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「みんなと同じじゃないと」という思いから、自分を解放しよう 【目が見えなくても、あちこたねえライフ】#3

こんにちは。「目が見えなくてもあちこたねえライフ」の角谷(すみや)です。
「あちこたねえ」とは、新潟の方言で「どうってことない」「大丈夫」という意味。
詳しくは、こちらの記事をご覧ください。


□ 「もう少しでなんとかなる」とき、人はどうするか

こんな場面を想像してみてください。
 
電車に乗ろうと、駅に向かって歩いています。
少し寝坊して、発車までギリギリだなと時計を見ながら、駅への道を早足で歩いています。
「走れば間に合う」くらいなら、遅刻を避けようと、走りますよね。


でも、寝坊して起きた瞬間、どう頑張っても間に合わない場面だったらどうでしょうか。
「駅まで頑張って走る」なんて発想には至らず、別な手を考えるはずです。
上司にお詫びして、準備でき次第出社する。諦めて丸一日休む。など。

 みなさんもご経験あると思いますが、
物理的にどうにもならないことは諦めがつきます。
その一方で、「頑張ればなんとかなる」という境界線では、なんとかしようともがくものです。


□ 「もう少しでなんとかなる」ことだらけだった学校生活

小さい頃の私も、そうでした。
「目が悪い」「目の難病を患っている」という診断は受けていたものの、当時はメガネを掛ければ0.3くらいは見えました。
 
なまじっかぼんやり見えていたのが、良くなかったのかもしれません。
 
黒板の字、教室の前の席なら見えなくもない
ドッチボールの球、少し反応は遅れるけど、見えないこともない
 
「ちょっと鈍臭いやつだな」という周りの評価を甘んじて受け容れれば、いわゆる「普通の子」として振る舞えました。

□ 「普通の子」であることを自分で自分に強いていた

でも、これが良くなかった。
 
「普通の子」であることを自認し、周囲からもそういう目で見られていた私は、
いつしか「普通でなければならない」という思いで自分を縛るようになっていました。
 
普通でないことが恥ずかしい
普通でない自分は劣っている
と。
 
でも、現実はできないことだらけ。
 
黒板の字は、後ろの席では当然見えません。
先生が喋ったことを適当にメモし、できている風を装っていました。
 
一事が万事、そんな感じです。
 
とにかく、周りの「普通の子」ができることをできない自分が、嫌いだったのです。
 
今から振り返ると、「すいませーん!黒板の字が見えないから、席は一番前にしてください」と言えばよかっただけなんですが。

□ 「みんなと同じじゃないと恥ずかしい」なんてことはない

この歳になって思うのは、「みんなと同じじゃないと恥ずかしい」なんてことはないということです。
 
できないこと、苦手なこと、あって大いに結構じゃないですか。
それを受け容れ、「できないです。助けてください」と伝えられれば、人生が格段に楽になります。

□ まとめ

今日のメッセージを特に伝えたいのは、「境界線」上にいる方です。
 
・不便さを感じるけど、なんとなくやり過ごせている
・やりにくさはあるけど、周りに「変な人」と思われ嫌われるくらいなら、このままでいい
 
そうすると、周りへ「自分はこれができません」と表明するのを、ついつい躊躇ってしまいます。。
私がまさにそうでした。
 
でもその殻を破った時、とてつもない解放感を覚えます。
自分も楽ですし、助けを求められた周りの人も、嫌な思いはしません。
 
「みんなと同じじゃないと恥ずかしい」から、自分を解放しましょう。
 
目が見えなくても、あちこたねえ
そして人生は続く

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