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夏に回帰する

通り過ぎた風が夏だったので急いで夏の音楽を再生し始めた。音楽の旬を楽しむことを是としているが、よく考えると冬にしか聴かない音楽は特に思いつかない。春と秋も同様。

春と秋と冬は季節の名前で、夏は現象の名前だ。

茹だる暑さに、良くも悪くも人類の驚くべき軽率さがいかんなく発揮される。明らかに濃度が違っている。至る所でお祭り騒ぎが持ち上がり、収拾はつかなくてもいい。夏の核心は常に酔っ払っているような人々の浮かれ具合にある。

そんな喧騒がやっと鎮まって秋の気配がしてくる晩夏には、夏の間に得たものと失ったものをまとめて大きな鞄に詰め込み、次の夏までずっと抱えて歩いていく。

そしてまた夏に辿り着いたら、それら荷物を解いてひとつひとつ思い出す。その作業を始めるタイミングに、今年最初の夏の音楽が流れている。一年の暦が切り替わるのが元旦なら、一年分の感情が整理されるのは「夏が始まったと気づいた瞬間」であるという感覚が、いつからかある。

エモいという言葉がこんなに尽くされていなければ、別にそう形容してもよかった。

川沿いで飲んだビールでも、林檎飴でも、花火がバケツに放り込まれたあの音でも、東海道線の車窓から見た適当な海でも、鴨川デルタの夕立でも、初めて弾けたアルペジオでも、なんでもよかった。

作業をひと段落させて、冷凍庫から取り出して包装を破って口に入れてから今はアイスなんて食べたくないのに、と気づく。

夏が来たというより、また夏に来た。

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