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食べていい=生きてていい

私は今、自分が摂食障害かもしれないということを、認めざるを得ない現状の中におります。


それは、先日とある摂食障害の方(ご自身で世にそう発信されてる)のリーディングをきっかけに、今まで私の中で蓋をしてきたであろう様々な感情が、ホロホロと溢れ出てきてきたことが原因です。

私の場合は、それを理由に医者にかかったことも無ければ、そもそも自分なりにちゃんと「食べてる」自覚があったため、もうかれこれ20年以上も自分の中にある問題にまともに向き合うことなく今まで来てしまいました。


正直、大学生の頃あたりから、白米は怖くて口にすることが出来ません。

人との外食をありとあらゆる理由をつけて断り続けて来たのは、「食べる」行為を人に見られたくない、そもそも太るのが怖いあまりに、デザート的なものしか頼めない自分の姿を誰にも見られたくなかったからです。

昔母に作って貰っていたお弁当は、同じ家に居るのにこっそり持ち帰っては自分の部屋のゴミ箱に捨てていましたし、「お腹いっぱい」「今日は食べてきた」といつも食べてるフリをして、今でも私の夕食だけはおかずのみが当たり前です。

「吐いてないから」とか「お菓子は重量が軽いから」いずれも私は大丈夫、そして「健康のため」と言いながらヨガと温泉で干からびるまで汗を流した後は、ダイエットサプリという名の下剤を飲みまくっていた時期が何年もあります。
(それが原因かは分かりませんが、大事な出張中に胃腸炎を引き起こしてからは一切サプリ系が飲めなくました…)

俗に言うBMIとやらは16、「そこまで」痩せている方ではありません。

今日3回は体重計に乗り、200g~400gの差に一喜一憂しては、2回ウォーキングに行きました。

そして…
私、未だに自分のことを「太った」と思っています。


目に見えないお相手の「魂の叫び」に触れたような気がして、その声に反応する度に「何とかしたい」と未だに思ってしまう自分を、まずは何よりも先に癒すべきだったこと、改めて思い知らされました。


そして今、自分が長年包み隠してきた問題をひとつずつ紐解いていこうとする中で色んな感情や言葉が出て来ていますが、それは次回、自分の中でまたひとつ「準備」が出来たらお伝えするとして―


今日、私の中で腑に落ちたことがひとつ。


「食べるって、生きるってことか」と―


どうりでって感じでした。


それは、現時点での私にとっての「食べる」行為即ち「太る」という「醜さの象徴」を表すものであると同時に、「自分を許す」という究極の「愛の象徴」でもあるようで。


「醜い自分は生きてちゃダメ」という、「私」という存在自体を丸ごと否定していた今までの自分を振り返りながら、そして、そんな自分から溢れ出る思いをただひたすらに味わいながら、私は思いました。

みんな、自分を許せないからって必死に他人に許しを乞うけど、自分で自分のことを受け入れられる人が少しでも増えていったら、平和の道は開けるのに、と。


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