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凍りついた怒り

感情は、処理しきれないほど強く大きなものだったとき、冷凍保存されるという。

そのままを感じて心が壊れないように。

心を守るための一時的な処理だ。

感情は凍っているだけで、たしかにそこにある。
処理されない限り、心のなかに重苦しく居座り続ける。
似た経験をしたときに感情が刺激され、強く揺さぶられたりもする。
フラッシュバックだ。

これはトラウマの話。
下記の本に詳しいので、興味のある方は読んでみてほしい。

白川美也子
『赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケア』


最近、わたしは猛烈に怒った。

暴れて泣き叫んだ。
壁を殴り、頭突きをし、自分の脚を殴打した。
今、体は痣だらけだ。

何かあったわけではない。
11月に引っ越してパートナーと暮らし始めた。
私のパートナーは明るくて優しくて、思慮深い人だ。
ふたり暮らしは穏やかで、日々幸せを感じている。

なのだが。

12月に入って、夜眠ろうとすると涙が溢れるようになった。
それ自体は、私にとっては珍しいことではない。
うつ病の療養中なので、突然自分が泣き出すことには慣れきっている。

その次は、眠気と怠さで起きられなくなった。
これもうつ病の症状なので、「またか」と思ってやりすごす。

そのうち、涙と共に吐き気をもよおすようになった。
これは、今まで抑えつけていた感情が出てこようとしているサイン。
これも今まで何度も経験があったので、「うわ〜何か出てこようとしてる〜」と思っていた。

その次は強い希死念慮に襲われた。
「死にたい」
「なんでかわからないけど死にたい」
「私はもうだめになったので、死にたい」
「苦しい、もういやだ」
「いなくなりたい」
「死にたい」
頭の中はずっとこんな感じだ。

一方で、
「死にたくない」
「私が死ぬ理由はない」
「パートナーと一緒に生きたい」
「死んではだめだ」
とも思っている。
頭の中はぐちゃぐちゃだった。

「私が私を殺してしまいませんように」と祈った。

ある夜、私はノートに
「死にたい」
とひたすら書き出していた。
書き出すことで、吐き出して楽になれるのではと思った。
書いていて、瞬発的に私はノートを床に叩きつけていた。
ここでやっと、私は自分が怒っていることに気づいた。

翌日私は一人カラオケに行った。
怒りをぶつけるような曲を歌いたかったけれど、普段あまりそういう曲を聴かないので、中島みゆきの「命の別名」くらいしか思いつかなかった。
とにかく、自分の音域に合った声の出しやすい曲を、ひたすら歌った。

カラオケを出たら、涙がこぼれて吐き気がした。

泣き叫びたい、と思って急いで家に帰った。
そして、泣いて叫びながら暴れる自分を抑えられなかった。
とてもとても強い怒りだった。


怒りは、母に対するものだった。
もう縁を切り、関わることはないだろう母。

母は働いていない人だったので、いつも家にいた。
そういう意味では共に過ごす時間が多かった。

しかし今思うと、そこに情緒的な関わりは一切なかった。
代わりにあったのは、強い支配。
しつけでも教育でもなく、ただ、母のこだわりに従わされる毎日。
叱責。
厳しい節制と食事制限。

子供ながらに、うちはとても貧乏なのだと思っていた。
実際には違った。
むしろ裕福なくらいだったと知ったのは大人になってから。

疑問を口にするのも許されなかった。
母が不機嫌になるからだ。

母子家庭という環境で、養育者である母は絶対の存在だった。
生存戦略として、私は自分の感情を抑えつけ、感じないようにする術を身につけた。
「怒り」はタブーだった。
それを出すことは、私の生存を脅かすことだった。

その、子供の頃に凍らせた怒り。
それが数十年越しに溶け出して暴れている。


2年ほど前に私は仕事に出勤できなくなり、「適応障害」と診断され、休職ののち仕事を辞めた。
今では診断名は「うつ病」となり、療養を続けている。
この2年、多くの本を読み、自分の心や感情と向き合ってきた。

上記の『赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケア』にあるが、
冷凍された感情は、安全な環境になったときに溶け出してくるという。

今のこの激しい怒りは、今が安全だと思えるから出てくるようになったのだ。

やっと、出てきた。

とても苦しい。

けれどこの感情を感じきって、認める作業が必要なのだろう。


この今回怒り狂って暴れた話を、たまたま友人にしてみた。
すると友人は、「そのままじゃパートナーさんがまいっちゃうよ」と率直に意見をくれた。
本当にその通りだと思った。

怒りを怒りと認識できていなかった頃、夜に眠れないと私は衝動的に深夜の散歩に出かけた。
ひどい時は歩きながらコンビニで買った缶ビールを煽っていた。
完全にやけくその気持ちだった。
そして、そのたびにパートナーは「危ないよ」と私の心配をしてくれていた。

友人は言った。
「自分のためにはできなくてもパートナーさんのためだと思えばできるでしょう」と。

友人のアドバイスから、手始めにまず大嫌いな大嫌いな運動をすることにした。
怒りを込めれば運動も楽しく、健康になれて一石二鳥かもしれない。


十数年分溜め込んだ、膿のような膨大な、私の怒り。
これを何とかしなくてはならない。
自分と自分の大切な人のために。

たびたび死にたい気持ちは顔を出す。
これは、
「怒り」を出す=生きていけない
という、子供の頃に植え付けられた誤った信念なのだと思う。

正直、生きていく自信というものが私にはあまりない。
苦しくてつらくて泣いてしまうことがしょっちゅうだ。

だけど生きられるうちは生きてみるしかない。
今日一日。
今日一日だけでもと自分を励ましながら。

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