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駅を抜けたら、過ぎた恋

移動距離が長い。

郊外に住んでいるので、都心にでるたびに電車によく乗る。毎日の通勤も下手したら2時間くらいかかってしまうし、本当にそれはそれは生きるのが下手である。移動時間は交通広告をみて文字の校正をするか、スマートフォンで音楽を探しているか、あとはニュースを見たり、ツイッターをみたり、次の食事を何にするかを考えたりのどれかが多い。

私にはほろにがい駅がある。「赤坂見附」と「溜池山王」だ。ほかにもたくさんあるのだけど、この2駅はほろにがい。ほとんど、春菊。ぐっとほろにがくて、自分のなかにこんなに苦味を捉える感覚があったんだと気づかされる。甘やかなたれがほしくなる。なぜほろにがいかといえば、文字にすればするほどくだらないのだけど、大学時代好きだった人との会話を思い出してしまうからだ。

たしか、あの頃は就職活動をしていて、慣れないスーツと履きなこなせないパンプスと重たいバッグを抱えて、電車でぼーっと連絡をとりあっていた。赤坂見附ー、赤坂見附ー、という車掌さんのアナウンスに、ふと。

「ねえねえ、赤坂見附って、赤坂みっけみたいでかわいいね」

と打ってみたんだった。何がおもしろいの?って、たった今、自分でも真顔で書いているんだけれど、その時は「あ〜!かわいいな〜!」と素直に思ったんだと思う。そんなこと急に言われても普通困っちゃうと思うが、その人の洒脱な感じと、結構真面目なところがおもしろおかしくて、言葉選びも秀逸、こういったコメントにも臆さない。数分経たずして、

「溜池山王は、ためいきさんのうみたいでかわいい」

ときて、私は一度電車を降りてしまおうと思ったぐらいグッときてしまった。本当にくだらないのだけど、こういうことほど記憶に残るんだよな。やだなぁ。人体は摩訶不思議でかわいくできている。大学のテストで覚えるべき条文項目は全く思い出せないというのにね。やーもう、ためいきさんのう、って溜池のとこしかかかってないじゃないの、と思う。それもまたいいんだな。そして、ほろにがい。だって、これからも駅を使うたびにこのほろにがさを感じるのだ。そういうときは「あーハイハイ、春菊ですね」という気持ちになる。ほろにがいのが分かっていても、春菊はいい。春菊はいいんだ。

スーツを着ないタイプの会社員になって、パンプスも苦手でNIKEのスニーカーばかりを履いて、リュックを背負うようになったけれど、そんな私は今日も赤坂見附を過ぎるよ。今はすごく好きな人が恋人になってくれて、私はしあわせにしてるよ。あー、ハイハイ、春菊ですね。