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チャールズ・ディケンズ『オリヴァー・ツイスト』5

今のところ、理想の中年に成るプロジェクトは、認識論のレベルで渋滞している。

少なくとも中年の類型には「オジサン」「オッサン」「オジサマ」の三類型があり、「オッサン」と「オジサマ」は、「オジサン」の進化型ではあるものの、序列をなしているわけではない、ことが、私の中で明確化した。

最初、「オジサマ」の方が、知性的かつ上品な要素があり、「オッサン」はそれに劣るのではないかと考えていたが、「オッサン」には独特のユーモアと愛らしさがあり、セクシャルな発言と威嚇的な発言さえしなければ、「オッサン」という存在様式の方が、自分の憧れに近いと思った。

「オジサマ」的存在様式は、やはり三越伊勢丹あたりの営業部で揉まれなければ、先天的に生まれついた人以外は、獲得できないものなのではないかともおもう。以上どうでもいい話ではあるのだが、「オッサン」の上位互換の具体的現れが、私の前に現れて、呼び名が開発できればいいと思っている。

「オッサン」の上位互換は、知性的であるが、それをうまく隠しながら世間を渡っている。知性をひけらかすことなく、かと言って、それを伝家の宝刀として抜かないわけでもなく、飄々と世の中を渡っている。持っているけど持っていない。持っていないように見えて、持っている。誰か「オッサン」の進化型を俺に教えてくれよ。

あらすじ(8)

さて、オリヴァーは雇われ先から逃げ出したはいいものの、途方に暮れる。ロンドンに行けばなんとかなるのかもしれない、とも思う。ロンドンまで70マイル。途中、様々な苦難や困窮や屈辱に耐えながらも、ロンドン近くのバーネットへ到着する。

そこでオリヴァーはある奇妙な男と出会う。紳士然としているが、歳は自分とそう変わらなそうな、少年。名前はジャック・ドーキンス。ロンドンに行けば、宿はなんとかなるという。自分の知り合いが、仕事も世話してくれるという。

しかしながら、外見は胡散臭い。しかも、「アートフル・ドジャー」(逃げ隠れの達人の意らしい)という通り名があるらしい。オリヴァーは、程よいところで逃げてしまおうかとも考える。

ロンドンに着いた。スラムに入ると、辺りは汚辱にまみれた風景が広がる。そこの一室に、ジャックは入って行き、オリヴァーもついていく。そしてひとりの老紳士に出会う。名前はフェイギン。

歓待されて、強い酒を飲んだオリヴァーは不覚にも酩酊してしまう。

感想

オリヴァーの行程はそう簡単には行かなくて、実家が辛くて飛び出してきたはいいものの、連れ戻されたらもっと怖いことが起こるだろうと思う心が、その決意を鈍らせる。大抵は、途中で倒れるか、どうしてもアンダーグラウンドな方向へと向かう。何も持っていなさそうなオリヴァーを、無償で助けようという人はいない。

自分もそうだ。おそらくオリヴァーの誇りに最大の賛辞を寄せながらも、実際にオリヴァーのような人が家の前に来たら警察を呼ぶだろう。美しい物語を感受しながら、現実において、その物語のような判断をすることはない。誰かがそれをやってくれることを望み、道ゆき半ばで倒れたりすれば、それはそれで悲しむ。矛盾がある。欺瞞がある。

庇を貸して母家を取られるという物語が一方であるからだ。実際は、オリヴァーのようにはいかない。行政を頼れ、云々と他人事のようにいうだろう。それは19世紀前半も、21世紀前半も変わるところはない。いい人を見つけて、献身的に働き、認められることで何か変わるかもしれない。しかし、「いい人」とはどう見つければいいのか。

完全無欠の「いい人」なんているのだろうか。昔、『いいひと』というマンガがあったが、あれの結末部を知らない。『最終兵器彼女』の結末は覚えているのに、なんてことだ。『総務部総務課 山口六平太』というマンガもあった。お前は小学館の回し者か、と言われそうだが、あれの結末もおぼえてない。とにかく、「いい人」は、自分の中に何かを所有した時点で、「いい人」になれない運命なのだと思った。

フェイギンはユダヤ人として出てくる。俺たち(って誰?)は、チャーリー、それはダメ!と言いたくなる。いわゆるユダヤ人表象の問題が、21世紀の俺たちは御法度なのだ。いずれにしても、19世紀小説だ。その臨界を意識しつつ、先に進もう。

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