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どんどん刺激の薄れていく恋愛感情に。

経験とか、年齢を重ねていくうちに。いつのまにか、当たり前で鮮明なモノとして感じてたはずの恋愛感情を。どうやって、今まで抱けていたのかすら分からないくらい、薄く感じるようになってきた。そんな気がする。

「これが恋愛だ」と、ハッキリ言い切れる、そんな嫌にでも分かる恋愛をしたのは、やっぱり初恋の時が一番だっただろうか。

あの頃の恋なんて、ある種の気持ちの良さと、気持ち悪さを乱雑にかき混ぜられたようなものだった。そして自分が無知だったからこそ、そこから更にも、ぐちゃぐちゃにしてしまえていたけど。それでも、あの時に味わってた気持ちは、これから先には、もう二度と味わえないないのかもしれないな、と、そう思えるほど自分の気持ちに慣れと老いを感じている。

最近はちょっとしたことで、なにを強く思うこともなくなった。情緒は安定してきているように見えて、気楽にも捉えられるから良いと思えそうだけど。

こうなってくると恋がしたいとか、そんな衝動的で、無意味にも縋れる気持ちの掴みどころがなくなって、恋愛をするほどの気力すら湧かないのが現実で。どうせだったら、いい歳もしてきたのだし、結婚だってそろそろ考えても当たり前だけど。以前までの恋愛したい欲を失っているからこそ、そこまで必死になれる理由もなく、拍車がかからない。

結婚していった周囲の人達を眺めては、自分の日常と比べて。なぜ、他人はそれほどまで簡単に好きな他人でも見つけられて、更に結婚までできてしまっているのだろうか、と疑問に思わされる。というより、本当に結婚相手を好きだったのか?なんて、そんな疑い深さが湧いて。もしかすると本音のところでは、好きよりも無難を選び、そうして、あっというまに成り行きに、ただ結婚にたどり着いた人達もいるのではないかと思ってしまう。

実際、結婚して行った人達も、本当は、パートナーには妥協した点などあったのだろうか。そういうことは本人達にしか分からないだろうけど。ただ、そんなことを、いちいち本人達から聞出しても、自分のプラスにもならないだろうから。結局、幸せだったら、それで十分なのだろうという結論に落ち着いて。

それでも他人は、自分と同じくらいの無気力さを抱えながらも。恋愛とか、そうした感情からは卒業したのだろうか。恋愛とかそういうのは、卒業してからこそ。そうしてフェーズを変えられて、結婚とかいう、大人としての当たり前みたいな選択を優先できてしまえるだろうか、なんて、意味もなさそうなことについて、また変に深く考えるようになる。

「好きになった人と結婚する」か「幸せになれそうな人と結婚する」とかいう質問を投げかけられたら。世間的には、前者の方に魅力を感じるけど、長い目で見たら後者の方に安定がありそうにも思えてきて。もちろん、両方兼ね備えてる方が断然いい。けど、それがほんの一握りだけの理想論だと期待できずに諦めてしまうほど、経験からか呆れの感情が強くでる。

ドラマや漫画のような、創作物の中では、理想のような恋愛シュチュエーションを繰り広げているけど。実際そういうのは、リアルの恋愛の、感情が揺さぶられる部分を切り取って貼り付けた作り物なだけであって。現実の恋愛の中になんて、もっと多くの、絵にもならないような失恋があったりするのだから。

そういうのに無知なままで、恋愛に大きな期待できるほど乙女でもないのが、今の自分。完璧な人っていうのは、もうすでに誰か相手がいるっていうことも前提に考えて、現実そんな自分に都合のいいシュチュエーションもない、なんてことも潔く自覚して認めている。

もうなんとなく察しているのは、好きになったからといって、いつか感じてたトキメキのような感情も、死ぬまで永遠には続けられないのが人間なんだろうなぁってことと。人を好きになるとかいうのは、何かしらのキッカケでも作る為の、最初の作業のようなものにしか過ぎなかったのだろうって。

なんだか、経験が増えても活かせることが何も学べなかったのだろうなと思う。

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