☔私と愛着形成☔

2ヶ月前に書いた文章。今は職種は変わらず、転職しています。

生まれもっての過敏性と、親から虐待を受けたことにより、愛着形成にとても苦労しました。

身近な愛着形成をしてもらい、そこから前に進むための12年間の記録。

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子どもの頃から、高1の夏まで、親から虐待を受けていた。

ご飯もまともにもらえなくて、痩せぎすな体。中学1年生の時の身長体重は、147cm、32kg。小学校中学年とほぼ同じ。お腹すいて、セロテープを舐めた。鉛筆、ヘアピン、なんでも口に入れた。

頭がぐらんぐらんするくらい殴られた。首を絞められ、頭を踏まれた。1回2回じゃなくて、2,3日に1回。

「ごめんなさい、私がこういうことを言ってしまってごめんなさい。」
「自分のこういうところがダメだったんだと思います。許してください。」

自分を卑下する言葉を吐いた。だってそうじゃないと許してくれないからね。更に積み重なる人格否定、存在否定。

死にたかったよ。私が死んだらね、みんな喜ぶと思ってたの。誰かを見返すために、とかじゃなくてね、自分なんか生きる価値ないから、私は私に早く死んでほしかったの。なのに死ねないからそれも嫌だったんだよ。

1人になって、うわ言のようにその時担任だった助けを求めた。
「先生、抱っこ。」「先生助けてよ。」

でも言えなかったよね。万が一親に知られたら怖いから。大人を信用できなかったから。

結局ね、親にされたこと、その先生には言えたんだ。中学を卒業する1週間前。先生は「なんでもっと早く言ってくれなかったの。」と悲しそうな顔をしていた。

味方でいてくれたこと、助けてくれたこと、手を繋いでくれた温かさ。10年経っても忘れない。

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高校は友人に恵まれた。友人は、私に人間関係の構築方法を教えてくれた。

私は高校生になってようやく、「おはよう」って言えるようになったの。人の話を聞けるようになったの。人を褒められるようになったの。

友人から後で言われた。「あの時のまぴちゃん、人間慣れしてなかったよね。」本当にその通り。

女子校だったこともあって、スキンシップが多かった。自分が汚いもの扱いされないことが嬉しかった。先輩からのハグが嬉しかった。

今までの人生からは考えられないほど、平穏だった。小さいいざこざはあったけどね。

平穏だった。ちょっとの人間関係のゴタゴタで、私のメンタルが崩れた。

引き金が友人関係であっただけで、根本は違かったんだよ。家庭環境だと思うよ。

授業中に、意図せずに涙が出て止まらない。
駅からずーっと真っ直ぐに行って、気づいたら「ここ、どこだっけ?」
自傷行為をしてしまい、止められない。

精神科に繋いでもらった。診断名は「解離性障害」

精神疾患を抜きにしても、遊びまくってろくすっぽ勉強をしていなかったため、受験は大コケ。

それでも、友人に恵まれた、人間関係の基礎を学べた、ずっと高校生でいたいと思うレベルには、楽しかったよ。

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「先生、抱っこ」この言葉を言えるようになったのは、20歳の冬だった。

大学受験に失敗して、メンタル崩れて、学年が1つ落ちた。助けてくれたのは20台後半の先生だった。

先生は「抱っこって……もうあなた大学生でしょ。」と笑いながら私の頭を撫でた。

先生は、たくさん助けてくれた。私が抱きつくのを、「何してるの」と言いながらも受け止め、抱きしめてくれた。

他の先生にも、愛情を求めるようになった。泣いては抱っこを求め、さながら赤ちゃんのようで。

いくら求めても足りなかった。私が愛情を得られなかったのは、親との関係が良くなかったから。そこに先生は関係ないんだよね。親に求められなかったものを、先生に求めるのは違うよね。

わかってた。でもそれよりも、湧き上がる苦しさや、どうにもできない思いを先生に、泣くことでぶつけた。

たくさん愛情をもらっていたはずなのに、蓄積されなかった。結局、その先生とは連絡先交換をしてもらったが、他の先生とは会えていないし、近況も知らない。先生は悪くない。私がわがままだったせい。

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今の私。25歳になりました。念願叶って、保育士資格と幼稚園教諭免許を取得。

激務に耐えた。理不尽に耐えた。大学時代を鑑みれば、かなりがんばっていたんじゃないか。他業種からはドン引きされるような仕事量。

その中で、研修を受け、通信制大学で単位を取り、保育の勉強を積み重ねた。

だからね、私は変われたと思ってたんだよ。だって高校時代には赤点の常習犯だった。大学時代は泣きわめいては縋っていた。時間を守ることだってできなかったんだよ。

でも、休職。理由は人間関係の不和と、ゴタゴタを起こしたせい。

そのゴタゴタから2ヶ月経った今、早かれ遅かれ同じようなことは起こってたよと自嘲するが、

じゃあ原因は何だろう。何が嫌だった?何が原因だった?

自分の気質の問題、努力不足もある。だけど、私には、安心安全の土台がないんだよ。

安心安全の土台がないから、すぐに不安になる。不安になるから、考える。考えるから調べてまた次の不安の種。その不安を解消するために、特定の大人にスキンシップを求め、受け止めてもらうことを欲する。

でも、先生や支援員さんは私のお母さんじゃないんだよ。

お母さんが欲しかったよ、なんで私にはいないんだよ、この不安をどうしたらいいかわからないよ、この世界は不安だらけだし、怖くて仕方がない。

私の問題の大部分は、そこに繋がるようだった。

お母さんが欲しい。守ってほしい。
何で私は大切にされなかったの?

いくら願ったって、絶対に叶わない。叶わないけど、でもね、

私を大切にしてくれる人はいなかった?  

膝枕で寝かしつけてくれた人は誰?
6時間話を聞いてくれたのは誰?
手を繋いでくれたのは?
2時間ずっと抱っこしてくれたのは誰だった?

たくさんの人から大切にしてもらった。いつ満たされるかはわからない。でも、

私は大切にされなかったと泣くのはやめよう。安全基地を作るのは難しいけど、不安な時の建て直し方を探していこうね。


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