ダンディズム・ノート 2 ~生田耕作『ダンディズム 栄光と悲惨』~

前回、『ダンディズム 栄光と悲惨』の目次は以下のようになっていると言った。

①ボー・ブランメル
②落日の栄光
③ブランメル神話
④冷たい偶像
⑤ウィリアム・ベックフォード小伝
⑥老いざる獅子
⑦ダンディズムの系譜
⑧付記

この順番で読んでいってもいいけれども、俺はまず③を読むことをお勧めしたい。というのも、③は、何も書き残すことなかったブランメルが、これほどまでに後世に名を残している理由を記しているからだ。

つまり、ブランメルをほめたたえた人々の言論について、書かれている。ジュール・バルベー=ドールヴィイは、ブランメルの伝記を書いたうちの一人だ。また、スタンダール、バルザック、ミュッセ、メリメ、ゴーティエ、ボードレールなども、言葉の端々に憧憬を表現していたと述べている。

ただ、ボー・ブランメルを中心とするダンディ洒落者たちは、文学者に対する嫌悪を隠そうともしなかった。スタール夫人などは、てひどくはねつけられたらしい。バイロンはそうでもなかったようだけど、知らんがな。

それでも文学者たちのダンディ崇拝は、「ダンディズム」という理想的自我の理念を生み出す。いわく「非生産的自我の高揚」「冷たい不毛の尊厳のなかに安住すること」。

ここから生田は「ダンディズム」の本質規定を行う。だから、ここから始めるとよいと思うのだ。

ブランメルの離れ技は、いうなれば負数を正数に変えたことである。取るにたらぬものと見做される諸価値の上に、社会からの付属的なものとして蔑視されるものの上に、〈伊達者〉はそのちからの基礎を築いたのだ。そして自分を受け入れさせることによって、社会通念で認められた美点を逆に色褪せたものに見せたのである。

ブランメルは価値転倒者である。内面よりも外見、道徳よりも道徳の演技、無価値の価値。

バルザックが、ブランメルから聞いた話を敷衍した衣装哲学の一つ。

動き、話し、歩き、食べる以前に、人間は衣服を身につける。おしゃれに属する諸動作、立居振舞や、会話は、つねにわれわれの服装の結果でしかない。かのすばらしき観察家、スターンが機智あふれる言葉で言ってのけたように、ひげを剃った男の考えはひげを生やした男の考えとちがってくるのである。われわれはだれしもみな衣裳の影響をこうむっている。

そこから、次にいく。

①ボー・ブランメル
②落日の栄光
③ブランメル神話
④冷たい偶像
⑤ウィリアム・ベックフォード小伝
⑥老いざる獅子
⑦ダンディズムの系譜
⑧付記

次は、⑥を読むといい。これは目次には出ていないが、サブタイトルに「バルベー讃」と書かれている。

つまり、ジュール・バルベー=ドールヴィイの最期の姿が書かれている。1888年になってまで、ダンディズムの衣裳に身を包んだ、最後のロマン主義者の姿を。

十九世紀初頭浪漫派の最後の一人、遥かに取り残された一人として、彼はすでに別な理想と別な生き方に委ねられた時代にまで生き続けていたのである。己れをいささかも変えずに。たった一つの習慣も、偏見も捨て去らずに、古い伝統に殉じつづけ、ついにはその衣裳が、いや精神までが、流行遅れになるのをまぬがれなくなるまで。まさしく彼は一個の骨董品、一個の人形、ミイラ化した不滅の伊達者であった。

滑稽である。実に滑稽である。俺は、滑稽だと思った。真剣であればあるほど滑稽で、自身もその滑稽さに気づいていたともいえる。

世界全体を、そして彼自身を、ロマネスクな夢を通してひたすら見つづけることにバルベーは固執する。かくも長い歳月にわたって保持しつづけたこの幻想、この勇気!それはいささか狂気じみているとはいえ、あまりに芝居がかっているともいえるだろう、だが他人にたいしてだけではなく、己れにたいしてもバルベーは真面目に芝居を演じつづけたのである。終生、華やかな夢の中に閉じこもり、ついにそこから一歩も出ようとはしなかった。

シャネルが言ったのか、サンローランが言ったのか、もう正直どっちでもいいけど、「スタイルが必要です」という言葉は、こうしたブランメルやバルベードールヴィイの姿から、時代や流行が変わっても自身のスタイルに固執し続ける姿から、抽出されたものだろう。

日本人だと、永井荷風が、それにあたる。『新橋夜話』の「見果てぬ夢」などは、「ダンディズム」の日本への紹介だし、事実荷風も「明治の児」としての矜持を夢見たまま死んだ。

近代という変転することを是とした社会の中で、変わらないということを是とすること。多数決で美観までもが決定される社会の中で、自分のスタイルに固執すること。

『ダンディズム 栄光と悲惨』の③と⑥を読むと、こうした「ダンディズム」の内容がわかる。

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