【1日1読】世界は彼によって燃されるために在る 中島敦「悟浄歎異」
悟空は確かに天才だ。これは疑いない。それははじめてこの猿を見た瞬間にすぐ感じ取られたことである。……
この男の中には常に火が燃えている。豊かな、激しい火が。その火はすぐにかたわらにいる者に移る。彼の言葉を聞いているうちに、自然にこちらも彼の信ずるとおりに信じないではいられなくなってくる。……彼は火種。世界は彼のために用意された薪。世界は彼によって燃されるために在る。
中島敦「悟浄歎異」より
天才、と呼ぶべき人には、まあ色々なタイプがありますが、とにかく天才に出会うと、すぐそれとわかるものです。
信念や知識や思考から生まれるカラダの挙措に、凡人とは異なる特徴がある。
ここに描出されているのは、その中でも”燃立つ”タイプのようです。
こんなタイプの人、出会ったことあります?
高校の教科書に掲載されて有名な短篇小説「山月記」の中島敦ですが、彼の真の才能は、他の作品を読んでこそわかります。
特筆すべきは、彼の最後の年。1942年、中島は1年間で驚くべき量の小説を残し、12月、33歳でこの世を去ります。
「悟浄歎異」は、16世紀中国明代の白話(つまり口語)小説『西遊記』をベースに、川に住む妖怪の中で唯一自我を持ってしまった沙悟浄が三蔵法師一行に出会うまでを描いた「悟浄出世」の続編。
悟浄の眼から見た、悟空・八戒・法師の姿が語られます。
明らかに近代的自我の持ち主=近代人として描かれる悟浄は、いつも迷い、自信がなく、自己嫌悪とうまく付き合えないまま生きています。
対照的に、仲間となった悟空は己の能力の限界を知らず、八戒は美女と美食を愛する気持ちのいいくらいの享楽主義者です。
世界を燃やす。
「そんなこと、自分にできるわけがない」
多くの人がそう考えるでしょう。
……悟浄のように? いや、そうじゃない。
この悟浄の熱心な書きっぷりにご注目ください。悟浄は悟空をまじまじと眺め、本質を言葉で表現しきれるほど彼を理解しています。
悟浄は、明らかに、悟空に近づいているのです。
これがどういう意味かと言えば、これを読む私たちこそが、すでに悟空に接近し始めているということです。
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