ病を発症~気づいたサイン~決めておいて良かった夫との約束事


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