見出し画像

目を閉じて、心のなかで自分の大好きな場所に行くんだ|『モモ』の目で観る哲学の話#4

"ストレスを感じたら、目を閉じて、心のなかで自分の大好きな場所に行くんだ"

映画「ぼくたちの哲学教室」で、校長先生が子どもたちにかけていたことば。一言一句合っているがどうかは定かではないが。その問いかけがあったとき、思わず一緒に目をつぶってしまった。過去のバカンスで訪れた街をあげる人もいれば、「マック」をあげる人もいた。微笑ましくて、印象的なシーンだった。あなたなら一体どこを思い浮かべるだろうか。

少し前の映画かと思いきや、撮影されたのは意外にもここ数年だという。ああ、平和ボケしているのだと自分自身に対して思った。それほど客観的に見て、平和ということばが無縁に感じる環境がこの世界にはある。同時刻の同じ地球上に。戦争が起こっている今、本当にあたりまえのことだけど。

それが「ふつう」な環境で生きるってどんな感じなんだろう。と思いながら、ぬくぬくとした環境で生きるわたしは、複雑な気持ちでこの映画を見ていた。学校でサイレンが鳴り響くことは、避難訓練か誰かが間違って押しちゃったか、そのどちらかしかなかったなと自分のいた環境を思い返した。


やられたらやりかえす。その反応が骨の髄まで染み込んでいる社会。自殺率も薬物使用率も高く、紛争が繰り返されてきた土地、北アイルランドのベルファスト。暴力で争いを解決しようとしてきたその連鎖を断ち切るには、自分でその感情をコントロールすることが重要だという。

一度立ち止まること。本当にそうかなあ、どうしてだろうと自分にも相手にも問い直すこと。暴力で仕返しをするのではなく対話に切り替えること。違う意見があってあたりまえだと寛容な自分になること。子どもたちはそれを徹底して体得させられていた。どうか生きてほしいという願いとともに哲学の時間があった。日々の生活に重なる、あるいはかぎりなく近いところにある(あってほしい)のが哲学なのだと改めて思わされた。


これは北アイルランドに限った話ではない。人にやさしくあるために、立ち止まること、そして自分のあたまで考える訓練をすることは、とても大事なのだと思う。いつの時代、どこにいても、だれにとっても。

いつのまにか、人に合わせること、流れに乗ることがうまくなってしまう。私自身もかなり調和性が高い人間である。だからこそ、自分の意思を伝え、他人の考えをただ受け入れる、その練習の時間が大事だ。

少しずつ日本の学校教育にも哲学の時間が増えてきているような実感がある。それはとても希望。大人にもそういう時間が必要。色んな「ふつう」が社会にはある。そのスタンダードを受け入れるだけではなく疑ってみること。

そしてやられたらやりかえす、ではない方法をわたしたちも習得していくべきではなかろうかと改めて思う。「倍返しだ!」という、あの名ゼリフがふと頭をよぎった。

それにしても哲学の時間を牽引する校長先生、ユーモアに溢れた人だったな。人を惹きつけるのはユーモアだと思った。楽しそうな人のまわりには人が集まる。さて、次にストレス感じたら、どこの街に行こうかな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?