素人ながらの“ラジオ作りのこだわり”②『カット編集』

私はラジオ番組の制作を趣味でやっている。大体5年くらい。

お仕事でやっているわけではないのでクオリティはお察しだし、そんな高頻度で作っている訳でもないので、ラジオ番組制作の技術とか知識が揃っているかと言われると正直あんまりだと思う。

しかし、私は幼い頃からこだわりが強い人間だったので、こんなお遊びみたいなラジオ番組制作という趣味においても一応こだわりというものがある。


カット編集について。

カット編集は収録番組の特権である。生放送には無い。

ラジオのカット編集は、テレビや映像番組のそれとは違い、それほどネガティブなものでもない。

映像番組におけるカット編集は、映像が継続的なものであるから映像の切れ目がどうしても現れてしまい、どこに適用されたかがバレる。

ラジオ番組は、これがうまくやればなかなかバレないので、番組のテンポや流れをわかりやすくする等、クオリティ向上の手段としてカット編集を多用することが出来る。

特にカット編集が活躍する(余儀なくされる)のは、公共放送の番組などの尺が決まっているもの。会話のなくても大丈夫な部分や話題の一部などをカットして捨てなければならない。

カット編集を行う上で大切なのは、日本語力だと思う。

会話というのはかなり高度なコミュニケーションで、間のひとつにしても相槌のひとつにしても欠けるだけで会話の印象というものが大きく変わってしまう。

それ故に、カット編集をいいかげんに行ってしまったせいで会話の流れがおかしくなったり、本来とは違うニュアンスで聴き手に伝わってしまったりする。

それのわかりやすい例として、過去に会話形式で行える「ウミガメのスープ」というゲームを遊んだ様子をラジオ番組にしたことがあるのだが、尺の都合上、カット編集を数分しなければならなかった。その際に、大きく時間を確保する方法として、質問のいくつかを端折るのがあるが、回答者がどのような思考の軌跡でその回答をするに至ったのかというのを会話の中から聴き手に伝わらなければならないし、出題者に「いいえ」と返された質問ですらカットできなかったりする。

カット編集は敵ではない。しかし使い方を間違えると恐ろしい目に遭う。

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