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「悩みの種」と向き合う、悩んでいる誰かに届け-書き切る=納得-

私は悩みたくないから、考えて文章を書いている。

  「悩みの種」に悩まされ、目の前のことに手につかなくなっている人に届くことを願って書いています。

 私がなぜ文章を書くのか、ということについて少し深ぼってみた。
noteに投稿を始めたのはごく最近のことだが、意識的に文章を書き殴る生活は2年前ぐらいからの習慣だったように思える。

 社会が少しずつ見えてきたこと、就職活動が近づき、真剣に将来と向き合わなければいけなくなったという二つの要因に起因し、「悩みの種」を見つけてしまうことが多くなったこと。
そして、私は「悩みの種」を解決する手段として、文章を書くことが多くなったことが原因だと考える。

 「悩みの種」とは、自分にはどうしようもないもやもやした、人に気安く相談できない問題のことで、例えば、生まれ育ちの環境、容姿、人間関係、選択の後悔などについてであり、ジャンルを問わず多岐にわたる。
実際この文章は「なぜ私は文章を書くのだろうか」という掴みどころのない「悩みの種」に対するアンサーとして書いている。

 見つけてしまったらそれを完全に忘れることはできないし、生きていると同じ「悩みの種」に何度でも出会う。

 だから、私はいちいち「悩みの種」と向き合い、それを解決するようにしている。
その解決の手段として、文章を書いている。(自身を忙しくし、「悩みの種」から逃走することもできるかもしれないが、それは根本的ではないし、将来的に人の助けにもならないのでしない)


 「悩みの種」を解決するために、私自身がどこに引っ掛かりを感じているのか、どうして違和感があるのか、について考え(≠悩み)、結論まで書き切る。

 もちろん、「悩みの種」について書く文章には全員が納得する結論はない。
しかし、自分なりに問題について「考え」、自分の中で納得する言い訳や物語を結論として据える。
そうすると、自身が自分が書いた結論に騙され、頭の中から「悩みの種」が消える。
例を挙げると、「なぜ私は文章を書くのか」という「悩みの種」に対し、この文章では、「強引に結論を据えることで、『悩みの種』を解決するため」という結論を強引に据えている。これが正解かはわからないが、現状最も正解らしい納得する結論がそれであるため、そのように書いている。

 もしかしたらこの方法での解決は一時的なものかもしれない。
それでも、足元が明るくなるなら、一歩前に進める。
私はそうやって前に進んできた。

だから私は文章を書く。
目の前のことができない、あなたも試してみてほしい。


yamamoto

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