母娘

お母さん、私を認めて、そして愛して。

先日、自分が幼い頃のホームビデオを見る機会があった。いとこやおばあちゃんたち、親戚が集まったクリスマスパーティの様子を映したものだ。私より一歳年上のいとこのお姉ちゃんのピアノの伴奏に合わせて、みんなが楽しそうに「あわてんぼうのサンタクロース」を歌っている。その中に、赤いワンピースを着た5歳の私が、涙目になって必死に口を動かしている姿が映っていた。私はなぜ泣いているのか。この時の悲しい気持ちを、二十数年経った今でも鮮明に思い起こすことが出来る。

映像の中で、ピアノを巧みに弾いていたいとこのお姉ちゃんは、母の妹の娘だ。母と母の妹は異常に仲が良く、家が近かったこともあり、ほぼ毎日お互いの家を行き来していた。その結果、私といとこのお姉ちゃんは一緒に過ごす時間が長く、姉妹のように育てられた。
(そのいとこのお姉ちゃんを、本文中ではAちゃんと呼ぶ。)
Aちゃんは幼い頃から優秀だった。色白で可愛い顔をしていて、勉強もできた。ピアノは全国大会に出場するほどの腕前だった。おまけに愛嬌もあり、いつも周りの大人達を笑顔にしていた。

一方の私はどうだったか。メガネっ子で可愛くもなく、いつもクールで愛想がなかった。勉強は多少できたものの、もちろんピアノは大の苦手だった。私はいつも、母に叱られる時、Aちゃんを引き合いに出された。
「どうしてAちゃんみたいになれないの!」
「Aちゃんをもっと見習いなさい!」
そうやってAちゃんと比較されるたびに、私は自分への自信をどんどん喪失していった。大好きなお母さんは、自分のことを一番に理解してほしいお母さんは、Aちゃんのことばかり褒めて、私という人間をちっとも認めてくれない。世界中に誰も自分の味方がいない、そう思っていた。その現実は幼心にひどく応えた。だけど、それでも、母にはどうしても愛されたかった。だから私は、いつでも母の機嫌をうかがうようになった。いつだって母の気に入るように行動するよう、心がけていた。自分の意見を母に対して述べたり、反抗するなんてこともない、子供らしくない子供時代を過ごした。

少し話が逸れてしまったので、元に戻そう。映像の中で、なぜ私は「あわてんぼうのサンタクロース」を歌いながら泣いていたのか。それは母のある一言がきっかけだった。
「Aちゃんはピアノが本当に上手ねぇ。○○(筆者)なんて、こんな難しい曲弾く才能は、全くないのよ。」
母は何気なく言った言葉かもしれないが、その言葉は私の心臓を貫いた。
「ごめんね。ピアノが上手に弾けなくて。自慢の娘になれなくて、ママ、本当にごめんね。」
母のその言葉をきっかけに、そんな想いが心の中で爆発し、涙となって溢れだした。自分は母親にとってダメな存在なんだとハッキリ自覚した、原体験だった。

あの時の気持ちを思い出すと、今でも胸がキリッと痛む。そんな傷を抱えて大人になった私は、今でも母親から認められたい願望を強く強く持っている。いい大人なのに。いつだって、ありのままのダメな私も愛してほしい。お願いだから、私という存在を無条件で丸ごと受け入れてほしい。幼少期の傷はなかなか消えてはくれず、私は年甲斐もなく、今でもずっと、そう心の中で叫び続けている。

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