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[管理職]部下育成に悩む管理職へ


人を教えた経験はありますか

部下を育成しているんだからあるに決まっているだろうが、違う。

片手間に教えなかったことはありますかと聞いている。部下の育成を自分の仕事として認識して、教えたことはありますかと聞いている。

だから悩んでいるのだろうが、その程度で悩んでいるのなら、部下の悩みはその万倍はあると認識してもらいたい。

解答のない問題を考え続けるほど辛いことはないのだから。部下育成は考えさせることにあると勘違いしている管理職ほど、部下を苦しめさせる存在はない。

相手の立場に立って考えるようにしていますか

部下を育成することで悩んでいるつもりの管理職はどこかで、「教えてやっている」感が抜けない。

教育や育成について、頓珍漢な考えが「教えてやっている」と言うことなのだ。そう言う管理職はすぐに悩んだつもりになって、部下を見放したり切り捨てたりする。

自分に置き換えて考えたらどうか。上から目線で、お前のために教えてやっているんだぞとしたり顔で教えるひとに心を開くだろうか。ありがたく教えを受けるだろうか。

自分が部下の立場だったときに何に苦労したか。それをイメージすれば良いだけだ。でも出来てないから、部下の心は開かない。管理職が部下を見放すんじゃない。その前に管理職が部下から見放されているんだ。


教えるということを何年考えていますか

育成がーと悩む人は、教えると言うことをハナから考えたことがない人間だ。

教えると言うことを体系的に、分析してきた人間はまず悩まない。どう教えたらいいか分かっているからだ。

知識や技術の習得にどれだけの苦労を払いましたか

苦労人は教育に向いている。試行錯誤の過程を言語化することが出来るからだ。要領が良い人や挫折を知らない人は反対に向いていない。組織の中で上手く立ち回る人ほど人を教えることに向いていない。自分でも計算しないうちにできてしまうからだ。

そういう人は試行錯誤など不十分なままで成長したものだから、部下ができない事が理解できないし、対策も根本から分からない。

育成について悩む時点で、育成について考えてない

そんなことはないと反論はあるだろう。育成で考えることはどう教えるかどうやって育てるかということであろう。

主語について考えてみてほしい。「自分が」になっているはずだ。自分主体に考えた時点で育成について考えることが出来ていないのだ。

育つ主体は部下だろう。部下を育てるのではない。部下が育つのだ。

つまるところ、部下が育つためにどうプロデュースするかが育成なのである。

部下が育つためには経験も責任もある管理職がフォローしなければならない。考える人材になって欲しいなら、考える人材とは何か、ビジョンを自分が考え、部下と共有しなければならない。

それでは考えることは出来ない? 習字の例で例えよう。手本も提示せず、「書け」とだけ伝える。書いてきた字にただ「違う」と言われたらどうだろうか?

理不尽さを感じないだろうか。

部下が育成下手の管理職に抱いている印象は正にそれだ。理不尽。しかし、管理職本人は考える練習をさせていると考えている。

これでは部下は育たない。

学校教育を思い出せ

学校で学んだことは役に立たない。と言う人もいる。それは知識という一側面から見ただけに過ぎない。

教育方法は理にかなっているし、根拠もある。なんだかんだ言って、読み書き算数は日本人できているからだ。

例題を教え、解き方を解説して、反復練習。

なるべき人材のビジョンとモデルを提示し、必要な技術、知識を学び、OJT。

同じじゃないか。

部下が分からないと嘆く暇があれば、部下に好かれる努力をする。ちょっかいかけて、おしゃべりするのではない。フォローする。理不尽なことは言わない。矛盾しない。部下の判断は一旦は支持する。どうしてもダメならきちんと修正・改善点を指摘しろ。

上から目線であーだこーだ言うのはバカのすること。共に考え、理解し、フォローする。自分に益のある人間ならば、誰だって大事にする。部下が上司から逃げるのは、自分に益をもたらさない人間だと思っているからだ。





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