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「日中活動」について

以前、精神科デイケアについて何度か投稿させていただきました。
精神科デイケアも含めて、精神障害を抱える方の生活を考える時に、「日中活動」というワードはよく出てきます。

私たち人間は起きている時間、ライフステージによっても異なりますが何らかの活動に参加していることが殆どです。ある種それは人間が生きている上で自動的です。望んでる場所や作業かどうかに関係なく、です。

多様な社会となってきて、日中の活動に対して仕事の領域を見ると分かりやすいですが、かつての主流だった会社勤めに関わらず、リモートワーク、フリーランス、復業等などが少しずつ世の中で認知され始めその有り様は今後も一層広がりを見せていきそうです。
その中で日中活動に関しての捉え方は今後どんどん変化していくと思いますが、何であれ人間が健康的に生活していくには何らかの「活動」への参加がとてもキーポイントになっていきそうです。(「活動」自体には家庭内での家事などそういった日常の生活上行っていることも含まれます)

精神障害を抱える方の生活を考える時にこの「日中活動」というワードが出てくるかというと、病気や障害を理由に元々あった活動先を失ってしまったり、活動先や役割はあるけれどそこで活動できる体力や能力が病気の影響で障害されてしまった結果、実質的な活動できる場所や行為が奪われてしまうといったことがあります。

世界保健機構(WHO)による国際生活分類(ICF)が、現在は障害福祉分野の中で障害を考える上で土台となっています。その中では
人が持っている心身機能・状態活動参加という機能は双方向に影響しあうものとされています。そして、それら(心身機能・状態活動参加)がどういう状態かが健康状態とも影響し合う。一方でそれらはその人が置かれた環境や境遇、個人因子とも影響し合う関係性があると定義されています。

(調べてみるとすぐにこのモデルを表した図はインターネット上で見つけることができます。恥ずかしながら学生時代、この図を履修の中で学びましたが当時は今ひとつピンときませんでした。それは私自身の読解力の問題ですが、、苦笑。
実際の現場で様々な人たちと出会い、生活というものを見続ける中でやっと図が言おうとしていることが朧げに見えてきたという感じです。
ですので、ここでは図の紹介は割愛します。)

このモデルを通して人の健康を考えてみると、何かの活動を持っていることや、何かに参加をする場所をもっていることも健康状態に影響を与えている可能性を見ることができます。
なので、治療的な意味でも、生活の質を向上させていく意味でも日中活動を行う場所を持っていることやそこへの参加を促す医療従事者や福祉職がいることになります。
わたし自身も、そのような考えを根拠にして日中活動について利用者さんと話す時に意見交換することを心がけています。

フォーマル(公的)な資源とインフォーマル(その他)の資源

活動と参加の機会としては世の中を見渡せば沢山あります。

フォーマル(公的)なところで言うと
医療の枠組みでは「精神科デイケア」
福祉の枠組みでは訓練事業として「就労移行支援事業所」「就労継続支援A型事業所」「就労継続支援B型事業所」「自立訓練(生活訓練)事業所」、地域生活支援事業として「地域活動支援センター」といったものが代表されます。
特性は、同じサービス名称であっても本当に特色があります。サービス名称に固執しすぎずに、行いたいことやその事業所の雰囲気、今の自分の健康状態などから少しでも活用できそうなところから検討してもらえると良いと思います。

これらはスタンダードな選択肢として、患者さんや利用者さん、ご家族と話をすることが多いです。
ただ、わたし個人としては、こうした公的な資源も含め、それに拘らず、その方にとって少しでも足が向くものであればなんであれ、何らかの活動の機会と参加を応援できると良いと思っている派です。
近所の書道教室でも良いですし、ヨガ教室でもいいですし。できれば少人数でも良いので人との接点が多少はあると、最初は苦痛でも、将来的には良い経験になると考えます。

私自身も、社会人になる前、1ヶ月ですが空白の期間がありました。
どこにも所属せず、孤独を感じていました。
よく定年退職をしたあとに、あまりにも仕事中心の生活をしていたために仕事以外のやることが見つけられず、そして仕事関係の人間関係がスポッと抜けてしまい急に他者との関わりが減ってしまい、でも時間だけはやたらある。その結果、お酒の量が増えアルコール依存症になってしまったり、認知症の引き金になってしまったりという健康状態への影響はよく聞かれることです。高齢の夫婦が、どちらかが亡くなってしまった場合、残された妻より残された夫の方が、その後早く亡くなってしまう傾向があるという話を耳にすることが多いですが、こうした話も男女による「活動」や「参加」との関係性に違いがあるのかもしれません。
こうしたことからも「活動」「参加」の機会があることは大切だなと思います。

見落としたくないこと

一方で、病気を発症したり障害となってしまった原因の一部にもまた「活動」「参加」があります。新たな「活動」「参加」をつくる上ではこのことともまた向き合っていく必要があります。横に置かないといけない思いや考えもきっとあると思うのです。これらを横に置くことは容易ではない作業です。
ですので、その方のペースや思いも飛ばさずに、ご本人様もご家族も、そして私たちも日中活動を考えていく際は大切にして欲しいと思っています。

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