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【1日1読】幼児はわたしにうなずいてくれる 吉本隆明「詩への贈答」

けふの夕日が構成してゐる色のうち
緋色からひわいろにいたるまでの複合色彩を分離し
眠りかかつてゐる幼児にそれをゆび指してやる
いちいちうなづくように頸を動かす幼児は
わたしへの共鳴者だ

吉本隆明『日時計篇』「詩への贈答」より

これまた随分とカタい単語が見られますね。
その中に登場する幼児は、年齢まではわかりませんが、もし新生児だとすると、でたらめ運動(新生児が脈絡もなく頭や手足を動かすあの動作の正式名称)で意味もなく首を動かしているのでしょうか、この文章の中に出てくることでなんとも愛らしい印象が持てます。

吉本隆明は、戦後の日本を代表する評論家・思想家。
吉本ばななのお父さん、と言ったら、納得してくれる人も多いかも。
けれど、私は、彼の評論にはあまりにアラがありすぎて、一部の隙もなく優れた文章はかなり少ないと思う。
むしろ彼は、詩人として、もっと読まれていいと思います。

吉本の『日時計篇』は、彼が26歳(1950年)ごろの原稿群です。
前年、過重労働で心身にダメージを受けた吉本は、東工大の特別研究生となります。
この頃まだ子供はいなかったのですが、幼い子供は彼のモチーフとしてすでに頻出しています。

夕日のグラデーションを指差し、子供に示す男。
生まれてすぐの子供は視力が極端に悪いそうですが、夕日を美しく感じるのでしょうか。
夕日を美しいと感じた最初の記憶は……いや、私は思い出せません。

スティーブン・キングは、目頭が熱くなるほど麗しい短編「幸運の25セント硬貨」の前書きに、アメリカの作家パット・コンロイ『The prince of Tides』の一節を引いています。
夕日を見た子供が、「ねえ、ママ、もう一回見せて!」とせがむ場面があるのだそうで。

「複合色彩を分離し」という言い回しも、応用化学を学び、のちに東洋インキ製造に職を得る彼ならではの表現です。
その後、とても難解で、悪文と断罪されかねない長編詩『固有時との対話』を書くわけですが、幼児のうなずきのような、繊細なもの、見逃してしまいかねないものへ注ぐ視線は、決して消えませんでした。

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