休職からの復帰からの妊娠からの休職産休


しばらくぶりにnoteを開いてみた。
どうも、スマホ片手に文章を書くのは得意ではないらしい。
ノートとペン派だということが、分かってきた。

それでもひとまず
最近のことを記録しておこうと思う。


noteを始めたきっかけは
休職だった。

5ヶ月休職ののち、3月から復帰し
4月から4年生の学級担任として本格的に働き始め、そのまま持ち上がって2年間同じ子どもたちと共に過ごした。

そして今年度も持ち上がりで
3年目の彼らと共に
そして卒業を一緒に迎える。はずだった。

元々、パートナーの異動や同期の産休
諸々考えて今年子どもができたらいいなぁ。
と思っていた。
職場には、娘が同じ学年であり卒業式も同日だということから、6年担任は外して欲しい旨を伝えていた。
自己申告では書面にして書いた。

けれど、6年担任となった。愕然とした。
ここまでは前回のnote通りだろう。

ずいぶんショックを受けたまま新年度を迎え、クラス編成はあれどまた同じ集団と4月からのスタートを切った。

ところが、スタートして間もなく妊娠発覚。
ずっと体調は悪かったけれど、人事に関してのストレスかと思っていたけれど、どうもつわりも相まって体調が良くなかったようだ。

正直6年担任という重みは重々理解しているので、分かった瞬間は頭が真っ白だった。どうしよう。が一番最初に思いついた言葉だった。

予定通り、同期の妊娠ともタイミングをずらすことができ、パートナーの異動の時期にも合わせられて、本当に予定通りだったけれど、人事に関して言えば予定外予想外の出来事だった。

体調不良が続いていたので年休もさほど残っておらず、管理職から公的に休める方法はないかな、ということで母子健康管理カードというものを提出して4週間の休みをもらうことになった。
病気でもなければ母子の健康のためのお休みだった。

、、、がしかし、その間に学校の中でいろいろな話し合いがされたようで、産休まで病休という形になり、理科専科からの算数専科へ次々と立場変更がされた。

私としてはすぐ復帰する予定だったのだが、昨今の教員不足から、欠員教員の補充申請を出すために戻ってこられては順番先送りになってしまうために、私が戻ることは学校としては困るらしい。

なんという理由。
私は、また明日ね。と伝えた児童と今日まで会えていない。
結局、二学期になりニュースにもあるように、5千人以上の欠員がいる中、私の学校にももちろん人が配置されることもなく。今に至るが、もはやいないことに慣れてしまってそれが普通になっているようだ。

学校側の流れはそんな感じで
10月から正式に産休に入ることができた。

同僚や管理職、それよりも児童や保護者に多大な迷惑をかけて申し訳ないと思っている。
だけど、その反面、戻れないもどかしさは管理職にどうにかして欲しいなと思った。
学校、公務員というのは、一癖も二癖もあって病気でもないのにただの妊娠なのに診断書をいく枚も出した。
その分心も揺さぶられて辛くて泣いて
意味もわからず泣いている日もあった。

けど、こんな日々もきっと何か意味がある。
そう思って意味を模索しながら
また、仕事や働き方、お金のことについてよく考える時間を過ごしている。
まだまだ答えは見つかってないけど、モヤっと見えそうな気もしている。
そんな自分探し、繰り返す自問自答をパートナーはずっと見守ってくれていて、彼がいてくれて本当に良かったなぁと思う。

休んでみて分かったことは
自分自身の笑顔が増えた。
これは前の休職のときもそうだった。

それに加えて、
パートナーも落ち着いているような気がする。
よほど普段から私の心の状態について、心配や気を張っていたのかもしれない。時々見られたかりかりイライラしているような様子が見られない。
そして、娘も子どもらしく生活している。片付けができなかったり宿題よりもテレビを優先したり。思春期を迎え、反抗的な態度をとってみたり。
並べてみるといい聞こえではないかもしれないけれど、これまで仕事に集中していて見えなかった娘の姿や、甘えの表現が、私が家にいることで発揮できているように感じた。これまで背伸びして頑張ってきていたのだろうと思うと、子どもにがんばらせすぎていたんだなぁ。と親として申し訳なく思った。
今は十分に反抗期をしてもらって、しばらく先の心の安定をいつかいつかと待ちわびている。

家の中で私という存在が与えていた影響を、お休みをもらって家で過ごすことで、その影響の大きさを肌で感じている。
母親が元気じゃないと!
と昔、相談員をしていた時にスクールカウンセラーが話していたことが本当にその通りだな。と思える。

これまでの2度の病休、産休。
この休みのおかげで私のキャリアはさほど良くはないけれど、自分にとっての幸せを少しずつ見つけられてきている。
どんなものが好きで、どんなことを考え、どんな人と、どんな環境にいたいのか。
どんな時に幸せと感じるのか。
大切にしたいものは何か。
必死に守ってきたものは本当に守るべきものなのか。
いろいろなことを考える時間になっている。

おそらく今月第二子となる息子が誕生するだろう。

変わりゆく家族の形に不安もある。
見えない未来に向かっていくことがこわい。
もしかしたらまた失敗を繰り返すのかもしれない。
そんなことも頭を掠めて今も不安に取り囲まれて泣きそうになる。

だけどきっとまたそれも私にとって何か意味をもたらす経験となるだろう。

この数年で学んだことは
乗り越えられない試練は与えられない。ということ
どんな失敗も自分の経験となりそこから学びを得ることができる。ということ

前向きさをこれからまた取り戻して
自分らしく生きていけるように
ゆるゆるやっていきたいとなんとなく思っている今日。

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