2020年度上半期に触れた10の作品・前半(小説・ゲーム)

中学、高校と、殆ど文章や映画に触れてこなかった僕が、どういうわけか文章を書きたいと思うようになった。
殆ど触れてこなかった深い理由はない。しいて言えば、あまり要領が良くなかったために、勉強や部活動以外のものに時間を割く精神的な余裕がなかったからだろうか。

少しずつ大学生活にも慣れてきたため、今年度から(正確に言えば3月から)、少しだけ真面目に作品に触れることを決意した。
特に触れた作品にまとまりはなかったが、自分の中で
・哲学・宗教・倫理的な要素を含んでいるもの
・僕の書きたいSFに繋がりそうなもの

を選んで読んでいたつもりである。尤も、優れた作品のほとんどは上記を満たしており、あまり良い選考基準だったとは言えないが。

そんなこんなで今年の上半期に僕が触れたゲーム・小説・漫画・映画(アニメ以外)・アニメーションのそれぞれについて二作ずつ、計10作の作品の紹介を行いたいと思う。なお、以前に記事として挙げた作品、これから上げる予定の作品は除外している。(瀬戸口廉也さんの「CARNIVAL」など)

自分の中での整理という意味も勿論あるが、ここに挙げた作品はどれも非常に優れた芸術であり、好みを差し置いたとしても価値のあるものであると確信している。

ゲーム

1.ナルキッソス-n a r c i s s u-

最初に紹介するのは、誰でも手に取りやすいこの作品にさせて頂いた。
公式サイトから無料でダウンロードでき、ゲーム自体も1,2時間程度の短いものである。
しかし、この短さがテーマを明確にし、作者の思いをストレートに届けることを可能にしている。
この作品を一言で表すのならば、「末期患者」や「自殺」なのだろうが、作品から何を考えるべきかと訊かれたならば、「死を迎える者」だけでなく「その側にいる者」を考えてほしいと思う。各々のその結論がどのようなものになるかはわからないが、誰かの死から自分の生を考える、というとても重要な命題についての始点になりうる作品である。

また、この作品のタイトルはスイレンの学名である「narcissus」に由来しているが、末尾のsが除かれているのは、「suicide(自殺)」のsを取り除く、という思いが込められている。作者の願い、自殺が取り除かれてほしいという思いが人類に届くことを切に願う。

「憧れて、懸命になって、頑張って、
いつか報われるのなら良いけど…
…でも、叶わなかった時にはどうすればいいの?
その時に、無理だったねって、
笑って言えるほど、強くないわよ…」

2.CROSS†CHANNEL

正直に言って、この物語に対する僕の理解は強くない。
最初に作品を終えた時、どこまで自分が考えるべき要素なのか、どこまでが作者の意図なのか全く予想がつかなかった。
なのにプレイするたび、あるいは生活のふとした瞬間に、この作品が伝えたかったメッセージの一つ一つが理解できるときがある。
それらの全てを理解する日は来ないだろう。それほどまでに深淵な物語だ。

僕にとって思い出深いのは、この作品がそれ以降の僕自身の重要なテーマの一つである「世界と個人のギャップ、それ故に生じる狂気」を考えるきっかけとなったことである。
この作品の登場人物は一人残らず狂っている。しかしながら世界と自己のかたちが違うのは当然であり、それでも世界で生きていくために自己を歪めるという選択を取ったのである。この考え方は精神病全般に通底するものであり、特に今の僕の思索の核となっている作品の一つである。

世の中は苦痛とかさ、不幸とか、そういうもので満ちていてて…すごく不安になるんだよな。
だから繋がりたい。
一刻も早く。
一時でも長く。
そうやって繋がっていないと、残酷な世の中で生きるための普通がわからなくなるからさ。
けど満ち足りてる奴らは、全然盲目でさ。
自分は孤独なんて怖くない、なんて言うんだ。
いかに自分が自立して有能であるかをしたり顔で語るんだ。
そんな連中はクズだよ。
本当の孤独も知らない。
普通に生きるための心もすでに手に入れている。
遠い世界の人々だよな。
俺達みたいな、心を育てあぐねた人間とは違ってさ。
遠い世界であるうちはいいんだけど…近寄ってきて俺達を食い物にしようとするだろ?
正義は奴らのための正義なんだよ。
俺たちのためのいいものなんて、何一つ残ってない。
でも、生きたいじゃないか…なあ?

小説

3.夏目漱石「こころ」


冒頭で述べた通り、僕は文学についてはほとんど完全に無知であったため、いくつかの誰でも知っているような作品から触れた。恥ずかしながらこの「こころ」でさえ、全編を読んだのは今年度が初めて出会った。

この作品については、流石に僕が論じる余地もないほどに語りつくされているであろう。しかしながら、それでもなお紹介したくなるほどに、この物語は価値がある。

人間のエゴイズム、そしてその葛藤、罪の意識、それでもなお美しい最期を切望せずにはいられない。薄っぺらく正しい生き方を説いた物語よりも、よっぽど大事なものがそこにある。
最近で言えば、(僕のnoteで何度も紹介してしまっているが、)作家の三秋縋やヨルシカのナブナの作品なんかに感じる「理想の死に方(終わり方)」を軸に据えており、どこか精神的な揺らぎを感じている現代の若年層にこそ読んでほしい作品だ。

「私は過去の因果で、人を疑りつけている。
 だから実はあなたも疑っている。
 しかしどうもあなただけは疑りたくない。
 あなたは疑るにはあまりに単純すぎるようだ。
 私は死ぬ前にたった一人で好いから、他(ひと)を信用して死にたいと思 っている。
 あなたはそのたった一人になれますか。
 なってくれますか。
 あなたは腹の底から真面目ですか」

4.カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」

「代替品としてのいのち」について考えたいと思っていたところ、最初に勧められたのがこの作品であった。作者であるカズオ・イシグロ(しばしばIshという呼ばれ方をするらしい)

物語の主人公であるキャシーをはじめ、その友人たちは「(おそらく臓器の)提供者」という用途のために生まれ、施設で育てられる。
人間に満たない人間について、その生き方、尊厳などについて坦々とした語りで進んでいく。この物語単体で、現代の格差問題や人種差別にさえ繋げることのでき、思索小説として完成されている。

また、この物語は「どこまでを人間とみなすか」という問題を提起させるが、この問題は未来の人工知能などにも重なるものであると感じている。

将来の「古典」になりうる可能性を十分に秘めた傑作である。

(余談1:物語の大筋、閉鎖的な施設で他への供物となるために育てられるという構図は、「約束のネバーランド」の冒頭を想起させるものだった。

全く僕の領域ではないが、英米文学「らしさ」として通底する部分があるのだろうか。)

(余談2:実はこの作品がイギリスで発売する1年ほど前に、日本で「ぼくのたいせつなもの」というゲームが発売されており、臓器提供のためのアンドロイドと、その臓器を受け取る少年を軸に物語が進められる。Ishとほぼ同時期に日本で同様の題材を扱う作品が出ていることは非情に気になる点である。

英米文学を勉強している友人がIshについて、「周囲から日本人ルーツのアイデンティティを期待されすぎて、そこから脱するために英国人らしい書き方をしようとするけど、それが返って不自然になってやっぱり日本人らしい作品として取り上げられて…みたいな人」というふうに学んだと述べていた。余談1も併せて考えると、彼の英国らしさ、日本らしさが何処に表れているのか考えるのも面白そうだ。)


四つの作品について論じるだけで息切れしてしまったため、残り(映画、アニメ、漫画)については後半として追々話したいと思う。

僕自身、上記の作品を完全に理解したとは到底言えない。これらの物語に少しでも興味を持ってもらえたならば、皆様の解釈を聞かせていただけると非情にありがたい。楽しみにしています。






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