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アラフィフ女性が未婚のまま、ウェディングドレスを身にまとって

3/21春分の日(宇宙元旦)を迎えた後、ようやく昨年の出来事について落ち着いて振り返ることができるようになったと感じたので(遅!)それらについて書いてみようと思う。

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2021年はいろんなことに挑戦して、新たな自分を発見し、大きく成長できたよい年となった。

それはなんといっても、ずっと気になっていたコーチングを学び始めたことがすべての始まりだった。

コーチングのセッションによって私は自分の深い、深いところまで潜って、たくさんの経験から、傷ついた気持ち、嬉しい気持ち、家族や自身への愛、本当の想いや、心の奥の願いも、たくさん向き合うことができた。

そしてそんな中、たまたまネットで、とあるプロジェクトを知ることになる。


■ はじまりはネットで見つけたチャリティープロジェクト

それは一般社団法人the GIFTが企画したチャリティープロジェクトで、「ウェディングドレス」の力を借りて、新しい自分への第一歩を踏み出すきっかけをつくる、という内容のものだった。
ウェディングドレスという、女性が自信をもって輝くことのできる最強アイテムがあれば、普段できなかったこと、言えなかったことを伝える勇気、新たな一歩を踏み出すきっかけのパワーが手に入れられるのではないか、というのだ。

ウェディングドレスは結婚式か、または結婚の記念撮影として結婚相手と共にどこかでフォトシュートをするとき以外、普通は着ないであろう特別なものだ。さすがのハロウィンの夜ですら、それを着ているツワモノは見たことがない。

それくらい特別なものだし、一人でできる旅行やぼっち飯とも違って、なかなかやりたくても結婚相手無しでは普通はできないことだ。

しかしおそらく多くの女性にとって、いつかは着てみたいという憧れのものなんじゃないかと思うし、私もそのうちの一人だった。
(このような自分の願望をウソをつかずに言えることがすごい)

じゃあ、早く婚活して結婚式をあげたらいい、っていうのはわかるが、世の中にはいろいろな事情があってそうできない人はたくさんいるし、私の場合もそう簡単に事が運ぶわけもなく、そうこうしているうちに、しわしわの顔の、腰の曲がったおばあちゃんになっていく姿が目に浮かんだ。(現在遠距離恋愛中の彼との話については後述)

そしてそれとは別に、世間には、アラフィフの女性がウェディングドレスを?!と驚く声はあると思うが、明日より今日、顔の皺が1本でも少ないうちに写真を撮れたら、と悪あがきをしてみたのだ。

■ ドレスを着るだけでなく

そのチャリティ企画には、何らかの理由でウェディングドレスを着る機会がなかった人たちが自薦他薦で応募理由を書いて応募し、最終的に7人(5組)が選ばれた。
そして企画の真の目的でもある、人生へのターニングポイントとしてのきっかけとする、という主旨のもと、当日の本番には、それぞれが両親やパートナーや自分自身にあてて、これからの人生の門出となるような手紙を書いて皆の前で読んだ。

私がこの企画で、一番感謝と愛をつたえたかったのは、これまでしんどいことがあっても頑張ってきた自分自身だった。だから自分と、そしてどこかにいる似たような誰かにもこのエールが届いたらいいなと思って自分あての手紙を読んだ。

そしてやっとアザがあるからできない、という勝手に自分がかけた呪縛を解いて、不安に向きあって挑戦し、誤魔化したり偽ることなく自分の願望を叶えたこと、文字通りありのままを隠すことなくできたことが本当に良かった。


■ ウェディングドレスが怖い

私はこれまでnoteに書いてきた通り、右上半身から腕、指先まで大きな血管腫(赤アザ)がある。そのうえ高身長なのもあって、自分が着れるウェディングドレスはあるのだろうか、というのがずっとぼんやりした悩みだった。


アザを隠せる長袖のドレスで、着丈を含めて、私が本当に素敵に見えるものなんてある?
もし、一般的なデザインのベアトップや腕を大きく露出するデザインのドレスしかないなら、披露宴で初めて会うような相手方の親族や友人などが驚いたり不快に感じたりしない?
そして幸せでいるべき大切な日に私がその人たちの視線をストレスに感じたりしない?
と、着る機会もないまま要らぬ心配を何十年もしていたのだ(笑)

「私はウエディングドレスを着られない」

これが私がセルフコーチングで乗り越えた大きなもののひとつだった。
これまでの経験からくる不安や恐怖により、自分がやりたいとおもっていてもできなかったことに真正面から向かい合ったのだ。

米国のペンシルバニア大学の研究によれば、不安というものは、9割は起こらないそうだし、不安をおそれるのは、見えないものだからだ。

どんなドレスがあるのかどうかわからなくて不安になるなら、ネットでも調べてみたら簡単にわかることなのに、こんな私なんかが、とウェディングドレスショップは近寄ってはいけないものと思い続け、本屋にならぶ結婚準備のための雑誌も、ドレスの写真も異常に避けて生きてきていた。

そうやって40何年も生きてきて、イベントの企画者との打ち合わせでどんなドレスが着たいかを話し合うために、初めて、恐々とGoogleで「ウェディングドレス 画像」と打ち込んでEnterを押したあの夜のことは今でも忘れない。


■ 撮影当日

そして、迎えた撮影当日。
朝までずっと降り続いていた雨が奇跡的にあがり、太陽がキラキラとまぶしい秋空の下、都内の結婚式会場のチャペルで、撮影のために飛行機で東京まで来てくれた彼と一緒にウェディングドレスを着て撮影を行った。

チャペル(礼拝堂)では、ありのままの私を愛して、サポートしてくれる彼がすぐ隣に立って見守る中、勇気を出して自分にあてた手紙を、関係者の皆の前で読み上げた。全容は省略するが、一部はこういったものだ。

「どんな自分でも愛してあげること。これまで日々負けないように頑張ってきた私の努力を認めてあげること。

そして自分に許可をします。自分の望みを叶えて、自分をもっと幸せにします。」

礼拝堂で、自分の人生を祝福し、これからは自分をもっと幸せにすることを誓ったのだ。


■ 企画に応募したほかの理由


私がその企画に応募した理由は他にも理由があった。

撮影当日は取材が入って、メディアに掲載もされるという話が事前にあったので、私は血管腫(赤アザ)のことを世の中の多くの人にもっと知ってもらえる機会にしたかったのと、そしてそんなアザやほかの症状や特徴があってもやりたいことを諦めないで、というメッセージを届けたかったのだ。

「他の人とは違うということで自信が持てない自分だけど、
見た目や、年齢にかかわらず、どんな自分だって着たいものを着たらいい、
やりたいことをやったらいい。
こうだから、ああしなければいけない、なんて周りの声に振り回されないで。
自分のたった一度きりの人生だから。

まわりのうるさい誰かのせいで、
または自分で勝手に作り上げてしまう不安の声に惑わされないで、
小さな、でも大切な自分の声をきちんと聞いて。
そうできるのは自分だけだから。

あなたも、やりたいことは叶えられる。」

ということを、言葉だけでなく文字通り身体を張って伝えたつもりだ。


■ その後の思いがけない変化


ほかにも思いがけない変化があった。

この企画は、ドレスを着た自分だけでなく、パートナーも一緒に写真を撮ることができたので、さながら実際の結婚の記念写真のようになった。

そして、あれだけ数年間も結婚するかしないかの話が平行線のままだった彼と関係も少しずつ進み始めた気がする。

早く結婚したいとおもっていた私は、たぶん、皺しわのおばあちゃんになる前にドレス姿の写真を残しておきたかった気持ちが強かっただけだったのだと思う。

いつまで続くのかわからない、飛行機に乗って会いにいく距離の遠距離恋愛の諸々のしんどさ、年齢のこと、お互いの結婚に対する考えの相違などで、私はもういつ我慢と努力の限界が来るのだろうと思っていた。
ところが、二人で写真を撮ってしまったらもうすっかり私の気持ちは落ち着き、反対に彼のほうが結婚に向けて気持ちがようやく向き始めてきたようだ(とはいえ、実際にはあと何年かかるのか、というカタツムリのような歩みだが)。


■ 最後に


今回のタイトルが痛すぎて、読み返したときに自分でもちょっとキツイ(笑)
しかし、常識とか世間のこうするべきとか、っていうことにばかり気を使いすぎている自分にはよい経験になったことだったし、できるだけ多くの人に届けられたらとおもってのタイトルだ。

そして、誰かの「やりたいことがあるけど、できない」の気持ちに寄り添って、励ますことができるエールになったら嬉しい。

また、このような機会を与えてくださった一般社団法人the GIFTや関係者の皆様に改めて感謝を伝えたい。
本当にありがとうございました。

※ 単純性血管腫(赤アザ)は、他の人にうつりません。触っても痛くありません。でも理解のない人、知識のない人から避けられたり、ジロジロとみられることによって心が痛みます。


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