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自分の「好き」を、認める

先日、母の握ったおかかおにぎりを夕飯に食べました。

私の握りこぶしの大にもみたない丸型で、うっすら醤油味の効いたご飯にのりの風味が最高すぎるそれは、なるべく大事に噛みしめたつもりでしたが、一瞬で無くなってしまいました。


何十年ぶりの味でしたが、本当に美味しかったです。


しかし、毎日数百グラム単位の体重の増減には相変わらず翻弄されまくっている自分がいて、一つ自分のことが分かったからといって、また、ずっと我慢してきたものを一つ二つ食べられたからといって、そう簡単に全てがクリアになる訳では無く、自分が抱える問題の根深さと、そこに付随して出てくる受け入れ難い自分の数々を地味に痛感しているところでもあります。

そういえば先日、柿の種を食べていて気付いたのですが、私の中では「ながら食べ」が当たり前になっていて、とにかく食べてる「だけ」の時間がもったいないことが分かりました。

好物のドーナツすらシッカリと見つめて食べることに集中出来ず、常に片手には携帯でネットを見てたいし、晩御飯の時にもやっぱり目の前の食物たちを「早く無くしてしまいたい」。

そこには「あまり味わわなければ、身に付かずに済む」と思ってる自分がいました。

ひとつひとつを噛み締めて、味わって、その物(人)だけで体がいっぱいになるのが嫌。
もっと色んなものを楽しみたいのに、その余力が無くなっちゃう。
自分の「好き」を楽しむ余裕が欲しかった、みたいに。


私の、「好き」…

実はそこに、イマイチ表立って自信がない自分がいることに、今更気付いてしまいました。

好きな漫画や色、映画や芸能人、また趣味など、人に言ったら数うち当たるだろう的な「恥ずかしくない好き」は大っぴらに出来ますが、どこか自分の根源に関わるような「好き」には、あまり人に触れて欲しくない(突っ込んで聞いて欲しくない)というか、誰にも知られたくないようで。


「これ以上、自分の好きを否定して欲しくない」そんな気持ちもあります。


私は、ドーナツや菓子パン系と、チョコレートとクッキー系が大好物なのですが、それらを堂々と好きなだけ食べられるのが、唯一自分のお昼ご飯としてだったこと、そして、それを人に知られる事が、いつからかずっと恥ずかしかった自分がいる事に気付きました。

ずっと、食べてる姿を人に見られたくなかったのは、「それしか食べないの?」という私の身体事情に対する好奇の目では無い、「それご飯なの?」という、私の「好きなもの」に向けられるその視線がキツかったことを、少しずつ思い出していました。


同時に、幼い頃からよく母には「好きな物ばっかり食べたらダメ」と言われて来たことを思い出し、「私の好きな物=体に良くない(ダメなもの)=制限せねば」とし、最近では特に、摂食障害を克服したとか、栄養士や医者など専門分野系の情報を基準に「私の好きなものは、ダメなんだ」のドツボに自分で勝手にハマっていました。

自分の「好き」を誰より否定してたのは私。
通りで、心も体もどんどんキツくなっていく訳です。

だからもう、どんどん認める努力をする事にしました。


今日の朝ごはんは、納豆オムレツ。

お昼は、サザエのお焼き(こしあん)と、チョコチップクッキー5枚入り、生クリームチョコ二粒に塩キャラメル二粒、柿の種梅味二袋。

夜は、ほうれん草の卵とじに、チーズハンバーグとサツマイモのバター焼きで、デザートはチョコがけミックスナッツ、どれも大好物でした。



私の「好き」を否定したくないから、今はとにかく、私の食べたいものを食べます。



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