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国道の二人 【第5話】

国道の二人 【第1話】

 ニューオーリンズ。

 一昨日はあの街でゆっくりと寛いでいた。ほんの二日前のことであるのに、すでに懐かしく感じられる。

 延々と続く黒い森、蛇行する夜中の国道。

 運転に集中するために、ラジオも消した。葉子さんも熟睡している。エンジン音しか響かない闇の世界。右を向いても左を向いても黒い森が続いている。


 都会の喧騒が恋しかった。日本の中華街を髣髴させるバーボン・ストリートの光の饗宴。あの中にふたたび佇んで、ダイナミックな街の雰囲気を体感してみたい。人に会いたい。 

 私は、一昨日の出来事を回想し始める。

 フレンチクオーターと呼ばれる地区の中心部には、スペイン風情の漂う、煉瓦と緑に彩られた建物が佇んでいる。フランス統治時代の建物は火災にて朽ちてしまったと言われるがその名残だけは名前から窺える。

 街のところどころにてストリート・ミュージシャンたちが演奏をしている。演奏ジャンルはジャズ、ロック、あるいはソウルである。昼間でも、哀愁漂うトランペットの音色は、夕暮れのミシシッピ川を髣髴させる。


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 通りを歩く人々の中には、色彩豊かな旅行者も多かったが、演奏をしている音楽家の割合は有色系の方が多く感じられた。南部の奴隷制時代の名残であろうか。

 ニューオーリンズというと、数年前に上演された映画「エンゼル・ハート」の舞台になっていた場所である。そのため、私の抱くニューオーリンズに対するイメージは、どこか湿って生温かい、榛摺(はりずり)色の、退廃的な、謎に満ちたものであった。

 そう言えば、俳優のミッキー・ロークとブルース・ウィリスが見分けられるのようになったのは、あの映画の後からであろうか。

 
 私と葉子さんは、庶民的なレストランのテラス席に座ってジャンバラヤを堪能していた。カジュン風のもので、そのライスも榛摺(はりずり)色を帯びていた。すなわち、私のこの街に抱くイメージと同等の色彩を帯びている。

「これが本場のジャンバラヤなのね、日本のものとは違うわね。横濱駅のレストラン街で一度食べたことがあるけど、その時はもっとオレンジ色だったと思う」

 葉子さんは、ジャンバラヤのお米をスプーンで掬いながらそう感想を述べた。おそらくオレンジ色の方はクリオール風のジャンバラヤであろう。ガイドブックに説明されていた。

「どちらが美味しいですか?」、と訊ねてみる。

「日本のジャンバラヤの方が、お米が崩れていない感じで、日本人向きに食べやすくしてある感じ」

 確かに、本場のジャンバラヤは、味も米の炊き方も多少粗削りに感じられる。

 ジャズの調べに浸りながら、しばらく二人でジャンバラヤを堪能していた。

 思えば、長い行程を運転して来たものだと、感慨に耽った。アイオワ州を出発し、カンザス州、ミズーリ州、アーカンソー州、テキサス州を駆け足で南下して来た。最終目的地のルイジアナ州・ニューオーリンズではようやく運転から解放された。

 
 私達の皿がそろそろ空になりつつあった時、私達の前のテーブルに座っていた東洋人男性が、席を立ち、私達のテーブルへ歩いて来た。

 

 その男性は、私達のテーブルの横に立つと軽く会釈をした。

「食事中、失礼致します。お嬢さんがたは日本の方ですよね?」

 完璧な日本語である。おそらく日本人であろう。

 葉子さんは話し掛けて来た男性を見上げた。

「そうですけれど、何でしょう?」、その返答から、彼女が警戒態勢に入ったことを私は理解した。

 男性は私の方を片手で丁寧に差しながら、葉子さんに問い掛けた。

「先程からお連れの方が僕のことをチラチラと見ているようですが、僕の顔に何か付いているのでしょうか?」

 葉子さんは彼らに背を向けていたため、突如男性が現れた状況を把握しかねていた。

 私は、実際にその男性の横顔を不躾に凝視していたのであった。無意識のことであったとは言え、それは失礼な行為であった。激しい羞恥のために、顔に熱が籠って来た。旅行先の開放感が私を多少大胆かつ不作法にさせていたのであろう。

「申し訳ありません。どこかでお見掛けをしたような気がして仕方がなくて」、私は率直に弁明をした。

 どこかで見たことのある人、とは言ってもそれが誰であるのかも即座には思い出せなかった。

「貴方の考えていらっしゃる方というのは、もしかしたら、数年前に新宿の高層ホテルから投身をした俳優ではありませんか?」

 男性にそう指摘されてピンと来た。冷静な口調であった。そうであった、知り合いではなく、テレビで見た顔であった。日本の芸能界には疎かったので名前はすぐに浮かばなかったが、確か刑事もののシリーズものに出演されていた方で、非常に女性に人気のある男優であった。その男優に瓜二つであった。

 人気が絶好調であった最中に、自らの命を絶たれた、とワイドショー等で写真を何度か見掛けたことがあったのだ。

「あー本当に似てる!そうそう、あの男優の名前何と言ったっけ?確か短い名字だったわよね」

 葉子さんも思い出したようである。

「わかりました。でも亡くなった方の話はもう止めましょう」、そう言って、男性は片手で葉子さんを牽制した。

 その時点では、私もその男優の名字を思い出していたが、それを口にすることは憚られる雰囲気であった。そもそもこの男性は、何故私達のところへ来たのであろう。クレームをするためであろうか。

 その男性と一緒に食事をしていたもう一人の男性も私達の方へ歩いて来た。男優似の男性よりは年配であった。男優似の男性は葉子さんと同年齢であろうかと思われる。

「お嬢さんたち、学生さん?」、年配の方の男性は穏やかに訊ねた。

 私達が肯定すると、彼らは自らを日本のテレビ局のものだと紹介した。私でも知っているメジャーなテレビ局である。注意して見ると、二人とも記者証のようなものを首から下げており、年配の男性のほうはカメラケースのようなものを抱えていた。

「テレビ局!」、葉子さんが驚嘆した。

 二人の男性は、これから仕事があるので失礼するが、同じ日本人同士、夕食でも一緒にしないかと提案して来た。

 その提案を受けて、最初に念頭に上がったことは、「葉子さん以外の日本人と会話をすることが出来る」、との希望的観測であった。

 葉子さんの方もそう感じていたのであろうか、異存は無い、と返答した。

 男優似の男性がレストランの場所と時間を記したメモ用紙を葉子さんに渡し、「それじゃ、のちほど」、と左手を宙に上げた。

 爽やかな笑顔であった。

 彼らの姿が視界から消えた時点で、葉子さんが囁いた。

「あれって新手のナンパ方法かしら?」

「さあ、でもテレビ局の方々なんて、面白い話が聞けそうですよね」

 二人とも、釣り用ベストにジーパンという井出達であったが、正装をされたらさぞかし紳士的でダンディな方々なのであろう。

 それと比較して私達の服装と言ったら、葉子さんは、パステルオレンジ色の、着古した夏物ワンピース、私は黒いタンクトップに、ヒョウ柄のジーパン。あの二人が正装で現れたらまったく釣り合わない、

 しかし、そのように案じる必要はまったく無かったのだ。


 結局、

 待ち合わせの場所のレストラン、『オシアナ・グリル』に時間通りに行ってみたが、テレビ局の二人は姿を現さなかった。

 私たちは、しばらくレストランの入り口近くで待ち、レストラン名を確認したり、往来を行き交う人々を観察していた。

 15分ほど経った時、ウェイター長が私達のところへ来た。

「ご予約時間は2時間となっておりますが、30分経ってもお客様がお見えにならない場合は予約をキャンセルさせて頂いております。どうなされますか?」

 葉子さんは、私の顔を見た。決断を仰いでいたのだ。

「私たち二人で良ければ、席を案内して頂けますか?」、私はウェイター長にそう告げた。

 非常に人気があるというレストランに入れる機会である。中で待っていれば、のちに、あの二人も現れるかもしれない。

 テラス席に案内された私たちは、30分ほどドリンクなどを注文しながら彼らを待っていた。しかし、予約時間があと1時間になった時、私たちは生牡蠣とパンを注文した。午後中歩き回っていたので空腹であった。

 彼らは現れない、とほぼ確信した。

 本来なら、あの男優似の男性と、紳士的な年配の男性と、日本語で楽しい会話を交わしながら新鮮な生牡蠣を堪能していたはずである。

 しかし現実は、葉子さんも私も言葉少なめに、ケチャップとタバスコとレモンに浸した生牡蠣をツルツルっと啜っていた。そのような中途半端な晩に味わった生牡蠣の味覚は、無味乾燥という表現がぴったりであった。

 結局、私たちは2時間10分ほどレストランにて粘っていたが、二人は現れず、レストラン側にも連絡は無いということであった。

「せっかくニューオーリンズを訪れているので、ジャズのライブハウスにでも行きましょうか?」

 レストランを出る時、私がそう提案すると葉子さんも同意した。

「Fritzel’s European Jazz Bar(フリッゼルズ・ヨーロピアン・ジャズ・バー)というところが古くて良いって観光ガイドブックに書いてあったわよ」、葉子さんは日本人的な発音でバーの名称を持ち出した。朗らかさを演じているが、多少無理をしているような印象は否めない。

 

 私たちは、しばらくバーボンストリートの喧騒の中を、ストリートジャズとソウルの中を、アルコール臭の中を、大音声で叫ぶ雑踏の中を、ネオンの中を、無言で歩いて居た。

「もう忘れましょうよ、現れなかった人達のことは」

 相変わらず私が雑踏の中をキョロキョロと見廻している様子を見かねたのか、葉子さんがそう制した。

「生牡蠣、美味しかったですか?」、私は葉子さんに訊ねた。

「美味しかったわよ。期待外れだったの?」、と返答する彼女の表情からは真意は掴めなかった。

「本場のニューオーリンズで生牡蠣を味わうことは、私にとって今回の旅行のハイライトでもあったんです。多分、とても美味しい生牡蠣だったと思います。でも、入り口ばかりが気になってしまったので、味なんてまったくわからなくて」

「あの人たちが今晩現れなかったことに関して、貴方がどうしてもやり過ごすことが出来ないのなら、こうしない?」

 葉子さんは通りに立ち止まってこう切り出した。

「あの人達が来られなかった理由に関して、一緒に10件のケースを推察してみましょう。不可抗力の場合よ。でも、寝過ごしてしまったから、とかは無しね。私から始めるから貴方も真剣に考えてみてね」

 葉子さんは、元来、楽天的な人なのであろうか。その傾向は要所要所にて顔を出す。

 私は葉子さんが最初のケースを挙げるのを待った。



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