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選択肢の1つに、通信制高校を提案したい話。

 こんにちは、スミレです。
 高校卒業の時期が刻々と近づいてきている中、先生から「後輩に残せるものは残してあげよう」という話をされることが増えてきました。
 うちの高校は全学年入り乱れての交流が比較的盛んな場所なので、幸いなことに私も先輩や後輩と多く関わらせてもらいました。
 残せるもの、校内で完結するものはこれから決めていくところなのですが、それ以外の場所で誰かに何かを残せるだろうか、とも考えるようになりました。

 というわけで、通信制高校という道に進んだ1つのモデルケースを提供することを目的に、私の中学時代と進路選びについてを記事にしようと思います。進路選びに頭を悩ませている誰かの助けになれば幸いです。


中学1年生、不登校デビュー

 出オチ感満載ですが、中学校入学1年目にして不登校になりました。
 一応、最初の1学期は無遅刻無欠席だったのですが、夏休み明けでメンタルがズタボロになるという典型的なパターンをやらかしたわけです。
 当時の精神面への負担を挙げると以下の通りになります。

・私だけ学区外の中学校に入学して全員が初めまして状態だったこと
・小学校では6年間1クラス分しかいない生徒数だったが、中学校では7クラス分の生徒数に様変わりしていたこと
・両親の不仲が一気に進んだ時期だったこと
・私がHSPの特徴のほとんどに当てはまる人間だったこと

 要は環境の変化に置いていかれ気味だったのです。最初の1学期間はどうにかやり過ごしていたのですが、トドメを刺してきたのがまさかの担任の先生でした。
 なんというか、高圧的で、完璧主義と言いますか。初回のミスからしっかり教育してくれるといえば聞こえはいいのですが、教育の仕方が生徒の人格を否定するタイプだったので……私は幸いクラスの面前だけで済んだのですが、人によっては全校生徒の前で晒し者にされた人もいます。
 あの担任のクラスだけで、私含め3名が不登校になりました。逆を言えば、それ以外のみんなは余裕で耐えていたわけですから、「私はなんて根性のない奴なんだろうか」と思った覚えがあります。いや、実は余裕ではなかった人がいたかもしれませんが。
 夏休み明け、2学期は家から出られなくなっていましたが、1日だけ教室に連行されたことがあります。その時に母が先生に、私の自傷行為の話をしたことで3学期からは相談室登校で妥協してもらっていました。

中学2年生、欠席日数は8日だけ

 学年が変わる頃に起きるのが、教員の人事異動です。1年生の頃の担任が他の学校に移った事実1つで私は登校するようになりました。
 ただ、登校できるようになった一番の要因は2年生の時の担任です、ややこしいので以下恩師と表記します。恩師とする理由は、「自分のペースでいい」という言葉を聞かせ続けてくれたからです。そんなこと言ってくれる人はこの恩師が初めてでした。
 自分のペースで、自分のペースで。心の中で唱え続けた結果、2年次の欠席日数は8日だけでした。高校選びの時に「欠席日数が10日以上だと休んだ理由を申請する必要がある」ということで8日目の欠席時、部活の顧問の先生から「そろそろ休まないよう頑張ってみて」と言われました。
 顧問の先生も恩師の1人です。副担任ということもあって1年生の時から話を聞いてくれていましたし、その後2年生の時も3年生の時にもサポートし続けてくれていました。

 

中学3年生、全日制至上主義に揉まれる

 3年生ではまた、1学期は無遅刻無欠席で、2学期から教室に入れず相談室登校という流れになりました。1年生の時と大きく違うのは、進路決定をしなければいけない時期ということです。
 進路選びにおいて、私が通っていた中学校では全日制高校以外の道がほとんど話題に上がらないような環境だったと記憶しています。特に印象に残っているのは、ある先生による夜間定時制の話。
 曰く、他のみんなと生活サイクルが違うから孤独。随分と下げるような言い方するじゃない、と今なら思えるわけですが、これ以外の情報が中学校の先生から流れてくることはありませんでした。
 通信制の「つ」の字も知らないままだった私は、高校=全日制という偏った知識1つで将来を描いていました。具体的にいうと、無理して通い続け今度こそ心にトドメが刺される将来です。
 そんな環境に舞い込んできたのが、今通っている通信制高校のチラシでした。私のように学校生活で四苦八苦している人でも息ができそうな場所があるだなんて夢にも思わなかったので、もうここに縋るしかない、と。

高校1年生、加減を覚える

 結果的に受験に受かり入学した今の通信制高校は、私にとってこれ以上ないほどの居場所になりました。学校について話すとただのPRになりそうなので、私1人に焦点を当てて話していきます。
 私は週5日登校するコースで入学したので「いっぱい登校しよう」と息巻いていました。毎朝1時間目から登校し、下校時間まで学校で過ごすことが「普通の学生らしさ」であると中学校で教え込まれたので。
 ですがある日、途中でどうしても気分が悪くなってしまい早退。やってしまった感に襲われましたが、恩師からの「自分のペースでいい」という言葉を唱える習慣は続いていたので、少し考え方を変えました。うちの学校は何時に来ても何時に帰っても基本自由だったので、一度その方式に染まってしまおう、と。
 早退した次の週から自分ルールを決めました。週4日は時間に拘らず登校、週1日は自宅からオンライン。休んでしまっても次頑張ればいいと唱える。
 周りを見るのを一旦やめて、自分にちょうどいいペースをやっとこさ探し始めました。みんなと同じようにするのではなく、自分用に加減した目標を立てるという力をつけ始めたのです。

高校2年生、探究という勉強に出会う

 2年生の時からようやく他人と交流し始めました。1年生の時はずっと1人で黙々と過ごしていましたし、2年生3年生でもそのスタイルは続いているのですが、授業内やサークル内ではかなり人と話すようになりました。といっても毎度毎度緊張していましたが。
 特に大きい変化は、探究の授業に参加し始めたことです。教科の学習で順位を競ったり、ただ聞き役に徹したりするのではなく、自分の関心ごとを好きなだけ深められる授業です。
 登校頻度に規定がなければ参加する授業も自分で選んでいい形式だったので、好奇心で他にもあれこれ参加できるのはとても楽しいです。
 この頃には自分にちょうどいいペースとそれに見合う行動が決まってきたところだったので、ここで一気に人間として成長し始めた気がします。

高校3年生、卒業したくない

 卒業したくないというのは、我が校が好きすぎるために出てきた言葉です。人をダメにする椅子みたいな()。途中でつまづいても起き上がるための土台は卒業目前の現時点でかなり固まっているので、通信制という道に出会えてよかったと思っています。
 今では毎朝登校で元気に生きています。友達も少ないながら仲良くさせてもらっているし、メンタルも健康です。将来についての不安はどう頑張っても逃げられないものだと思いますが、上手く不安と付き合っていくための力も今の私には十分にあります。
 調子が悪い日でも、もう少し頑張れるのか、一旦休んだほうがいいのかを自分に寄り添って考えられるようになりました。

来春は専門学校へ

 高校生活で自分を見つめ続けたおかげで、将来なりたい自分像を持てるようになりました。それを叶えるためにどの進路が適しているか、自分なりに考え、自分で選んだのは専門学校に進学することでした。
 いつか別の記事に書くかもしれませんが、モノづくり系の学校です。祖母との思い出が物体越しにしかなかった経験から、誰かにとって記憶を留めておけるような、そうやって人と人とを繋げられるような作り手になりたいと思っています。そう思えたのも、やはり通信制という道で自分なりに頑張ってこられたからにほかありません。

おわりに

 いかがでしたでしょうか。通信制という道を知らなかった、あるいは入学や転入を考えている生徒と保護者にとって参考になるところがあれば幸いです。
 尤も進路選びで大切なのは、選択肢をたくさん手元に準備した上で決めることだと思います。周りがどうとか言うよりも、まずは自分の状態を見つめるところから始めてみてください。

 ここまで読んでくださりありがとうございます。

 こんなに長く書いたのは初めてなので見逃している誤字脱字があるかもしれません、見つけたら、お手数ですが報告していただけると助かります……。

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