見出し画像

誰かが私たちの日常を演出しているかもしれない


電車の回数券は、改札に通すとモニターに
「あと○○回」と残りの使用できる回数が表示される。

高校生活最後の登校日の朝。
回数券を改札に通すと「最終回」と表示された。


エモすぎ。

凝りドラマのサブタイトルの出し方やん。

私の生活の中に嘘みたいな演出がついた。
こういうことがたまにある。


中学校の部活を引退した日は嘘みたいに綺麗な夕焼けだったり

出席した葬式の出棺の時には大雨が降ったり

朝、和楽器の音で目覚めたと思ったら家の前に獅子舞が居たり。

(最後のはよく分からないけど)

ーー

少しベクトルが違うけど、
1番凄かったのはももクロの桃神祭2014day2(ライブ)。
初めて行った音楽ライブだった。

ゲリラ豪雨により開演が1時間遅れたあと、
まだ普通に土砂降りな中ライブが開始される。
リーダーが「晴れにしようぜー!!!」と叫び
始まった1曲目は「天手力男」(天気の神様の名前らしい)。
1曲歌い終わると、
いつの間にか雨は止み、厚い雲の隙間から日が差した。
リーダーが「晴れたぜーーー!!!!」と叫ぶ。
虹まで出た。

ここまで完璧な偶然の演出は後にも先にもない!
ファンの間でも語り継がれている。
そもそも、この桃神祭2014の演出自体が物凄かったので、相乗効果で当時小学生の私は
めちゃくちゃ心を奪われたのを覚えている。

ーー

こういう偶然や奇跡を目の当たりにする度に、
誰か、神様のような存在が演出家になって私たちの生活をドラマにしようとしているんじゃないかと思うことがある。

偶然の演出の感動越えようと、
自分でも自分の日常に演出しようと試みる。
高速道路に乗る時、景色にあった音楽をかけてみたり、サビで音量をあげてみたりする。
テンションは上がるけど越えられない。

偶然による演出には、
作り物は到底越えられない何かがある。
現実は小説より奇なりとはこのこと。
そういう瞬間を見つけるのはすごく楽しいけど、

居ない演出家に負けた気がして
なんか悔しい気持ちになる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?