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言葉を同質化・差別化すること

イケダハヤトの言説を見ていて少し考えたこと。

炎上と差別化

人を惹きつける言葉とは、「熱をもった言葉」である。何かしら自分の好きな分野とか、専門知識を持っている分野について書くという事が重要視されるのは何故かというと「熱を持ちやすいから」であると言える。

熱をもった言葉は一方で非常に強力な燃料でもある。良い方向へ行ってくれればバズるけど、悪い方向へ行けばめっちゃ簡単に大炎上する。

例えば、何人も人を殺したような殺人鬼が世間を騒がせたとする。当然世の中の主流派となる意見は「殺人鬼憎し、被害者かわいそう」である。
ここにもしも「被害者はバカ、殺人鬼かわいそう」という意見を投下すれば、多分その翌日には大炎上する。その意見の内容は殆ど顧みられることはなく、とにかく逆張りである事を理由に大炎上するだろう。

基本的に私はイケハヤさんは嫌い(大学不要論を唱えてる所に違和感しかない)だが、一方で流石に嘘か真かもわからん言葉を大量にインターネットに投げ込んで飯を食っている人だというのは認めざるを得ない。
「炎上を恐れていてはインパクトのある事は書けない」とは、ある一面においては言葉というものの本質を突いた意見であると思う。

同質化と停滞

「人と同じこと」を発信して、それで飯が食えるのはテレビ局だけである。しかしそのテレビ局ですら徐々に若者に飽きられて行って、「人と違うこと」を発信する人々に関心が移行していっていることは言うまでもない。
けれども当然この日本では「人と違うこと」を発言する者には依然として炎上のリスクが付きまとう。「差別化」するということは「差別される」ことである。

言葉による分野なら色んな分野に同じことが言えるなと思う。

例えば「小説家になろう」という小説投稿サイトが存在する。私が初めて見たころには割といろいろな種類の小説が投稿されていて、面白がって読んでるような作品もあったが、今はもう何もかも失われた。
「異世界転生モノ(なろう系)」で全てが同質化してしまったからだ。二番煎じ三番煎じでも少しでも工夫が含まれてさえいればある程度PVが付いたし、場合によっては書籍化アニメ化と話が進んでいくわけである。
これに対して徐々に見てる側も飽きてくるから、いろいろな作品がいろいろな工夫を設けてどうにかして同質化の進む「異世界転生」というジャンルで何とか差別化しようとしている。

ブログ界隈も大体同じだと思っている。大体「こんなことをすればあなたも○○ができるようになります」とか「こんな勉強法で私はこんな資格を取りました」とか、実用的な情報が入っていること、または「僕は××のような人生を送ってきましたが、□□を手に取ることで○○な人生に至りました!君たちにも同じことが必ずできます!」と意識高く人々を応援(扇動)する記事ばかりが爆発的に増加していて、その意識高い枠の中でどうにかして差別化しなければその言葉は誰にも届かない。

「徒然なる」無価値

ある意味ではブログにせよ小説にせよ、あのブログ文化初期の頃やTwitter文化初期の頃みたいに「私は○○をしています、××という考えを持っています、□□というものが好きです」という風に徒然なるままに(この言葉ですらクソ意識高いけど)日々を書いているだけではあまり価値がない。
そんなもんは誰でも書けるのだ。別に犬でも「今日食べたドッグフードは美味しかったワン!」と書くことぐらいできるかもしれない(もしそんなブログがあったら大ヒットしそうだけど)。

価値のある言葉を書きたいと思ったら徹底的に言葉を差別化しなくてはならない。つまり炎上も覚悟して「差別され」なければならない。自分にしか書けないことを書かねばならない。
だが、例え炎上を覚悟したとしても、私含め大半の人にはそんな言葉はない。これが問題なのだ。

感情と差別化

そういえばTwitterも三ヶ月に一回ぐらいのペースで炎上していた時代の方がフォロワーもどんどん増えていったし、楽しかったのをよく覚えている。

今現在News Picksでは実名で意見発信しているが、飽くまで人に迷惑を掛けない範囲ではあるけど、私の感情を素直に語ったようなコメントが好評で順調にフォロワー数が増えていってるのは割とうれしい。
News Picksなんてそれこそエクストリーム意識高い系のビジネスメディアであるが、一つ一つのニュースに対して正直な感覚や感情的にどう思うかを言うようなことが予想外に評価される。

専門知識をもった分野に対して書くことは重要なんだけど、実は「自分の感情をストレートに表現してみる」ということが「差別化」の第一歩なのではないかと思う。

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