第9話「幸凶死篇」下

 大学生活が終わり、就職して五年が経ったある冬の日の事です。生まれてから此の方、仮面を着けて過ごしてきたのに、どういうわけでしょう。帰り道、同僚と別れて独りきりになった瞬間、私は初めて仮面を落としてしまいました。

 落ちたというよりは仮面の真中にヒビが入り、半分に砕けたような印象、感覚を受けました。半分に砕けた仮面は地面に当たると、硝子のように辺り一面に飛散しました。

 自分でも何故取れてしまったのか、今も尚、理由は解っていませんが、強いて原因を挙げるとするなら、当時は精神的に一番参っている時期だったように思います。

 知り合いに見られたら只事では済まない。頭の中に残る仮面の残滓ざんがいが、剽軽ひょうきんな顔とは裏腹に、冷徹な表情と猛獣のような叫び声で私を脅し急かしました。
 私はすぐに、近くの公衆便所へと駆け込み、便座に蓋をして座り込みました。

 今の顔は誰にも見せられない。見られてしまえば、今まで積み上げてきた「人との繋がり」が天変地異でも起きたかのようにぐちゃぐちゃとなり、修復の出来ない状態になってしまう。

 先ほど落として砕け散った硝子の仮面が、頭の中で鮮明に再現され、その硝子に崩壊していく人間関係が映っていたように思います。化け物を見るような周囲の冷たい視線、拒絶、嫌悪、敵意。それらに私が耐えられるはずがありません。

 人間は武器を持たずして人間を殺すことが出来ます。動物と何ら変わりなく、尖った牙で心を抉ることが出来ます。周囲からそのような視線を向けられれば、私は迷うこと無く、高いビルの屋上から身を放り投げるでしょう。

 何故なのか自分でも分かりませんが、私は度が過ぎるほどに小心者なのです。

 幸か不幸か、定かではありませんが、本当の自分の姿を晒すことに、これほどの恐怖を憶えたのはこの時限りです。仮面を着けて生きることは私にとって自然なことでしたから、後生に仮面が取れることは、やはり一度も無かったのです。

 暫く便所で休憩し、仮面をもう一度着ける前に、私は少しだけ、仮面の取れた自分の姿を見ておこうなどと、馬鹿な考えを起こしました。
 本当の自分の表情がどういったものなのか、ただならぬ好奇心が私の探求心を駆り立てていました。

 自分はかなりの恥ずかしがり屋でありましたから、便所から出るにも、人が居ないかどうかを見計らいました。足音は聞こえないか、今この公衆便所の中に誰か居ないかと、扉に耳を当て、確実にじっくりと確認してから個室を後にしました。

 一歩、また一歩と、手洗い場の方へと近付いていく度に、鼓動は速くなっていきます。心臓の高鳴りは興奮と恐怖のどちらも含めたものでした。
 込み上げてくる感情に身震いしつつ、俯きながら鏡の前に立ち、恐る恐るゆっくりと顔を上げていきます。

 私の人生で初めて、本当の自分を見る機会でしたから、初対面の人と会うような気持ちがしました。なんせ本当の私とは、一体いつ疎遠になったのかすら分からないのですから、当たり前と言えば当たり前なのでしょう。

 見失った私との再会で、心臓が震えるのを感じます。変な高揚感に我を忘れていることに気が付いた時にはもう、鏡に目を向け終わっていました。自分でもいつの間に鏡を見つめていたのかは不明瞭です。

 鏡に映っている自分を認識した途端、たかぶっていた感情は消え失せ、足元から上半身へ向かって虫が這うような感覚に全身が震えました。寒気に襲われ、急な動悸が始まり、これ以上見てはいけないと第六感が警告するも、自分は鏡から目が離せませんでした。
 幽霊の類を見た人と、もしかしたら似たような感覚だったかもしれません。

 鏡に映っていたのは、そこに姿を現していたのは、気力も覇気も、生気すら感じない、この世の物とは思えない何かでした。生きる術を忘れたのか、生きることに消沈したのか、将又、元からこの身体には何も入っていなかったのではないかと思えるくらいに、そこに映るものは空っぽでした。

 死人の安らかな表情にも見えたような気がします。それ・・は「無」そのものでした。感情の制御が出来なくなると、人間は無の境地に至るのだと、この時初めて知りました。

 目の前にある魂の無い抜け殻のような物体に対して、「ああ、やはり私は、虚空の彼方に魂を置いてきてしまったのだ」と、改めて実感致しました。
 元々、私という人間は存在していなかったのだと悟りました。

 ふと目を瞑り深呼吸をしだした自分は、勝手に何度も何度も顔を洗いました。生存本能、いえ、恐怖を回避する為に熱くなっていた思考回路を冷やす為にだと思います。私は自分がしているとは思えない行動にされるがままでした。

 包丁を振り回している人が居たとして、逃げたいのに動けない。逆に、気が付けば走り出していた。そのような感覚と言えば解って頂けるでしょうか。「気が付けば」という行動そのものが、既に私の意識から逸脱したものだったのです。

 暫くして落ち着きを取り戻し始めた頃、自分は顔を手で覆い隠したまま固まってしまいました。
 無我夢中だったせいか、自分は肝心なことを忘れていたのです。仮面を着ける準備は出来たものの、本体である仮面が砕け散ったことを、頭からすっぽりと忘れてしまっていました。

 元の姿には戻れないという単純明快な答えに、私は先程の恐怖とは違い、絶望のようなものに襲われました。着ければ元通りにはなるけれど、仮面は粉々に砕け散りました。

 今から拾いに行くことなど出来ない。拾ったところで、元に戻せるかどうかも怪しい。そもそも、私の仮面はどうやって張り付ければいいのか。

 ――――――一生このまま過ごさなければならない。

 そう思うだけで、目を瞑れば、人から浴びせられる罵詈雑言が自分の精神、心を穿ちます。人に好かれる為だけに、仮面を着けて生きてきたのに、その仮面が壊れた。周囲の空気を読み、気持ちを汲み取れる魔法の仮面が割れてしまった。周りが知っている私という人間が消えた。皆の知っている仮面の私を失った。

 ――――――それはつまり、生きる価値が無くなったということ。
 ――――――存在の証明が出来なくなったということ。
 ――――――生きる資格が消滅したということ。

 静止したまま、どれくらいの時が過ぎたのか。さいわい、この間に便所に入ってくる人間は居ませんでした。そう、誰一人として便所には居ませんでした。

 呆然とする中、時間だけは刻一刻と進んでいきます。時間だけはどうあっても裏切らないものです。確実に一分一秒を世界に刻み込んでいきます。そして、正確に私を絶望の淵へと連れて行こうとします。

 固まって動けずにいた私は携帯が鳴動していることに気が付きました。抜け殻でも、物事にはきちんと反応してくれるようで、胸元で振動する携帯をいつもの自然な動作で確認します。

 「継続は力なり」と頭で何かが囁き、相手に迷惑を掛けてしまう可能性を最大限に重視してしまうこの身体は、携帯を無意識に開きました。

 電話の相手は良くしてもらっている上司からでした。誰にも聞かれないように、携帯を両手で大切に持ち、個室の方へと入っていきました。

 「はい、もしもし」と、いつも通りの声がちゃんと出ることに安堵しつつ、上司の話を聞きました。携帯を耳と肩で挟み込み、「はい、はい」と、言われた内容を手帳へと書き込みました。「はい、ではまた明日、お疲れ様です」と、普段通りの切り方で上司との会話は終わりました。

 お得意様が自分に礼をしたいから、仕事終わりに食事をとのことでした。日時、場所、連絡先をしっかりと確認し、既に私は仕事の状態に切り替わっていることに、何の違和感もありませんでした。

 鞄を持ち、こうしてはいられない。早く帰って寝なければと、個室を勢いよく飛び出しました。が、鏡に映る手前で立ち止まってしまいました。

 またあの死にたくなるような、虫の這いずる感覚と絶望に襲われる……。

 先程まで流調に話していた口は引き攣りかけ、このままでは外に出られないことを思い出しました。鏡の横を通るということは、自分との対面をもう一度しなければならない。そう考えるだけで身体が震えてどうしようもありませんでした。見なければそれが一番なのでしょう。ただ、人間の本能なのか「怖いもの見たさ」という衝動に、抗えそうにありませんでした。

 仕方がない。壊れた物はどうしようもないのだから、マスクでも何でもして生きていくしかない。もし、それでも生きていくことが難しくなれば、その時は観念して死んでしまおうと決めました。
 一、二の、三。このタイミングで前を横切ろうと思います。

 一、二の、三――――――――――

 ゆっくりと前に歩き出し、鏡を見ないように歩き出します。先程とは違い、恐怖だけが心臓の鼓動を速めていました。
 バクバクと張り裂けそうな心臓を押さえつけた時でした。
 やはり人間は人間なのでしょう。自然と鏡の方へと目が行ってしまいました。振り向く動作にどうしても抗えず、私はただその動作にされるがままでした。

 せめてもの自己防衛が働いて目を瞑りましたが、一瞬鏡に映った顔を見てしまいました。その刹那に見えた顔に見覚えがあり、恐る恐る目を開けると、目の前に見えるのは普段の私でした。

 不思議なことに、さっき砕け散ったはずの仮面が、私の顔に綺麗に張り付いていたのです。

 ああ、良かったと、安堵した瞬間に全身の力が抜けてしまいました。それと同時に、身体が大量の酸素を求めて呼吸が荒れ、吐く息は震えていました。私は自分でも気が付かないうちに息を止めていたことを知りました。

 呼吸を整えて、仮面はいつの間にくっ付いたのか。どうやって元に戻ったのかを考えました。ですが、考えずとも自分では明白であり、理解していました。

 携帯が振動したあの時です。誰かが自分へと意識を向けたと理解した瞬間、顔に吸い付くように仮面が戻ってきたのです。

 自分が自分では無いと知っても尚、私は「誰かの為」という名目の中に、己の利害を見出して生き続けるのだなと、呆れた笑い声が、建物の中に微かに響きました。そして、気が付いたのです。私は自分だけの為に生きたことが無かったのだと。

 人間は誰しも仮面を所持しています。その仮面が外れなくなってしまう時、本当の自分は殺されてしまうのです。だから、どうか自分を見失わないように生きてください。自己犠牲の精神は、この世界では到底要らぬ精神でしかないのです。

 利己主義の世界に、自己犠牲の能力が放たれれば、それは餌にしかなりえません。ボロボロになるまで精神を喰われ、使えない状態になれば捨てられる。どうか、この真実を心の中に秘めておいてください。きっと、この真実は私の家族を救ってくれると信じています。

 誰かの為という自己犠牲、利他主義といったものは、最終的に承認欲求へと帰還するのですから、真の利他主義は存在しないのでしょう。
 慈善事業などは仮の利他主義でしかないのです。

 さあ、仮面についての話は以上となります。異常であると感じられたのなら、この話は無かったことにした方が家族の為かもしれません。

 疑問は災いを呼びますから、この一人の人間の醜悪な物語など、語るもくだらないことだったかもしれません。

 なら何故こんな話をしたのか。最初にも書いたと思いますが、やはり、何処かで私は生きていたいのでしょう。この鬱蒼とした、闇のような心の腐食を、誰かに相談したかったのでしょう。ただ、私自身が気付いた時にはすでに手遅れでしたが……。

 あと少しだけ、お付き合い願えますでしょうか。

 ここから先は私の真意とは少しズレているかもしれませんし、言葉として成立するかも分かりません。ただ、仮面以外に感じた仮面の真相まで、あと一歩かもしれないという所まで迫れたように感じます。

 その手前でこうして終幕を迎えてしまうことが、私の本当の心残りなのかもしれません。
 では、最後のお話を書いて終わろうと思います。

 大学生の頃、人は「環境」に育てられると仰っていた先生が居られました。私はその言葉を三十になる今でも忘れません。自分を育てたのは「親」ではなく「環境」だと言ったのです。

 自分の中では強烈な言葉でした。先生は続けて語りました。親も友人も遊び場も、社会もテレビも何もかもが「環境である」と、全てを「環境」という言葉で一括りにされていました。

 それ以来、私は「環境に育てられる」という意味を、時々考えるようになりました。
 今、こうして悩み考えている私は、環境によって悩まされている。しかし、自分自身も誰かの環境の一部であり、自分の知らない間に、私はそれらに溶け込んでいる。

 自分は考えるのが下手です。友人や知人にもよく天然や馬鹿と言われていましたから仕方のないことだと思います。でも、友人がそう言って笑ってくれるのなら、それが一番良いのです。

 幸せは誰かの不幸を糧にして育ちます。幸せは不幸が無ければ得られず、不幸もまた、幸せが得られなければ得ることはない。
 武器を知らなければ誰かを傷付けることはありません。悪口を知らなければ人を傷付けることはありません。褒めることだけを知っていれば誰かを傷付けることはありません。

 幸と不幸、名誉と汚名、個人と群衆、なんとも皮肉な対の世界です。

 話が逸れてしまいましたが、環境について自分が出した結論は混沌としていました。

 環境が作り出した私という存在を、私を介して環境は悩んでいるのではないか。端的に言えば、私は環境という、自分では無い何かを自分の中に秘めている。それが、自分について悩み、周囲について悩んでいる。つまり、私という生き物は、環境によって形作られ、身体も心も作り上げられたということです。

 こうして書いている私は私ではなく、環境だということです。「環境」という得体の知れない物に身体も心も育てられた「何か」なのです。

 私は私の考えで生きてきたつもりでも、この考えは「環境」によって蓄積された考えであり、これ・・は私では無いのです。私という存在は存在しないのです。

 結果、仮面という防衛本能すら、存在しない世界だったのです。

 ならば、今こうしている自分は何者なのか。

 仮面が砕け散り、再び元に戻ったことで答えは見つかりました。

 自分は、環境という何かに、お面を付けて動かされているだけの、存在しない生き物の一つにしか過ぎないということに……。
 友達を助けたことも、誰かの為に悩んだことも、自分の不運を嘆いたことも、全て私では無いのです。私じゃ無いんです。そこに私は存在していなかったのです。私という自我は私ではないものに既に支配されていたのです……。

 皆の知る仮面の私を捨てようと決心した今、存在しないはずの私はこのまま消えても問題ないでしょう。人の為に生きることに疲れてしまいました。いや、これでは正しくありません。私が、「環境」の為に生きるのはもう疲れたのです。死なせてください。お願いします。この苦悩も苦痛も感情も感覚も何もかも、私ではないことに、強烈な絶望の深淵に叩き落されてしまったのですから。

 二年前、死のうとした私を助けたのは間違いだったのです。そこから立ち直ったように見せかけ続けたことを、たいへん申し訳なく思います。

 ごめんなさい。そして、こんなにも醜く歪んでしまった私なんかを、今までずっと、変わらぬ愛で育て、気遣ってくださってありがとうございました。せめて最後は誰にも迷惑が掛からないように逝きたいと思います。

 もし、また貴方たちの近くで生きられるのなら、その時は本当の私を見失わないように生きてみようと思います。

 ――――――どうか、自分を大切に生きてください。
 ――――――本当の貴方を殺さずに生きてあげてください。
 ――――――仮面という偽物に支配されないように生きてください。
 ――――――環境という言葉に惑わされないでください。

 それは本当の貴方では無いのですから、さぞかし生きることが辛くなってしまうでしょう。どうぞお辞めください。本心で楽しむ、悲しむ心を、感情を大切にしてくださいませ。

 ありがとう…………そして、さようなら――――――――――――

人を変えることはできないけれど、誰かの心に刺さるように、私はこれからも続けていきます。いつかこの道で前に進めるように。(_ _)