『笛吹川』 〜Recycle articles〜

「笛吹川」は甲府盆地を北東から南西に流れていく川である。

そのうち北から流れて来た「釜無川」と合流して、富士川となって太平洋に注ぐ。

「笛吹川」の上流は甲武信岳などがある山塊で、紅葉の際の渓谷美で名高い「西沢渓谷」がある。

甲府盆地において、以上のような象徴性を持つ川が「笛吹川」だが、山梨出身の深沢七郎は、その名を冠した歴史小説を書いている。

戦国時代の武田三代下における貧窮農民の一家が主人公であるのだが、もはや主人公としての尊厳もヘッタクレもなく、生まれては殺されるという世界の残酷さを融通無碍に描いた作品が『笛吹川』なのである。

笛吹橋の石和側の袂に、ギッチョン籠と呼ばれているのが半蔵の家だった。敷居は土手と同じ高さだが、縁の下は四本の丸太棒で土手の下からささえられていて、遠くからは釣られた虫かごのように見える小さい家だった。

この記述を見るだけで悪い予感が濛々とわき起こってくる。

おじいは信虎の祝いを血で汚したといって、簡単に切られる。

子どもは生まれてはすぐに、別のところですぐに死んでゆく。

主人公だったはずの半蔵も43pで戦死してしまう。


> 暑くなりかけた頃、「半蔵は二月の終わ頃、討死した」ということを知らせに来てくれた。半蔵は塩尻の先で殺られて、「死骸も馬と一緒にそこへ埋めてきた」と云って知らせに来てくれた人が、布に包んで髪の毛だけを持って来てくれた。

「えーっ」と、思った。

今まで、焦点人物だと思って読んで来た人物がいなくなる。途方に暮れる。いかにして、焦点を移行していくのか。そんな小賢しい思考などおかまいなしに、深沢は、次の人物へと話を移す。

「定平やんが、まんじゅ屋敷へ飛び込んだ」
 と、土手で騒いでいる声を半平は聞いたのだった。途端、半平は(定平も半蔵のようにノオテンキの奴だ)と気がついた。まんじゅ屋敷というのは、すぐ川上から笛吹の水が川田の方へ流れて、他の川と落ち合っている場所である。どんよりとした流れの溜り場所で、底がないと云われる程深いところだった(そんなところへ飛び込んで生きて帰ってくるらか?)と思ったが、泥だらけになって帰って来たのである、
 「バカ!」
 と半平が云うと、定平は、
 「でかいナマズをとってきたぞ」
 と平気な顔をしているのである。

万事がこんな調子である。おじいは信虎に殺された。その息子の半平の子どもが半蔵であるが、半蔵も信玄と一緒に戦地に赴き松本平で戦死した。半蔵は半平の一人息子である。おじいの四人の子どものうち、ミツという娘の子どもが定平である。

定平に焦点は移り、そし、半平は死ぬ。なんだか、あれよあれよという間に世代が変わる。もう、おじいも半平も半蔵もいない。まだ、物語の三分の一も行っていないのである。

よくこれが商品としてなりたったな、と思えるくらい『笛吹川』は、歴史小説としても、普通の小説としても無手勝流である。ゴツゴツした文章を、順繰りに書き付けていて、もしかしたら一筆書きなのではないかと思えるほど、粗挽きである。

しかし、スムーズに進んで、心に引っかかりのない、商品性の高い小説よりも、深沢七郎の作品は、ジグザグしたその軌跡を、じっくりと辿ることで、峻険な岩壁をよじ上った感触が得られる小説でもある。

ところで、山梨にはなぜか横溝正史記念館がある。不思議ではあるが、深沢七郎の土俗的な感覚と、横溝の想起した土俗性にはある種の繋がりがあるように思われる。なので、横溝正史記念館が山梨にあっても、それはそれでいいのかもしれない。

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